第26話 あんパン
王妃サルビア様にも練り切りをお出しする許可を頂き、順調に園遊会への準備が進んでいる今日この頃――招待客の名前を覚えたり、挨拶の文言を考えたり、会場の設営や装飾の采配をしたり、目まぐるしく働く合間に厨房へ練り切りの出来栄えを確認しに行く。
今回の目玉の一つである練り切りは、特に見た目が重要視される。ケーキのデコレーションとはまた違う技術が必要なのだ。
しかも数百人の招待客の分を一個一個手作りしなければならない。すべて料理人の腕頼り。
なんか無茶を言って申し訳ない気持ちになる。せめてもう1、2カ月くらい余裕があったほうがよかったかもしれない。
急に無理を言って本当にごめんなさいね。
彼らはとてもやる気だから救われているけど……。
そう思いながらお忍び姿で厨房に到着すると、
「――おや! アズアズじゃないか。よく来たね!」
私を出迎えてくれたのは、海賊風の紳士エドワード料理長でもなく、元気溌剌なヨシノでもなく、国王陛下と王妃殿下の厨房を任されている姉御肌のカラマ料理長だった。
突然の出迎えに私はとても驚き、
「カラマ料理長! どうしてこちらに?」
「はっはっは! あんたが来なけりゃこっちから行くって言ったろう? ったく、また面白いやつを考えやがって! 練り切りって言うんだろ? あれは凄くいい! 園遊会に向けて、こっちの厨房に修行に来たってわけさ」
よく見ると、カラマ料理長の厨房で見た料理人が数名、ヨシノに教えを受けていた。
私の知らない料理人もいる。
おそらく、彼らはカラマ料理長のところともまた別の厨房の人だ。王子や王女の厨房から派遣されてきたのかもしれない。
園遊会に向けて王宮全体が一丸となって準備を進めている。
私も頑張らなくちゃ!
「進捗はどのようになっていますか?」
「王宮の料理人に一通り作らせて、腕がよかったやつを集めて育成しているって感じかね。その中で不死鳥担当と若葉担当に分かれている。全部でざっと20人くらいか」
「20人? 少なくありません?」
「そうでもないさ。段々と早さと質が高まっているからね。園遊会の頃には1個当たり1、2分で作れるんじゃないか? もっと早く作れるやつもいるかもね」
それはすごい。さすがプロの職人。
私なんか不死鳥も若葉も作れそうにないのに。
この調子なら問題なく振舞うことができる。みたらし団子や大福、浮島作りも分担して進んでいるし、後は園遊会までどれだけ極められるかというところね。
私にできることは……味見くらい! それなら任せて! 和菓子の味見なら大の得意ですから!
「今日はどうしたんだい? また新作和菓子を作りに来たのかい?」
「期待しているところ残念ですが、進捗を確認しに来ただけです。新作和菓子を作っている余裕はありませんし」
「なるほど。案はあるってことだね。期待しておこう」
鎌をかけられていたっ!?
まあ、これくらいならどうってことない。むしろレシピを教えたら作ってくれませんかね……。
今は余裕がないか。
「アズ様」
「はいはい。なんでしょう? あら、パネではありませんか」
声をかけてきたのは、この厨房のパン担当をしている女性料理人パネ。
いつも美味しいパンを作ってくださってありがとうございます。
「アズ様からいただいたアイデアをもとにパンを試作してみました。ぜひ味見をお願い致します」
「もちろん喜んで!」
私のアイデアということは――
「こちらでございます」
「まあ! 完璧な『あんパン』ではありませんか!」
綺麗な焼き色がついた丸みを帯びた形状。上にちょこっと振りかけられた黒ゴマ。
見た目は完全に前世のあんパンである。
私の要望通りに作ってくれたようだ。
試食だからミニサイズ。半分に割ると、柔らかなパン生地と欲張って詰め込まれた黒い餡子がお目見えする。
この餡子の量――実に私好み!
「いただきます……んぅ~! 美味しいです! パネ、完璧ですよ!」
「はっ! もったいないお言葉をいただきありがとうございます」
花丸満点を上げちゃいたいくらいですよ! よくやってくれました!
