第10話 2008年6月の勝利のうたを忘れない。その3

https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663817722886


 最初に異変に気が付いたのは遥だった。


「ねぇ、司、なんかいつもに比べて、ドリブルもっさりしてんだけれど、大丈夫?」


「あっ、うん、ちょっとな……」なんか司の歯切れが悪い。


「ねえ、神児もそう思うわよね」


「そ、そうかな」と、俺も歯切れが悪い。


 そう完璧に思い出したのだ。司はこの時期から慢性的なオスグットの痛みに耐えながらプレーしてたのだ。

 

 オスグットとは膝の成長痛でサッカーやバスケなんかやっているプレーヤーに頻発するスポーツ障害だ。俺もなったことはあるが司の方が酷かった。

 

 最初のうちは痛みに我慢しながらプレーしても、試合に夢中になれば痛みを忘れるくらいの軽度なものだったのだが、それにかまけてちゃんと医者に見せなかったのがいけなかった。

 

 最初は司の利き足とは逆の左足だったが、左足をかばううちに今度は右足を痛めるようになり、今度は右足をかばうようにすると左足が悪化する。完全な悪循環に陥っていった。

 

 そんな小学生のうちから無理する必要なんてなかったんだ。


 不治の病ではあるまいし、この頃からしっかり病院にかかって患部をケアしながらプレーしていたら……俺たちが何十回何百回と後悔したことだった。

 

 そして、その分水嶺となったのが今日の試合だった。俺たちは圧倒的不利な下馬評を覆し、東京ビクトリーに勝ってしまったんだ。

 

 この後の展開はこうだ。


 司が俺達を呼びつけてこう言う。「今日はちょっと膝が痛いんだ。でも、大したことは無い。コーチには絶対にこのことは言うなよ!」と……


 これは、黙ったままでいいことでは決してなかった。


 事実、この後、俺と遥で司の膝のことをコーチに話すかどうか相談したんだ。


 そしてその時の判断は……「今日の試合だけは黙っていよう」だった。

 

 そのおかげで、これから行われる決勝戦、司の獅子奮迅の働きで東京ビクトリー相手に5-4の殴り合いを演じて勝ち切ってしまったのだ。

 

 この先、何年も後悔し続ける決断だった。


 もし、時間を巻き戻すことが出来るのなら、この日に戻したかったと何度遥と話したか分からない。


 これは司にも言って無い話だった。


 そして、ビクトリーに勝ってしまったらもう後には引けなくなってしまった。

 

 U-12の試合とはいえ中島翔太の名前は既に全国区だった。

 

 あの中島翔太率いる東京ビクトリーに勝ったチームとはどんなチームなのか、全国のチームとスカウトから注目を浴びることとなった。

 

 そしてそのおかげで、俺と司は東京ビクトリーのジュニアユースに入ることが出来たんだ……

 

 そして俺達八王子SCジュニアは、ビクトリーに勝った勢いそのまま、この夏、全国を制覇した。

 

 そしてこれが、俺と司のフットボーラーとしてのキャリアハイでもあったんだ。

 

 司が俺達を呼んだ。

 

 もうあの過ちは二度と繰り返さない。

 

 司に何と言われても、今日の試合は出させやしない。

 

 たとえこの後、司を怒らせ絶交されたとしてもかまわない。


「な、なんだよ、神児、怖い顔して」司がおどけたように言う。


「あっ、ゴメン」無意識に自分の決意が顔に滲み出てしまったみたいだ。司を怖がらせてどうする。


「ねぇ、それより、どうしたの?司、どこか調子でも悪いの」さすがに遥も不穏な空気を感じ取ったのだろう。心配そうに声を掛ける。


 司はゆっくりと深呼吸する。よっぽどの決意のあらわれた。


 でも、俺だって負けやしない。さあ、司、言ってこいよ。


 すると…………


「あのさ、この前から膝がすっげー痛いんだ。今日の試合休んだら、怒る?」


 ……………………………………おや?


「えっ、司、大丈夫」遥がすごい心配そうに聞いてくる。


「い、いや、ちょっと、大丈夫じゃないかも」


 普段の司では見せないような気弱な表情だ。あー、これは、アレだ、ビクトリーズにいた頃、シミュレーションで審判からファールをもらう時に見せてた表情だ。


 ……おいっ、どういうことだ司。


 まだこの段階だと、そんなに痛くはないはずだろ。


 ぶっちゃけ、お前がどうしてもって言うんだったら、後半くらいは出してやってもよかったんだぞ!!

 

 遥が心配そうに司の膝を触ってくる。


「あー、痛い痛い、そこダメ、痛いって」


 膝の内側をさすられてそう言う司。おい、オスグットは膝のお皿の下だぞ、痛いのは!!


