第25話 見守る側近
「――イチャイチャとは何をすればいいのだろうか?」
いきなりそんな質問を問われて、ウィルヘルム・クレッセントは危うく椅子からずり落ちるところだった。
イチャイチャ――おそらく来月末の園遊会のことだろう。王妃サルビアの無茶ぶりは今に始まったことではない。
彼は椅子に座り直し、メガネもベストポジションに掛け直したところで、最近ずっと何かを考えている王太子キョクヤ・トワイライトに言い返す。
「真面目な表情で何かとても重大なことを考えていると思ったら、なんですかそれは。心配して損しました。イチャイチャ? それを独り身の僕に聞きます?」
「ああ。聞いている」
「鬼ですか、あなたは! 僕よりもあなたのほうがご存じでは? つい最近結婚したじゃありませんか。アズキ様と普段行なっているイチャイチャを実行すればいいと思いますよ」
「……オレとアズキ妃はイチャイチャしていない」
何を言っているんだか、と呆れるウィルヘルムに、キョクヤは至極真剣な表情で再度告げる。
「オレとアズキ妃はイチャイチャしたことがない」
「またまた、ご冗談を…………え? 本当ですか?」
「こんなことで嘘をつくか。本当だ」
突然の暴露に絶句したウィルヘルム。彼の脳裏にとある記憶が次々に蘇っていく。
夜遅くまで執務室にこもって仕事をしているキョクヤの様子が――
「失礼ながらお聞きします……アズキ様と夫婦の契りを交わしていますか?」
「……まだだ」
「この馬鹿は……!」
頭が痛い。猛烈に頭が痛い。頭を抱えずにはいられない。
女性経験がなく、意外と初心なところもあるキョクヤがここまでヘタレだったとは思いもしなかった。乳兄弟として今すぐ王太子妃アズキに謝罪したいところだ。
「初夜は? 初夜はどうしたんですか?」
「別々に寝たぞ。隣で寝るアズキ妃を蹴ってしまうかもしれないと考えると恐ろしくて堪らん」
「そうではなくて! どうして初夜に夫婦の契りを交わさなかったのですか!? アズキ様もお覚悟を決めていらっしゃったでしょうに!」
「あのな……朝早くから夜遅くまでオレたちは結婚式やら披露宴やら招待客への挨拶やら、休む暇もなかったんだぞ。食事もほぼしていない。式典に慣れたオレでさえも二度とごめんだと思ったほどだ。肉体的にも精神的にも疲労困憊のアズキ妃に無理をさせて契れと? 馬鹿を言うな。
言われてみれば確かに。
あの日はウィルヘルムをはじめとする臣下のほとんどが疲れ果てたのだ。すべての式が終わった時、どれほど安堵したことか。
裏方の彼らがそうなら、主役のキョクヤとアズキの疲労はどれほどだっただろう。想像もできない。
そしてその夜に夫婦の契りを交わせとか、鬼畜以外のなにものでもないだろう。
キョクヤの言うことはもっともだ。初夜は仕方がない。だが、その後にも夫婦の契りを交わしていないのはいかがなものか。
いや、それよりも重要なことがある。この言葉足らずな王太子が、初夜に契りを交わさない理由をアズキに述べて納得してもらえたかどうかがとても心配だ。
覚悟を決めたアズキを激怒させていないといいが。
「なぜまだ契りを交わさないのですか……」
「それはその……もう少しお互いのことを知ってだな……」
モゴモゴと顔を赤くして言い訳をするヘタレをぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。
ウィルヘルムは本能的に殴り掛かろうとする己の拳を懸命に押さえた。
「確かに知り合って半年ほどの王族では異例のスピード結婚でしたが……ヘタレるのもいい加減にしてください!」
「オレたちにはオレたちのペースがあるのだ」
「ならイチャイチャの仕方を僕じゃなくてアズキ様に聞けばいいではありませんか。この後いらっしゃるようですし。あとは夫婦でご相談ください。僕はもう何も言いません」
「いや待て。それは困る。あの母上がわざわざ忠告してきたのだ。イチャイチャしなければならない理由があるのだろう」
だからそれはアズキ様に、と呆れ声で言い返そうとした時、
――コンコン!
