第22話 試食会


「これだけ並ぶと、どれから食べたらいいか迷っちゃうわね」


 サルビア様の前に用意されている和菓子は、餡子を始めとし、綺麗に二層に分かれた浮島、タレを作ったみたらし団子、殿下が作った呉豆腐、みんなで作ったミニ大福、餡子団子、あんころ餅、甘納豆、あんみつ――。


 そして実は、お披露目していない米粉を使ったお菓子をいくつか隠している。まだ内緒。サルビア様を驚かせたいから。


 一皿一皿は少量だけど、これだけ並ぶと量が多い。小食な人は満腹になるに違いない。


「でも、やっぱり最初は『浮島』から頂こうかしら。自分で作ったものだからか、味がとても気になるの」


 一人分に切り分けられた浮島。『蒸しカステラ』という別名通り、カステラそっくりの見た目をしている。焼くのではなく蒸して作るので、上下の焼き目はないけれど。


 二層のうち下段は綺麗な抹茶の深緑色。上段は卵黄の淡い黄色。


 この二色の彩りが実に美しく、層の間に散りばめられた甘納豆が良いアクセントとなっている。


「いただきます」


 サルビア様はそっと上品に口元に運び――食べる直前で躊躇って、手が止まってしまう。


「あぁ……やっぱりちょっと怖いわね……。ごめんなさいね、アズさん。見た目が本当にカステラっぽくて……食べたくないわけではないのよ」


 一国の王妃だとしても、アレルギーは関係ない。みんな平等に体が反応を引き起こす。

 小麦と牛乳にアレルギーがあるとわかっているということは、何かしら一度はアレルギー反応を経験している可能性がとても高い。


 その証拠に、サルビア様の薄紫色の瞳は不安そうに揺れ、手が微かに震えている。

 小麦粉で作った洋菓子に似ているから、食べるにはとても勇気がいることだと思う。

 いきなり浮島は難易度が高かったかもしれない。


 サルビア様の恐怖を今の今まで私はわからなかった。理解していなかった。

 お気持ちを全然考えず安易に浮島を選んでしまったことを激しく後悔する。

 そんな時、


「――ったく、あたしたちを信じな! この厨房には小麦も小麦粉も牛乳も乳製品も存在しない! あたしたちは喰うも禁止してんだ。それに、同じ小麦アレルギー持ちが毒見して、美味そうににパクパク喰ってたぞ? それでも喰わないっていうのならあたしが貰ってやるよ。さっさと寄越しな!」


 一人の豪快で威勢のいい女性の声が、重苦しい空気をあっさりと吹き飛ばした。

 おそらくサルビア様とカラマ料理長は気心の知れた昔馴染み。だからこそ、自らのあるじたる位の高い相手にもズバズバと言うし、サルビア様もムスッと素の表情を見せるのだ。


「食べないとは言ってないじゃない……食べないとは……」

「お? 美味いじゃないか! これいいな!」

「ちょっと! 私より先に食べないで!」

「いいじゃないか。あたしも一緒に作ったんだしさ。細かいことは気にするんじゃないよ! って、メチャクチャ美味いな……」

「あぁもう! いただきます!」


 カラマ料理長に乗せられた形で、サルビア様が浮島をパクッと頬張った。

 モグモグと咀嚼すること数秒。薄紫色の瞳がキョトンと瞬く。


「美味しい……」

「だろう?」

「なんでカラマが得意げなの」


 はぁ、と軽く呆れたサルビア様は、スッと姿勢を正したかと思うと、凛とした澄んだ眼差しで私を真っ直ぐに射抜いた。


「アズさん……いえ、アズキさん。この浮島という和菓子は、とても美味しい……とても美味しいの……。本当にありがとうね、アズキさん。実はずっとこういうお菓子を食べてみたかったの」

