第18話 料理人ルビアと先生……?


 本日は、国王陛下と王妃殿下の御食事を作る厨房へお邪魔する予定です……。

 目的は、アレルギー持ちの王妃サルビア様でも食べられるという、私が考案した(ということになっている)和菓子の作り方を料理人に伝授すること。


 本当は行きたくないけれど、行かなければならない。

 サルビア様との約束を破るわけにはいかないの。


 でも、気が楽と言えば楽。今日教えるのは料理人相手だから!


「行きましょうか」

「は、はいっす……」

「かしこまりました」


 前日に一度向こうの厨房にお邪魔して若干やつれて見えなくもないヨシノと、お目付け役のカトレアの二人を連れて、いざ行かん! 戦場ちゅうぼうへ!

 そして、真っ先に出迎えてくれたのは、薄紫色の瞳を持つ、見覚えがありすぎる割烹着姿の女性だった。


「――あらあら。いらっしゃい。あなたたちがアズアズさんとヨシノさんね。カトレアもご苦労様。今日はアズアズさんとヨシノさんを先生って呼んだほうがいいかしら?」


 コロコロと微笑むお上品な貴婦人。


 ――な、なななな、なんで様がいらっしゃるんですかぁー!?


 し、心臓が止まるかと思った……。

 変な叫び声をあげるところだった……。

 咄嗟に我慢できたのを誰か褒めて欲しい。引き攣りながらも笑顔を浮かべていられる私ってすごくない……?


 今日は料理人に教えるだけでは? なのになんで? どうしてぇ!?


 鍛え上げられた表情筋は笑顔を維持しつつ、予想外の出来事に脳が軽くパニックを起こしている。


「サ、サルビ――」

「違いますよ。私の名前は。この厨房の料理人をしているの。アズさんって呼んでもいい?」

「はい……。ルビア様、本日はよろしくお願い致します」

「はい。よろしくね、アズさん。ヨシノさんも」

「は、はいっす!」


 思わず素の口調が飛び出て顔を青から白へと変化させたヨシノだったけれど、サルビア様はお気を悪くした様子はなく、うふふ、と悪戯っぽく微笑んでいらっしゃるだけ。

 私はヨシノに視線を向け、視線が交差した一瞬で意思疎通を図る。


『こ、このお方、お、王妃、サルビア様……っすよね?』

『そうです。サルビア様です。昨日、サルビア様はいらっしゃった?』

『いらっしゃらなかったっすよ! いらっしゃったらウチは今日、ストレスが原因で入院してるっす!』

『ですよね……なんでいらっしゃるのですか?』

『ウチに聞かれても困るっすよ!?』


 ですよね……。私たちにわかるわけがないか。本人のみぞ知る。



「――やはりこうなったか」



 その時、突然背後から男性の呆れ声が聞こえてきた。

 振り返ると、いつの間にか不死鳥のイヤリングをした白髪のイケメン男性が立っていた。

 お忍び中はビャクヤと名乗る、王太子キョクヤ・トワイライト――私の夫だ。


「あら。ビャクヤじゃない。どうしたの?」

「どうしたの、ではありません。どうせこんなことだろうと思って監視に来ただけです」

「アズさんを?」

「母上を、です!」


 あのー、サルビア様に言い返しているところ申し訳ありません。

 今、『どうせこんなことだろうと思って』とか言いませんでした?


 もしかして、この展開を想定していた……?

 なら教えてくださいよぉー! いつもいつも言葉足らずなんですってば! 今朝も一緒に朝食を食べたでしょうがぁー!


「あの母上が何もしないはずがない。これくらい簡単に予想できました。なあ、アズ? …………アズ?」


 ぐふぅ! そ、そうでした……。あのサルビア様ですもんね。


 一度冗談で『サルビア様がいらっしゃったら……』とか言ったけど、サルビア様は本当にそれを実行してもおかしくないお方だった。むしろ、実行しないほうがおかしい!


 料理人に教える――なるほど。今のサルビア様は王妃ではなく料理人ルビア。嘘ではないですね、嘘では。


 最初から料理人に扮して直接教わるおつもりで……なんて想定できるかっ!? 一国の王妃がお忍びでいらっしゃるとか普通思わないから!


 どうせ半分は和菓子への興味で、もう半分は私を驚かせようと思っていたのでしょう!?

 その証拠に、とても嬉しそうに微笑んでいらっしゃる。


「あらあら。アズさんは想定が甘かったようね。ドッキリ大成功~! 私、可愛いお嫁さんと一緒にお料理をしたかったの!」


 ぐふぅ……そ、そうなのですか……。

 想定が甘かったのは事実です……しょ、精進致します……。


 この場にお忍びとはいえ王妃様と王太子殿下がいらっしゃっることで、ヨシノの顔は土気色だ。今にも白目を剥いて倒れてしまいそう。


 本当に大丈夫……? まだ始まってもいないですよ……? 頑張って耐えて!