『アズキです。王太子キョクヤ殿下に和菓子を持ってまいりました』
噂をすればなんとやら。執務室の扉がノックされ、王太子妃アズキの声が聞こえてきた。
ちょうど良いタイミングだ。押し問答は終わりにして、ぜひ当人同士で話し合って欲しい。
あれだけヘタレていたキョクヤの顔が、妻の来訪を受けてキリッと引き締まる。
「入ってくれ」
「どうぞ、アズキ様。お入りください」
ウィルヘルムが扉を開けると、両手でお盆を持った和服姿のアズキが姿を現した。
おっとりと穏やかな面持ちの彼女に優美な和服はよく似合う。
「お仕事中失礼致します。一緒にお茶休憩でもいかがでしょうか?」
「あ、ああ……そうしよう。今日は侍女服ではないんだな」
「はい。今日は王太子妃として参りましたから。前回はどこかのメガネに着替えも許されず連行されましたし」
「おやおや。そのメガネとやらは最低な人間ですね。アズキ様を無下に扱うとは」
「ええ。本当に。思わずメガネを遠くへ放り投げそうになりました」
うふふ、ははは、と二人は素晴らしい笑顔で笑い合う。しかし、目は笑っていない。
本気でいがみ合う、というわけではなく、ただ単にアズキは前回の恨み言を一言言いたかっただけだったようだ。『次はありませんよ』と目で伝え、ふっと力を抜く。
「アズキ妃は和服がよく似合う」
「そうでしょうか? ありがとうございます」
「和服だとソファでは茶を飲みにくいか。隣の休憩室に移動しよう。そこには和室もある。ウィル」
「はいはい。かしこまりました。キョクヤ様は本当にアズキ様しか見ていらっしゃらないですね」
「な、なぁっ!? ウィル! どういう意味だ!?」
噛みつくキョクヤを見事にスルーし、ウィルヘルムは隣室へ通じる扉を開く。
執務室の隣は、給湯魔導具や簡易魔導コンロ、魔導冷蔵庫などが設置され、軽い軽食や飲み物を用意できる作りになっていた。六畳ほどの畳も敷かれ、ここに布団を敷けば仮眠することもできる。
「執務室の隣はこのようになっていたのですね」
「まあな。執務室では気を抜けないからな。休んでも休んだ気にならん。アズキ妃、飲み物はなににする? 一通りそろっているが」
「では、緑茶をお願い致します。和菓子にはやはり緑茶か抹茶ですから」
「そうか。ならオレも緑茶にしよう。ウィル」
「はいはい。かしこまりました。ご用意致します。しばしお待ちください」
ウィルヘルムがお茶を準備する間、二人は何もしゃべらなかった。
アズキは見るからにソワソワと挙動不審で、キョクヤは無表情だが、見る者が見れば緊張して落ち着かない様子なのがわかるだろう。
案外似たもの同士なのかもしれない。
最高級の玉露を淹れ、ウィルヘルムは彼らの視界に入らないところで待機する。
「ゴホン! 今日はどんな和菓子を持ってきてくれたんだ?」
「あ、はい。今日は『練り切り』という和菓子を持ってまいりました。園遊会でお出ししようかと考えている和菓子となります」
「ほう? 練り切りか……どんな和菓子なのだろうな」
「見ていただいたらわかるかと思います」
ニッコリ微笑んで、アズキは蓋を開ける。するとそこには、想像もしていなかった美しい和菓子が並んでいた。
「こ、これは……」
「これが練り切りです。主に白餡を使い、四季折々の風物詩や植物、縁起物を表現して、見て楽しみ、味わって楽しむ和菓子となります。『食べる芸術品』と言っても過言ではないでしょう…………こ、これは私が作ったので、とても下手ですが……」
今にもお盆で顔を隠してしまいそうなアズキを、キョクヤは素直に感心したように頷く。
「いや、正直とても驚いた。『食べる芸術品』か。素晴らしい。園遊会に出したら話題になりそうだ」
「本物はもっとすごいです! 厨房の方々の作品なんて感動するほど美しくて……こ、こんな不出来なものを持ってきてしまい申し訳ありません……」
「充分上手だぞ。『ハート』に……これは『鯉』だな。可愛らしい。この黄色く丸いのは……『満月』か! 実に風流だ……」
「っ!? そ、そう! よくお分かりになりましたね! 満月です! それは満月ですよね! 私の自信作です!」
これらのやり取りを聞いていたウィルヘルムは、思いっきり
何が『満月』? どこからどう見てもキョクヤの象徴である『太陽』だろう!
