第19話 和菓子教室が……始まらない!
王太子妃教育で真っ先に鍛えられたのが顔の作り方である。
あらゆる状況、どんなに挑発を受けても、どんなにストレスを感じても、心の中に押し隠し、決して面には出さない笑顔の処世術が王族には求められるという。
マナーの先生曰く、『心の中では何を言ってもいいのよ? 泣き言でも、恨み言でも、暴言でも――表ではニコニコ笑顔でいながら、心の中で爆発させなさいな』とのことだが。
感情を抑え込もうとするといつか心身に無理がくるらしい。だから心の中で大いに滾らせ、誰もいないところで発散しなさい、と教えられた。
その時の先生の笑顔が実に美しすぎて忘れられない。先生も苦労しているんだろうな、と察したから――
「時間も限られていますし、始めましょうか」
ストレス性の鈍痛を発する胃を隠して、私は笑顔の仮面を被る。
「ルビア様と私は、今回のために考案した新作和菓子『浮島』を作りたいと思います。時間があれば、みたらし団子のタレや大福も作りましょう。カラマ料理長、お手伝いをお願いします」
「新作和菓子! うふふ。楽しみね!」
「あいよ。承った」
サルビア様とカラマ料理長の相手は私がするとして、
「ヨシノ、あなたはお団子や求肥を作って教え――って、ヨシノ!? しっかりしなさい!」
「はぇ……?」
彼女の意識はまだ遠いところにいた。
私の呼びかけに辛うじて意識を取り戻すが、ガクガクブルブルと震えて使い物にならない。顔面は血の気が引いて蒼白だ。
「ア、アズ、さまぁ……ウ、ウチは、無理っすよ……」
緊張と恐怖に呑まれていますね。
料理人たちだけだったら何とかなったものの、サルビア様がいらっしゃったことで失敗できないという恐怖に支配されているのだと思う。
そうなっても無理はない。彼女は幼い頃から鍛えられた王侯貴族の娘ではない。一介の料理人なのだ。王妃様を前に委縮してしまうのも当然。
でも、ヨシノがしっかりしてくれないと私が困る。
今回は今までに作った和菓子のほぼすべてを作ることになっている。
私がサルビア様のお相手をする分、お団子や白玉団子、求肥など、今回作る和菓子に必要不可欠なものをヨシノに作ってもらわないといけないの。
だからしっかりして欲しいのに、ヨシノったら……全然ダメそうね。このままではすべて台無しになってしまう。
こうなっては仕方がない。一度彼女に活を入れなければ。
「ヨシノ!」
「っ!? はいっす!」
侍女アズアズではなく、王太子妃アズキとしての仮面を被った私は、怯える新人料理人ヨシノを鋭く見据える。
強く威圧したことによって一時的に恐怖が吹き飛んだらしく、意識が覚醒した彼女は反射的に騎士のような直立不動の姿勢を取った。
そのまま私は王太子妃として告げる。
「ヨシノ。あなたは誰の料理人ですか?」
「はいっす! 敬愛する王太子妃アズキ様であります! ついでに王太子キョクヤ様もっす!」
「……オレはついでか」
よろしい! ハキハキと答えるヨシノはいつもの元気な彼女だ。私の一喝に調子を取り戻し始めたみたい。
あと、ボソッと呟いたどこかの
「あなたは王太子妃を敬愛していますか? 本当に?」
「もちろんっす! ウチらの誇りっす! この想いは誰にも負けるつもりはないっす!」
「そう。ならヨシノ。あなたがブルブルと震えて何もしなかったらどうなると思いますか? あなたの行動の結果、敬愛するという
「それは……アズキ様のご尊顔に泥を塗ることになる……あっ!」
そして、彼女は今までの行動を振り返り、先ほどとは違う意味で顔を真っ青にした。
うむ。わかったようでなにより。
あなたの行動が私の評価に直結するのよぉー! だから、お願いだからしっかりしてぇー! サルビア様の御前なのぉー! 本当に頼みますからぁ!
心の中でヨシノに泣きつきながら、私はさらに告げる。
「ならやることはわかっていますね? あなたの腕は
「はっ! 御意に――」
よし。見事に復活しましたね。やる気に満ち溢れていい感じ……って、え?