はぁ……美味しい……。
「美味そうに食べるねぇ」
「カラマ料理長もおひとついかがですか?」
「あたしは遠慮しとくよ。仕事の日は小麦製品を禁止しているからね」
「あっ、そうでしたね。では、見た目だけでも米粉パンの参考にしてください。パネ、試作したのはどうせあんパンだけではないのでしょう? 全部持ってきてくださいな」
「かしこまりました。少々お待ちを」
ふっふっふ。パネにお願いしていたのはあんパンだけではないのですよ。
抹茶味の食パンや、餡子が練り込まれたパン、抹茶&餡子の組み合わせもあるし、完全には練り込まず、マーブル模様を描くパンもある。
パンの種類もたくさんあり、試食用のミニサイズだったり、小さく切り分けられたりしているけれど、すべて食べたらお腹いっぱいになってしまいそうだ。
「こりゃたくさん作ったねぇ」
「新たなパンの可能性を見出してくださったアズ様には感謝しかありません……!」
うっとりと陶酔した表情のパネという女性は、パン大好き人間だ。以前、私が組み合わせた『あんバタートースト』にいたく感銘を受けたという。
和菓子大好き人間である私は、彼女の気持ちが痛いほどよくわかる。彼女のパンへの情熱は、私の和菓子への情熱とほぼ同等。似た者同士ってわけ。
好きなものの新作って心躍りますよね……。
「あぁ……毎日食べたいくらい美味しいです……! もぐもぐ。パンの中に白玉生地うあ求肥が入っていても面白いかもしれませんね。パンはフワフワ、中はとろ~りモッチリ、みたいな。いえ、いっそのこと白玉粉を混ぜたらモチモチして美味しそうです」
「っ!? さすがです、アズ様! 早速試作してきます!」
「いってらっしゃーい。もぐもぐ」
私はパンをもぐもぐしながら、やる気で燃え上がったパネを見送る。
話を聞いていたカラマ料理長は、呆れた様子で格好よく頬杖をつき、
「あーあ。行っちまったよ。ありゃ満足するまで止まらないね。どうするんだい」
「どうするって言われても、止めてもあの状態のパネは止まりませんよ?」
「あぁー……少しくらいやらせたほうがいいか」
彼女がやる気なら私は止めません。止めるのはエドワード料理長のお仕事です……料理長、ごめんなさい! 少し試作したらちょっと満足すると思うの!
「カラマ料理長はあれからどうですか? 新しい和菓子を試作しましたか?」
「いいや。新しいものに手を出すより教えてもらったものの質を高めないとね。それに、どこかの誰かが考案した新作和菓子を園遊会に出すっていうから、そっちに力を入れているのさ」
ぐっ! 練り切りを振舞うことに決めた弊害がここに……!
ですよね。王宮の料理人の多くは園遊会に向けて頑張っているところですよね。
仕方がない。園遊会が終わるまで期待して待っておこう。
「あ、でも、これは作ったよ」
カラマ料理長が近くの容器を開けると、中から香ばしいニンニクの香りが漂ってくる。
「ポテトチップスのニンニク醤油味さ」
な、なんですとぉー!? 禁断の味を作ってしまわれたのですか!?
食べたい。食べてみたい。味が気になる! もう匂いが美味しい!
でも一つだけ、いや二つ大きな問題がある。それは――口臭とカロリー!
どちらも乙女の天敵なんですよぉー!
でも、絶対に美味しいに決まっている。美味しいから止まらないのは目に見えている!
心の中で乙女のプライドと乙女の食欲がせめぎ合う。
私はどっちを選べばいい!?
「うぐぐ……」
「おや。食べないのかい? 美味しいよ」
目の前で見せつけるようにパリパリと食すカラマ料理長。
くっ! 性格が悪い! わざとですよね!? 目がニヤニヤしていますよ!
心の天秤が食欲に傾きかけたその時、
「遅くなってすまない」
白く髪を染めたお忍び姿のキョクヤ様が厨房にやってきた。
今日は彼も練り切りの進捗を確認するため厨房に行くと事前に連絡を受けていたのだ。待ち合わせ時刻に少し遅れたのは、お仕事がお忙しかったのだろう。
夫がやって来たことにより、心の中の天秤が一気に乙女のプライドへと傾く。
「お疲れ様です。軽食に試作のパンはいかがでしょうか?」
「助かる。ちょうど小腹が減っていたところだ。これは……餡子のパンや抹茶のパンか。美味そうだ」
実際、とても美味しいですよ。オススメです。
「僕としてはこのニンニクの香りが気になりますね」
あ、居たんですか、ウィルヘルム。気づきませんでした。
「おや、悪戯坊主どもじゃないか。あの鼻たれ小僧どもがいっちょ前に大きくなりやがって」
「ぐっ! 昔のことは忘れろ……」
「やめてください!」
ほほう? 悪戯坊主とはどういうことですか?