『ハート=愛』、『鯉=恋』、『太陽=キョクヤ』という、アズキからの大胆な愛の告白に気づかない彼は、本当に鈍感でバカだと思う。
今すぐ正座させて説教してやりたいくらいだ。
「ウィルヘルムにはこちらを。カトレアの作です」
「これはこれは。わざわざ持ってきてくださりありがとうございます」
ウィルヘルムは蓋を開け――ぐぅ、と喉から変な声が漏れ出た。
「は、母上ぇ……!」
そこに並んでいたのは、色とりどりの『ハートマーク』だった。白、緑、淡いピンク、薄黄色――実にカラフルなハートだ。
恋人や妻が作ったものだったら喜んだものの、これらを作ったのが実の母親だと考えると、とても複雑な心境だ。いや、複雑どころか、この年になって母から贈られるハートマークは辛い。ひたすら辛すぎる。
それをわかっていて、あの母親はわざとこれを作ったのだろう。むしろノリノリで作る。
我が母ながら性格が悪すぎる、とウィルヘルムは呻く。
「ウィル、それは……くふっ!」
「キョクヤ様! 笑わないでください!」
「す、すま……くははっ! よかったじゃないか、ウィル。愛されているな!」
「キョクヤ様ぁ! アズキ様も母を止めてくださいよ!」
「え? なぜですか? 母からハートをプレゼントされたら嬉しいではありませんか」
「ぐっ!」
これは男女の価値観の違いかもしれない。アズキは本気だ。
だが、少なくともウィルヘルムはとても恥ずかしい。乳兄弟のキョクヤに見られたというのがもっと嫌だ。しばらくは笑われ続けることになるだろう。
「……僕のことなどお気になさらず、お話をお続けください」
「仕方がない。揶揄うのは後にしよう」
「そうですね。後にしましょう」
やはり似たもの同士だと思う。息がぴったりだ。
キョクヤは笑うのを堪えて自らの手元の練り切りに目を落とし、
「練り切り……食べる芸術品か。いささか食べるのがもったいないな」
いざ食べようとしても崩すのがもったいなくて躊躇してしまう。
そうだろうか、とウィルヘルムは首をかしげる。すぐさまハートを二つどころか四つに割って食べたが。
「生ものですので日持ちはしません。またお作りしますので」
「むぅ。それは嬉しいが……くっ! 満月からいただくとするか」
比較的崩しやすい満月の練り切りを匙で割り、口に運ぶ。
白餡と聞いていたが、予想よりもしっかりとした口当たりで、口の中に柔らかな甘さがふわりと広がる。
溶けるような滑らかな白餡が実に美味しい。
「うむ……美味い。見た目も味も素晴らしい。これならば園遊会に出しても問題なさそうだ。風情ある雅な感じが和州式にもよく合う。くっ! 食べた後に飲む緑茶は堪らないな!」
「そうでしょう!? 和菓子にはやはり緑茶や抹茶ですよ!」
夫の口に合ったことでホッとしたアズキも、自分の練り切りを匙で掬って食べ始める。
んぅ~、と彼女の頬がほころんだ。幸せそうに和菓子を堪能する。
「練り切りをお出しするとしたら、何を模したほうがいいと殿下は思いますか?」
「ふむ。そうだな。この国の
「不死鳥と若葉……なるほど」
「これほどの大きさなら二つ出してもよかろう。オレはこの抹茶風味が気に入った。中のこし餡と実に合う」
「わかりました。料理人の腕次第ですが、不死鳥と若葉で検討していきますね」
彼らの相談を聞いていたウィルヘルムは思う。
『不死鳥と若葉』――貴族の中には深読みして『比翼の鳥と連理の枝の葉』を連想する者もいそうだ、と。
微笑みながら見守る彼は、そう推測しても口出しすることはない。もしそうなったとしても何もデメリットはないからだ。むしろメリットしかない。
比翼連理の王太子夫婦。実に喜ばしいことではないか。話題になること間違いなし。
「別の和菓子を追加してもいいか。少し量が足りんな」
「ミニサイズの大福とみたらし団子をいくつか、でしょうか?」
「そうだな。浮島も追加しよう。母上が気に入っていたからな」
「浮島……今度は三色にするのもいいかもしれませんね」
「それはいいな! オレも楽しみだ。呉豆腐……は合わないか。餡子団子やあんころ餅はどうだ?」
「練り切りと大福が餡子の和菓子なので、あまり餡子ばかりはいけないと思いますが……」
「それも一理ある、か。ならば、練り切り、大福、みたらし団子、そして浮島を振舞うことで進めていこう。アズキ妃もそれでいいか?」
「はい。もちろんです」
話がまとまりかけたところで、ずっと傍聴していたウィルヘルムが口を開いた。
「僕からも一つよろしいでしょうか」