「あたしにもそろそろ紹介してくれないかい?」


 おっと。いつまでも入り口で喋っているわけにはいかないですよね。

 声がしたのでヨシノを支えるように厨房の中へ入ると、整列した料理人の一人がスッと前に出た。


「あたしがこの厨房を任されている料理長のカラマさ。今日はよろしく頼むよ!」


 豪快で威勢のいい、でも親しみやすい女性だ。年齢は4、50代くらいだろうか。髪は短く、刺青のような剃り込みが入っている。肌は黒く、しなやかな体つきで、賢くも美しい黒豹を連想させた。


 この王宮の料理長は皆、身長が高くないとやっていけないのだろうか。彼女も身長2メートルを超える長身で、エドワード料理長よりも細身だから、余計に背が高く見える。


「初めまして。王太子妃アズキ様の侍女、アズアズと申します」

「初めましてだね。ふーん。新しい和菓子を作っているって聞いてたからどんな子かと思っていたけど、良い子そうじゃないか。うん、気に入ったよ」

「あ、ありがとうございます……」


 至近距離で顔をジロジロ見つめられて、ちょっと恥ずかしい。


「そっちの意識を失いそうなヨシノって子が、粒餡やこし餡、白餡、甘納豆といったものを事前に教えてくれたよ。あれはいいね! バターや油を使わなくていいから健康にいい。久々に創作意欲が刺激されて、あたしたちは少し寝不足さ!」


 あっはっは、と豪快に笑う料理長カラマ。その元気溌剌な姿は全然寝不足とは思えない。


 ちなみに、創作意欲が刺激されて思いついたものを後でお聞きしてもよろしい? 和菓子好きとしてはとても気になるの。


 ひとしきり笑った彼女は、スッと神妙な顔つきになる。そして、自責の念と後悔、そして己への怒りが混ざった声音でカラマは告げた。


「我らが王妃サルビア様には本当に申し訳ないことをした。アレルギーがあるからと徹底的に排除して、それで満足しちまった。あたしたちは、アレルギーがあっても食べられるものを作ろうとしなかった……! 思いつきもしなかったよ……! あたしたちは料理人失格さ……」


 悔しそうに拳が握られる。爪が肌に食い込み、料理人の武器である手が今にも怪我しそうなほどの力の入れ具合だ。


 他の料理人もカラマ料理長と同じように己の過去を振り返っては恥じて、悔い、唇を噛んでいる。


 彼らはお忍びでいらっしゃるサルビア様に頭は決して下げない。サルビア様も何もおっしゃらない。


 きっともう既にサルビア様に深く深く謝罪した後なのだろう。そしてサルビア様は、それをお許しになった。もう謝罪するなと命じられたのかもしれない。これから期待している、とも――。


 私は一言言いたい。



 ――重い! 重すぎる! 空気がとんでもなく重いっ!



 緊張しつつも『和菓子を広められるチャンス!』と結構軽い気持ちで教えに来たのに、まさかこんなにも重苦しく、責任と重圧プレッシャーが重くのしかかるものになるとは想定していなかった。


 もう押し潰されそう。胃が痛い。和菓子を食べて癒されたい……。


 悔し涙を堪えるように天井を向いて、ふぅー、と大きく息を吐いたカラマ料理長は、誇りある王宮の料理人らしく獰猛で剣呑な光を宿して、深々と頭を下げる。


「だから今日はよろしく頼む。あたしたちに新たな和菓子を伝授してくれ。サルビア様でも食べられる和菓子を――」

「「「お願いします!」」」


 もちろんですとも! 期待に応えられるかわからないけれど、ぜひ教えさせていただきます!


 なんか少し安心した。ヨシノが軽くやつれていたからどんな場所かと思っていたら、とても素晴らしい場所じゃない。


 やっぱりエドワード料理長の厨房と似ている。

 彼らも一切驕り高ぶっておらず、己の職に誇りを持ち、料理を食す王族のことをひたすら想って腕を振るっている。


 実は私、そこまで偉い人じゃないんですよ。多大なる誇りを向けてくれるのが本当に申し訳ないくらいなの。

 でも、彼らに恥じないよう頑張るつもりではある。そう心に決めている。


「アズさん。彼ら、良い子たちでしょう?」


 今までずっと見守っていたサルビア様が、ニッコリ笑顔で続ける。


「彼らは私の誇りなの。気にしないでいいって言ったのに、まったく……」


 やれやれ、と呆れているが、頭を下げ続ける専属料理人たちを見て、サルビア様は嬉しそうだ。


「アズさん。早速始めてくださる? そうしないと、この子たちはずっと頭を下げ続けそうだから」

「はい。かしこまりました」


 うむ。その可能性は大いにある。誰一人、一ミリたりとも頭を上げようとしていないから。むしろもっと深く頭を下げようとしているし。

 サルビア様は厨房に鳴り響くくらい、パンパンと手を鳴らす。


「はい。全員頭を上げなさい。あなたたちのお仕事は頭を下げることではないでしょう? 今日はみんな初心を思い出して先生に教えを請いましょう」


 せ、先生っ!?


「「「はい! お願いします、先生!」」」


 一斉に料理人たちの返事が厨房にこだまし、『先生って誰のこと……?』と現実を受け入れたくない私に、サルビア様は悪戯っぽく微笑みかけて非道な現実を突きつけてくださる。


「では後はお願いしますね――アズ


 う゛っ……胃が……!


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