「あ、頭をお上げください、サルビア様!」

「いいえ。感謝を言わせてちょうだい。叶えられないと思っていた夢が叶ったのだから。あぁ……本当に美味しいわ……」


 軽く涙ぐんで食べながら、何度も何度も『美味しい』とおっしゃるサルビア様。

 私もちょっとウルっとしてしまった。こういうお話には本当に弱い。


 サルビア様……本当によかったですね……。


 でも、やはり心配は拭いきれない。カラマ料理長にコソッと囁いて確認する。


「カラマ料理長……本当にアレルギーを発症しませんよね?」

「ははは。一番心配なのはあんたかもしれないね。もちろん大丈夫さ。ほら、そこで同僚の分まで浮島をパクパク喰っているやつ、そいつはサルビア様よりも酷い小麦アレルギー持ちで、今回の毒見役さ。1時間近く経つのにピンピンしているだろう?」


 私たちの視線に気づいたのか、小麦アレルギー持ちという30代くらいの男性が、浮島を頬張りながら『どもっ!』とペコペコ頭を下げた。


 どう見てもアレルギー反応を引き起こしている様子には見えない。

 あぁ、元気そうでよかった……。


「ねぇねぇ! 浮島と小麦粉を使ったカステラの食感は同じなの?」

「いや、違うね。こっちはしっとりと滑らかで、口どけが柔らかいだろう? きっと白餡のおかげだね。んで、小麦粉のカステラのほうは、フワフワした食感さ。例えるなら……なんだろう?」


 王宮の料理長でさえも言い淀み、パッと思いつかなかったらしい。

 小麦粉を使ったお菓子は思いつくのだろうが、食べたことがない、いや食べられない人には伝わらないはず。

 こういう時にはこれです! 丁度良いタイミングなのでお披露目しましょう!


「カトレア。あれを持ってきて」

「かしこまりました」


 私の命令でカトレアが持ってきたのは、ふっくらと膨れ上がったカップケーキのような蒸しパンである。


 もちろん、小麦粉ではなく米粉を使用している。

 種類は三つ。黄色のプレーン。緑色の抹茶。淡い茶色の黒糖。


 さっき話題にも出た紅茶味を用意しても面白かったかもしれない。

 これが一番カステラの食感に似ているのではないだろうか。


「これは……」

「米粉を使った蒸しパンです。カステラの食感に似ていると思われます。順にプレーン味、抹茶味、黒糖味です。カトレアに作ってもらっていました」

「カトレアが……そうだったわね。あなたも何か作っていたわね」

「はい。こちらもお作り致しました。米粉のクッキーでございます。アズキ様よりレシピを教えていただきました」

「まぁ! クッキーまで!」


 こっそり用意していたサプライズに驚いてくださったようでなにより。

 用意しておいて本当によかった。今日、カラマ料理長たちにレシピを教え、そこからサルビア様に……というつもりだったのが、結果的に功を奏した。

 私も想定していなかったのだけど、これでドッキリの分はやり返せたかな?


「食べてもいい?」

「もちろんでございます」

「はい。お召し上がりください」


 三種類の蒸しパンを一口ずつゆっくりと味わい、サルビア様は美味しそうに顔を綻ばせる。

 私には、いつも浮かべていらっしゃる笑顔よりもずっと輝いて見えた。


「アズキさん」

「はい。何でしょうか」


 サルビア様が真剣な表情を浮かべられたので、私の体に緊張感が駆け抜ける。



「――私の娘にならない?」



 ……はい?

 あ、あの、ちょっと待ってください? え、えーっと……どゆこと? 裏の意味は……?


「も、申し訳ございません。一体どういう――」

「母上。何を言っているのですが。アズキ妃はもうあなたの娘でしょうに」


 で、殿下ぁー! 会話に割り込んでくれてありがとうございます……! 久しぶりに感謝した気がしますよ……!