キョクヤ様とウィルヘルムが露骨に嫌がっている子供の頃のお話が気になりますねぇ!
カラマ料理長も察したのか、ニヤリと唇を吊り上げ、
「聞いてくれよ、アズアズ。こいつらが子供の頃にな――」
「やめろ! 聞くんじゃない、アズ。君は聞かなくていい話だ!」
聞くなと言われたら逆に聞きたくなるのが人間の心理。
いつも無表情な仏頂面のキョクヤ様がこの焦りよう……聞かずにはいられない!
「私はあなたの妻として聞く権利があると思います」
「ぐっ……それはそうかもしれん」
「いやいやいや。奥様相手にチョロすぎません? 誰だって過去の一つや二つ、秘密にしておきたいことはあるでしょう。夫婦だからといってすべて知る必要はないと思います」
「むっ。それも一理あるか。アズ、君は知らなくていい。というか、知らないでくれ」
チッ! このメガネめ! あと少しでキョクヤ様を説得できそうだったのに。
ならば仕方がない。最終手段だ。
私は視線だけでカラマ料理長に訴える。
『二人がいないところで詳しく教えてください』
『もちろんいいよ!』
カラマ料理長から了承のウィンクが返ってきた。
よし。これでオーケー。カラマ料理長は私の味方。さっきも嬉々として教えようとしてくれていたし。
私はキョクヤ様の言葉に頷いていませんからね。二人が嫌がっている子供の頃のお話をぜひ聞かせてもらいます。
悪戯坊主……二人はどんな悪戯をしたのやら。とても楽しみ。
「で、この食欲をそそるニンニクの匂いは何ですか? 見たところパンじゃなさそうですが」
「それはこのポテトチップスさ。アズアズのアイデアを参考にさせてもらってね。ニンニク醤油味を作ってみた。味は保証するよ」
「いただいても?」
「もちろん。感想を聞かせておくれ」
ニンニクの匂いを気にしないのか、それとも口臭よりも食欲を優先したのか、ウィルヘルムはポテトチップスを一枚摘まんで、パリッと噛み砕いた。
数回ほど咀嚼して、メガネの奥の瞳がカッと見開かれる。
「な、なんですかこれは! こ、これはダメです……禁断の組み合わせですよ! 手が止まらないじゃないですか。どう責任を取ってくれるんです!?」
「そこまで言うか。どれ、オレも……」
「ウチの厨房でも大人気でね。あまりに食べるんで量を制限したくらいだよ。欠点はカロリーが高い油ものなのと、しばらく口がニンニク臭くなるくらいさ」
今にも食べようとしていたキョクヤ様は、『口がニンニク臭くなる』と聞いた瞬間、その手がピタリと止まる。
摘まんだポテトチップスをジッと凝視し、そして隣に座る私を見て、無言でそっとポテトチップスを元に戻した。
「……やはりオレはやめておこう。あとで食べる」
興味や食欲よりも男のプライドが勝ったようだ。
偉いですね、キョクヤ様。乙女の前でニンニク臭くならないのはポイントが高いです。ちょっと好感度が上がりました。
まったく気にせずパクパク食べているどこかのメガネとは大違いですよ。
「アズ様! ご挨拶が遅くなりすいませんっす! こちら、作り立ての練り切りっすよ! 味見をお願いするっす!」
「あらヨシノ。ありがとうございます。また腕を上げましたね。特に不死鳥の練り切りは、食べるのがもったいないくらい美しいです」
羽の一枚一枚や尾羽の先まで緻密に表現されている。赤と黄色のグラデーションも実に美しい。
動き出しても正直納得するほどの出来栄えだ。これは園遊会で話題になりそうだ。
「尾羽のほうに軽く金粉をまぶしたらもっと綺麗になりそうですね……」
「金粉!? それ採用っす! りょうりちょー! 金粉を用意してくださいっすぅー!」
料理長を顎で使う新人料理人。
まあ、エドワード料理長が気にしないのであれば、私からは何も言うことはない。彼も金粉をかけたらどうなるのか気になっているようだし。
「いただきます……ごめんなさい、不死鳥さん」
不死鳥に謝りながら一思いに掬ってパクリ!