「ん? なんだ?」
「使用される餡子は、粒餡ではなくこし餡のほうがよいと具申します。我々は慣れましたが、甘い豆というのはまだ世間一般で受け入れられておりません。アズキ様がご考案なされた和菓子で貴族たちの関心を買い、素材を探し始めたところでネタバラシと致しましょう」
「なるほど。それはいいな。間違いなく再現しようとするからな」
二人してあくどい笑いを浮かべていると、
「あの……貴族の方々の話題にならない場合もあるのではないでしょうか……?」
アズキは自信なさげに述べた。しかし、キョクヤとウィルヘルムは即座に否定する。
「いや、それはない」
「それはありえませんね」
あまりに素早い否定に彼女は目をパチクリ。
「なぜですか?」
「まず、アズキ妃が考案したというのが大きい。媚びを売ろうと話題にしてくるぞ。絶対にな」
「加えて、キョクヤ様や王妃サルビア様のお気に入りというのもあります。特にサルビア様の影響は絶大で、次の日には貴族のご婦人たちに広まっているでしょうね」
「母上なら嬉々として広めるしな」
「あぁ……そうでした。それはありますね」
ニコニコ笑顔の王妃を思い浮かべ……三人は同時にため息をついた。
その後しばらく相談や談笑を続け、練り切りも食べ終わって一服し、そろそろ解散の空気が流れ出したころ、
「アズキ妃に相談がある。園遊会に関する重要なことだ」
「はい。なんでしょう?」
決然とした面持ちのキョクヤの眼差しを受け、アズキも気を引き締めて姿勢を正す。
緊張に満ちた雰囲気の中、彼は真剣な声音で妻に問う。
「――イチャイチャとは何をすればいいと思う?」
「それは……重要な相談ですね」
一切笑うことも茶化すこともなく、むしろアズキも一層真剣な空気を醸し出した。
二人は笑いを噛み殺すウィルヘルムの存在など忘れ、夫婦そろって至って真面目に話し合う。
「イチャイチャ……ハグでしょうか?」
鈍感で恋愛に疎いキョクヤに対し、アズキも彼に匹敵するほど今まで恋愛沙汰には縁がなかった。
イチャイチャと言われても、ハグくらいしか思いつかない。
「せめて手を繋ぐくらいではないか? ハグをするタイミングがあるかどうか」
「今回の園遊会は和州式で、衣装は和装でしたね。なら手を繋ぐのが精いっぱいですか」
「うーむ。そうだ! 装飾品か何かをお揃いにしたらいいのではないか?」
「それはいいアイデアですね! ぜひそうしましょう!」
『子供か!?』と思わずウィルヘルムが突っ込みたくなる二人の会話。
中等学園の学生でももっとマシな案が出てくるはずだ。
まあでも、二人らしいと言えば二人らしい。ウィルヘルムは呆れると同時に、なぜかこのやり取りがしっくりくるのが不思議だ。
「他には……アーンはどうでしょう?」
「お互いに食べさせ合うってことか……なるほど。それはいいかもしれん」
「練り切りを数回食べさせ合えば、仲が良いアピールになると思います」
「よし。採用だ。やはりアズキ妃に相談して正解だった。何をしたらいいのか全然思いつかなくてな」
そう平然と述べたキョクヤが直前までウジウジとヘタレていたことをアズキは知らない。
「実は私もです。イチャイチャのイメージが湧かず、ずっと悩んでいました。殿下と話し合えてよかったです」
「……それも変えないか? 殿下は他人行儀に聞こえる」
「それもそうですね。では、以後『キョクヤ様』と呼ばせていただきます」
「ぐっ!?」
「どうしましたか、キョクヤ様? 何かおかしかったでしょうか?」
「い、いや、アズキ妃は何も悪くない……何も悪くないぞ……」
「そうやって視線を逸らして! やっぱり何かありますよね、キョクヤ様!」
「ぐぅっ!」
名前を呼ばれただけで喜んでいる
今まで女性に慣れていなかった弊害が出てしまったのかもしれない。でも、同じく男性慣れしていないアズキも彼の言動に気づく様子はない。
ニヤけた口元を隠して嬉しさで震える夫と、彼に詰め寄り無自覚にボディタッチをする妻――
園遊会では、何もせずともそのままの様子を見せつければ解決するのでは、とウィルヘルムは思う。
思った以上にお似合いの夫婦だ。将来は安泰そうでなにより。
「あぁ、お茶が甘い……」
イチャラブとは程遠い夫婦のほのぼのとしたやり取りを見守りつつ、一人お茶で一服するウィルヘルム。
渋いはずなのにお茶がとても甘く感じた――
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