「あぁ……アズキさんが実の娘だったらよかったのに……! キョクヤ。あなた代わらない?」

「何を馬鹿なことを」

「アズキさんのこと気に入っちゃった! だから代わって? あなたが婿でいいから、ね?」

「とうとう耄碌しましたか」

「耄碌って酷い! アズキさぁーん! 婿がイジメるぅー!」

「婿ではありません。アズキ妃、その人のことは無視していいぞ。相手をすればするほど調子に乗るからな。気にせず和菓子を食べるといい。オレも食べる」

「は、はぁ……」


 サルビア様に実の娘同然に思われることは大変光栄なことなのだけど……なんだかより一層振り回される未来しか見えないのはなぜだろう。


 う゛っ……考えただけでもストレスが……。


 こういう時は和菓子を食べるに限る。

 もぐもぐ。うん、美味しい!


「あら。あっさり振られちゃった。アズキさんは和菓子を本当に美味しそうに食べるわね」

「彼女はオレよりも和菓子を取るでしょうね」

「……あなた、それでいいの?」

「正直複雑ですが、この笑顔が失われるのは憚られるというか」

「ああ。それはちょっともったいないかもね」


 和菓子を堪能していると、何やら殿下とサルビア様がじっと私を見つめていることに気づいた。

 どうしたのだろう? これを食べたいのかな?


「殿下がお作りになった呉豆腐は、とても美味しいですよ。初めてとは思えないほどお上手です」

「っ!? そ、そうか……それはよかった」

「あれ? このミニ大福は殿下がお作りになったものですね。ふふっ。破れています」

「なっ!? ア、アズキ妃!? 食べなくていいぞ!」

「いえ、折角ですし、いただきます……ふむ、やはり美味しいですね!」

「っ!? そ、そうか……」


 求肥が破れても大福は大福。味は何も変わらない。

 それに、この不器用な形も頑張って作った感があって、ほのぼのと癒される味だと思う。


 悪戦苦闘しながら必死になっていた殿下のあのお顔……ふふふ! 思い出しただけでついニヤけてしまう。


 って、あらら。恥ずかしさで赤くなった顔を逸らさなくてもよろしいではありませんか。いいのですか? もっと笑ってしまいますよ?

 夫の意外と子供っぽいところを心の中でニヤニヤしながら観察していると、


「あらぁー。甘いわねぇー」

「わたくし、甘すぎて胸焼けになってしまいそうです」

「ったく、口の中が甘ったるくてしょうがないよ!」


 サルビア様とカトレアとカラマ料理長が、私たちを見守りながら和菓子を食べつつ、三人で盛り上がっていた。

 えーっと、甘い、とは……?


「甘さ控えめに作ったつもりでしたが、まだお砂糖が多かったでしょうか?」

「そういうことじゃないと思うっすよ……」

「えっ……?」


 遠くからボソリと聞こえてきたヨシノの言葉に私は首を傾げる。

 そういうことじゃないってどういうこと?


 うーむ。考えてもわからない。


 まあいいや。考えてもわからないから、和菓子を食べましょう! 目の前に並んでいるのに食べないのは和菓子に失礼!


「む? アズキ妃? 蒸しパンに餡子をのせて食べるのか?」

「はい。美味しいですよ」

「なるほど。餡子とトーストが合うのなら、蒸しパンにも合うか。どれ、オレも試してみよう」

「じゃあ、私も」

「では、わたくしも」

「あたしも。料理人の端くれとして、試さないわけにはいかないね」


 和気あいあいと進む和菓子の試食会。

 最初こそ予想だにしなかったサルビア様のご登場に驚き、双方の料理人のプライドをかけた和菓子教室になってしまったものの、今では誰もが和菓子を味わい、堪能し、笑顔になっている。

 ヨシノと他の料理人も、お互いの健闘を称え合って仲良くなっていた。

 これも和菓子様のおかげ!

 神様仏様和菓子様! 本当にありがとうございます。


「うん、やっぱり和菓子は美味しい」


 和菓子を食べながら私は思う。

 今回の和菓子教室は大成功なのではないか、と――


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