これで無事に和菓子教室が始められると思った矢先、ニコニコ笑顔で圧倒的な威圧感をまき散らしている王族がいた。
王妃サルビア・トワイライト様――お忍びの仮面を拭い捨てて、冷たくも美しい王妃としてそこに立っていらっしゃった。
「――あらあら。それは
私なんかとは年季や経験、そしてオーラの濃さがまったく違う。無意識に頭を垂れたい衝動に駆られる。
王妃専属の料理人たちも、敵意にも似た鬼気迫る迫力を醸し出している。
正直、心が屈してしまいそう。怯えで微かに手先が震える。
でも、私は腹に力を入れて、王妃サルビア様の瞳を真正面から見つめ返した。
空間が軋むような王妃と王太子妃の笑顔の睨み合いだ。
ヨシノも臆することなく、同僚を睨み返している。
たった二人で立ち向かう私たちに、サルビア様はまるで勇者を待ち構えていた魔王のようにニヤリと唇を吊り上げ、嬉しそうに笑う。
「よろしい。ならば受けて立ちましょう。構いませんね?」
「「「はっ!」」」
料理人たちの威勢のいい声がビリビリと厨房に響。
ならば、と私も半ば自棄になって負けじとヨシノに命じる。
「ヨシノ。
「いいっすね! 面白そうっす!」
「では、いざ尋常に下剋上といきましょう!
「御意に!」
獰猛な笑みを浮かべて、ヨシノは料理人へ教えに向かった。
いつの間にかお互いの腕と
これは教え合いであり、料理人たちの凌ぎ合いだ。
絶対に負けられない――誰もが向上心を剥き出しにして、瞳を轟々と燃やしている。
私は思う。
――どうしてこうなった!?
もっと和気あいあいとした和菓子教室を想定していたのに、どうして戦いみたいになっているの!?
私、サルビア様のところの料理人を煽ったつもりはないんですけどぉ! ヨシノを元気づけたかっただけなんですけどぉ!
「……女とは怖いな」
黙ってください、仏頂面殿下ぁ!
ずっと母と妻の睨み合いを少し離れた場所で我関せずと観戦していた役立たずの分際でぇ! いつも言葉足らずでしょうが! こういう時こそ黙っていなさいよー!
今度絶対、新作和菓子を彼の目の前で食べ尽くしてやる……! これは復讐です!
あぁ、もうヤだ……絶対わかってて乗りましたよね、サルビア様ぁ……!
「うふふ。アズキさんは人心掌握が上手いわね。みんなあんなにやる気を出しちゃって……驚いちゃった」
心の中で嘆いていると、王妃のオーラを消して、ただのコロコロ笑う貴婦人に戻ったサルビア様が近寄ってきた。
サルビア様……恨みますよ……!
「今度、私のところへいらっしゃい。人を上手く操る
「え? いや、しかし……」
「これは私の義務なの。アズキさん、そしてそこでのほほんとしているキョクヤも覚えておいて。国王と王妃は、後継者を育てる義務がある。決して私たちのようになれとは言わない。あなたたちは教えを受けながら、己の道を見つけなさい。いいわね?」
私たちは素直に頷き、心に刻む。いずれ私たちも通る道なのだから――
「じゃあ、私の義務を果たさせてね!」
「は、はい。わかりました。お伺い致します……」
う゛っ……なんか決まってしまった。考えただけでも胃が……!
「って、ただの料理人と侍女が何を言っているのかしらね! おほほほほ!」
もう誤魔化しても遅いと思いますよ、サルビア様。誰もが察して見て見ぬふりをしてくれているだけです。
「さてさて、私たちは出遅れちゃってるわね。早速始めましょうか、アズ先生?」
せ、先生は心の底から勘弁していただきたく!
どうにかしてください、殿下! こういう時は妻の味方をしてくれますよね!?
「オレは邪魔にならないよう端に座っていよう。カトレアが相手になってくれるだろうし」
こ、こんの薄情者ぉー! もともと情は期待してなかったけどぉー!
「残念ながら! カトレアにはお願いしていることがあります!」
「そうか……本当だ。カトレアも何か作っているな……で、何を怒っているんだ、アズ?」
「教えません!」
「あらあら。意外と夫婦仲はよさそうね。カトレアの料理も楽しみだわ」
『どこが仲良さげに見えるんですか!?』と言いたい気持ちをぐっと堪え、私はやるべきことをする。
そろそろ始めないといつまで経っても終わらない。
多大なるストレスを和菓子で癒したい。
そのためには一刻も早く和菓子を作らねば!
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