口の中に広がる白餡の芳醇な味――あぁもう最高……! 文句なし! 100点満点! 語彙力が喪失してしまうほど美味しすぎる!
最高級の材料と最高級の腕前を持つ料理人の組み合わせは反則。
王太子妃になって本当に良かった。こんなに美味しい和菓子を食べられるなんて幸せ……!
「一口いかがですか?」
「ああ。いただこう」
匙で掬ってキョクヤ様の口元へ。彼は何の躊躇もなくパクッと食べた。
「うむ、美味いな。このまま陛下にお出ししても何の問題もないレベルに仕上がっている。こっちの若葉の練り切りも同じだぞ。食べるか?」
「はい、いただきます……んっ! 美味しいです」
「だろ?」
キョクヤ様から差し出された抹茶とこし餡の練り切りを口に含み、抜群の組み合わせに思わず口元がニヤけてしまう。
園遊会ではちゃんと顔を作るから今だけは許して……。
どうやっても緩んでしまうの……。
「おやまぁ! 見せつけてくれるねぇ!」
「最近、僕の前でいつもこれなんですよ。胃もたれが酷くて酷くて」
「お熱いっすねぇ! いいっすよ! もっとやるっす!」
外野は何を言っているのやら。練り切りの試食に集中させてください。
「園遊会に向けて、今は夫婦でイチャイチャの練習中なんです」
「どこか悪いところはあったか?」
「「「いいや、全然」」」
「そうか。ならいい」
「やりましたね。私たち、順調にイチャイチャしているように見えるみたいですよ」
「練習の成果が出ているようだ。このまま続けていこう」
「そうですね。頑張りましょう」
なので和菓子をもうひと口プリーズ! 早く食べたいです!
キョクヤ様と和菓子を食べさせ合ってイチャイチャの練習をしていると、カラマ料理長がニヤニヤと揶揄気味に問いかけてきた。
「お二人さん、間接キスのお味はどうだい?」
「「…………」」
私たちは同時に顔を見合わせ、目をパチパチと瞬かせる。
かんせつきす……カンセツキス……
「「か、間接キスぅ!?」」
事実に気づいた私たちは悲鳴に似た叫び声をあげ、お互いにそっぽを向く。
「気づいていなかったのかい? どこからどう見ても間接キスじゃないか」
わ、笑わないでくださいよ、カラマ料理長! 他のみんなも!
か、顔が熱い! 物凄く熱い! 絶対真っ赤になっている。汗も噴き出ている。顔から火が出てない? 大丈夫?
と、というか、か、かかかか、間接キス…………間接キスぅ!?
そうですよね、食べさせ合うということは、自分の匙を相手の口に含ませるということ――はぅっ!?
「~~~!?」
「おやおや。可愛く悶えちゃって。若いねぇ」
そ、そんな……私たちは人前で堂々と、か、間接キスをしていたということ……?
そりゃみんなが『見せつける』だの『お熱い』だの言うわけだ。バカップルかっ!?
間接キスと気づいていなかったのは、私とキョクヤ様だけ――。
「ほらほら。続けなよ。イチャイチャの練習なんだろ?」
カラマ料理長の鬼……! 鬼畜……! わかっていて促すんだから……!
無理無理無理! 間接キスと気づいてしまったら、もう人前でできませんって!
か、間接キス……はぅっ!?
「れ、練習はこれくらいにしておきませんかっ!?」
「そ、そうだな。そうしよう」
面白くないねぇ、というカラマ料理長の言葉は無視です、無視!
こういう時は和菓子を食べて落ち着きを……って、この匙はキョクヤ様が使ったものでは……?
練り切りを食べようとしても、どうしても間接キスのことを思い出してしまう。
くっ! こうなったら和菓子以外のもの、そう! あんパンを食べればいい!
キョクヤ様も同じ結論に至ったのか、私たちは奪い取るようにテーブルに並べられた試食のパンをスッと掴む。
そして、ほのぼのとした眼差しを向けられながら、お互いの顔を見ないようにモグモグとあんパンを頬張るのだった。
か、間接キス……はぅっ!?
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