「ちょ、ちょっと家から湿布取ってくる、待っててね、司」遥は血相変えて走り出した。


「遥ー、ゆっくりで大丈夫だぞー」と司は走り出した遥の背中にそう声を掛けた。


「いやー、やっぱ遥は小学生の時からいい女だなー」


 遥の後姿を見ながらしみじみという司。なんかおっさんくせーなおい。


「さてっと」司はそう言うと、座ったまま俺の方に向きを変える。


「やっと二人っきりになったな神児。じゃあ、訳を聞こうじゃないか」


 司はそう言うと、俺にいつも見せていた高慢な笑みを浮かべた。


「お、おまえ、本当に司か?」


「おい、神児、本当の司ってどういう意味だよ。ここにいるのは紛れもない北里司だ」


 そういうとニヤリと俺を見上げる。


「い、いや、そんなことは分かってる。俺が言いたいのはそういう事じゃなくって……」


 なんでか司の前でアタフタする俺。


「お前こそ、本当の神児か?」


 司が俺に問いかける。こういう時なんていえばいいんだ……俺は思いつくままの言葉を言う。


「俺は、大人の、いや、えーっと、昨日引退した……その、八王子SCの鳴瀬神児だ」


 すると、司はふーっとため息。ダメな生徒を前にした先生のようだ。


「お前は相変わらず、自分の頭のイメージを言語化するのが下手くそだな。そんなんじゃいいコーチになれねーぞ。だから洋平なんかに馬鹿にされるんだよ!」


 洋平という明確なキーワードが司の口から出た。


「って、ことは、お前は」


「ああ、俺はお前の上司の北里司だ。ほら、一発で分かったろ」


「……はい」


 俺の最も聞きたくないワードを使って端的に説明してくる。こいつは紛れもない26歳の北里司だ。


「なあ、神児」司はそう言うと俺をギョロっと睨みつける。「これは、お前の仕業か?」


「俺の仕業?」俺は自分を指さして辺りをキョロキョロ見渡す。


「だから、お前がなにかをして、俺をこの世界に俺を呼び寄せたのか?」


「って、ことは、やっぱこれ夢じゃないんだよな」俺は司に乞うように聞く。


「現実だ、あほタレ。俺が言いたいのは、お前が変な黒魔術使ったり、怪しげな神社でお願いしたり、奇妙な黒猫を助けたりしてないかって聞いてるんだよ!!」


「してない、してない、してない」俺はブンブンと首を振る。


 司はハァーっとため息をつきうなだれた。


「そうだよな、サッカー馬鹿のお前が、そんなオカルト染みたことなんかするわけないよな。飯食ってるか、寝てるか、それともボールを蹴ってるかしかしてないんだから」


 もしもし、司、なんか俺のことディスってませんか?


「いいか、神児、一体どうやったら、この世界から脱出できるかお前も考えろ!!」


「えっ、司、お前、元の世界に戻りたいの?」


 正直、小学生からサッカーをやり直せると思い、少なからず心がワクワクしているのだが…….


「お前、もしかして、この世界のままでいいと思ってるのか?」


 まあ、ここで嘘を言ってもしょうがないと思い正直に言った。


「俺は、この世界で、お前ともう一回フットボールをやり直せたらと思っている。」


 だって、そうだろ、この当時の俺達の夢は一緒にサムライブルーのユニフォームを着てワールドカップに出ることだったじゃないか…………


「司はそうじゃないのか」俺は司にそう問いかける。


 すると、司は…………「バカヤロー!!今日は太陽君の大切な1歳児検診の日なんだよー!!!」と広場一杯に轟くような大声で叫んだ。


「いいか、神児、今日は太陽君の一歳の誕生日なんだよ!!午前中にかかりつけ医に行って一歳児検診受けた後、遥の実家に行ってお義父さんとお義母さんと一緒に初誕生をするんだよ。もちろん俺の両親も一緒だ!!もう近所の和菓子屋にお餅も頼んであるし、太陽君の体に合わせて2号のサッカーボールも用意している。万が一俺がそこに行けないなんて事になって見ろ。遥と両親に殺されちまう。いいか神児、今帰らせろ、すぐ帰らせろ、俺を今すぐ、遥と太陽君の元に帰らせろー!」


 そういって、俺の胸ぐらをつかんでガクガクゆする。やべー、人の親の怖さってのを今、まざまざと実感している。どどどどどどうしよう。


「ごめん、司、実は俺、フットボールの神様にお願いしたことがある。もし願いが叶うならお前と一緒に小学6年生のこの日からやり直したいって」


 俺は薄れゆく意識の中、心の浮かんだありのままの真実を司に告げた。


「やっぱ、テメーの仕業じゃねーかー、神児ー!!!」


 司のテンションはクライマックス。ヤバイ、また違う世界にいっちゃう。タイムリープはいいけれど、異世界転生はしたくないんです。


「はぁ、はぁ、はぁ……」言いたいことを言って少しは冷静さを取り戻した司は俺に言う。


「どうすんだよ、オイ」


「どうするって…………」


「どうすんだよ、オイ!!!」


 やばい、司は完璧に取り乱している。


「お前今すぐ、フットボールの神様に、元の世界に戻してください。ゴメンなさい、嘘です、訂正しますって言え!!」


「えーっ」


「今すぐだー!!!」


 もう既に司の目は尋常じゃない。とりあえず、自らの身の安全を守るため、司に言われた通りのことを言う。俺は空を見上げてお祈りのポーズを


すると、「えーっと、もしもし、フットボールの神様、以前言った、小学六年生の頃に戻してくださいというのはうそです。お願いですから2022年の4月2日に戻してください」


「………………………………………………………………」


「………………………………………………………………」


 俺と司は必死に目を閉じてお願いする。10秒、20秒、そして1分、


「なんにもなんねーじゃねーか!!」司が怒鳴り散らす。


 その瞬間、「もしもし、何やってんの?」と遥が声を掛けてきた。


「はぅ!!!!!」とビビる司。


 見ると司の後ろで、遥が湿布を持って立っていた。…………なにやってんだか。


 そういや思い出した。フットボールの神様って、気まぐれで、傲慢で、ロマンチストで、ついでにいじわるだってことを…………

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