第17話 甘納豆



 甘納豆を作るには、少し時間がかかる。


 まず、金時豆を一晩水に浸して水を吸わせる。

 これは餡子作りでも同じ。まあ、浸さなくても作れるけれど。したほうが茹で時間が短くなるからオススメ。


「ふむふむっす!」


 次に、水を入れ替え、沸騰するまで金時豆を煮る。

 沸騰したらお湯を捨てる。これは灰汁抜きの意味があるの。豆を柔らかくするのは二の次だから、さほど気にしなくていい。


「なるほどっす!」


 そして、今度はあまり沸騰しないようじっくりコトコト茹でていく。

 豆が柔らかくなるように。でも、煮崩れさせては決してダメ!

 潰したら、それはもう餡子だ。甘納豆は豆の形を保つことがとても重要。見た目も綺麗に仕上がるし。


「了解っす!」


 豆を煮ている間、豆を漬けるシロップを作る。

 甘納豆とは、豆の砂糖漬けなの。

 茹でた豆をシロップに漬け、糖分を浸透させなければならない。

 材料は、水、砂糖、水飴の3つだけ。混ぜるだけでいいのでとても簡単。


「簡単っすね!」


 豆が柔らかく茹で上がったら、シロップに1時間ほど漬ける。

 その後、さらに砂糖を追加してシロップの糖度を上げ、また沸騰させる。

 軽く沸騰させたら火から下ろし、一晩漬け込みます。


「また一晩っすか!?」


 砂糖漬けですからねー。これくらいしないと。

 そしてそして――


「砂糖をふんだんに使った甘ったるいシロップに漬けて一晩経った豆が――」

「こちらになるっす!」


 ドドーンと置かれた大きなお鍋。

 某クッキング番組のように、あらかじめ用意されていたものがこちらになります。


 事前に打ち合わせしていないのに、息の合ったコンビネーションを見せた私とヨシノ。

 もうノリノリですよ。上手くいったので、お互いにグッとサムズアップ。


 ……カトレアの呆れた眼差しなんか無視です、無視!

 こちらから見なければ、見られていないのと同じ!


 昨日、白餡を作りながら、横でせっせと甘納豆の準備をしていたの。

 突然フラッと現れたどこかの誰かさんは興味津々だったけれど、一日で完成しないと言ったら残念そうにしていた。


 その誰かさんは、さすがに二日連続で来る余裕はなかったらしく、今日の厨房にはいない。


 お仕事、頑張ってくださいねー。

 いちおうあれでも夫なので、心の中で応援しておく。心の中だけ、ね……。

 甘納豆が完成したら持っていきますから。


「この砂糖漬けの金時豆を……」

「どうするんすか?」

「また煮詰めます」

「煮るんすか!? 昨日も煮たっすよね!?」

「目標は糖度75度以上ですね」


 あまり煮すぎると飴がべっこう飴状になってしまうから、気をつけなければならない。

 それさえ気をつければ、煮るだけの簡単な作業。

 ヨシノたちと談笑や和菓子談議をしながら待つこと数十分――そろそろよさそうな頃合いになってきた。


「このくらいでいい、と思います……多分」

「多分なんすか」

「プロではありませんから、見ただけで判断できないんですよ。見た目は全然変わりませんし」


 砂糖漬けされた金時豆にしか私には見えない。美味しそうとは思うけれど。


 前世では、あまりの面倒臭さに一回作って終わりにして、後は市販の甘納豆を買っていた記憶がある。自分で作るよりも遥かに美味しいし。


 今回は試作。何度か失敗を繰り返しながら、最終的に美味しい甘納豆ができれば万々歳!


 王妃サルビア様の厨房へ教えに行くまでもう少し時間の余裕はあるし、それまでに完成を目指しましょう!


「火を消して、シロップから金時豆を取り出して、冷やすついでに軽く乾燥させますよ」

「はいっす!」


 平らに並べれば乾燥が早い。

 このままだと厨房の利用時間ギリギリなので、早く乾いてくださいねー。


 シロップは、もったいないので残しておく。

 おそらく、この後もヨシノたちは甘納豆作りに勤しむのだろう。その時に再利用してもらいたい。


「金時豆が乾いたので、最後にグラニュー糖を振りかけて――甘納豆の完成!」

「おぉー! 豆そのままっすね!」


 見た目は、グラニュー糖がかけられた金時豆そのもの。でも、中までしっかりと甘くなっている……はず!


「ヨシノ。カトレア。試食をお願いしますね」


 二人が興味津々で甘納豆を咀嚼し、パチクリと目を瞬かせる。

 どう? 美味しい? ちゃんと甘納豆になっていた?

 驚きの表情のように見えるから、不味くはないと思うのですが……どうなんです!?


「餡子とは違い、豆の食感がしっかりと感じられますね。あれだけお砂糖で煮詰めていたのでもっと甘いかと想像しておりましたが、そんなこともなく、ふとした時に摘まめそうな甘味だと思います」

「甘納豆という名前っすから、納豆みたいにネバネバしているものを想像してたっすけど、普通に甘く味付けされた豆っすね。あ、ダメっす! 食べるのが止まらないっす!」


 この世界では『豆=甘くない』という常識だからどうなるかと思ったけれど、二人は受け入れてくれたみたい。


 最初に餡子を作ったのがよかったのかも?


 小豆だけでなく、昨日は白いんげん豆から白餡も作ったし、さすがにもう甘い豆にも慣れたのだろう。


 初めて食べる甘い豆が甘納豆だったら、うわぁ、ってな引かれていた気がしなくもない。

 自分の常識を壊す食べ物は、どうしても警戒してしまうから。


 毒見も終わったので、私も甘納豆をパクリ!


「うむうむ! ちょっと甘すぎましたかね? でも、概ね理想通りの甘納豆です!」

「これ、小豆でも作れるっすよね?」

「作れますよ。他の豆でも美味しいですし、栗や芋で作っても美味しいです。作り方はちょっと違いますけどね」

「栗!? 芋!? それは考えなかったっす! そうっすよね。栗や芋を使った洋菓子もあるっすし、和菓子にも合うっすよね!」


 私としては、栗や芋は洋菓子よりも和菓子に使う印象が強いのだけど。

 うんうん唸ってヨシノは頭を働かせている。


 とても良い兆候ですよ! その調子で独自の和菓子を生み出していただきたい!


 で、でも、最初はほどほどにね? 挑戦を通り越して無謀にならないでね?

 ヨシノは、海藻の砂糖漬けを試すようなアグレッシブな挑戦者チャレンジャーだから、ちょっと不安なの。


 料理長、よくよく監視をお願いします……。


「さて、これで甘納豆もできました」

「美味しかったっす!」

「……ヨシノ。なにをこれで終わったような気になっているのですか?」

「ふぇっ!?」


 甘納豆が完成して終わりではない。むしろ始まりですよ!


「これからですよ、これから! 白餡と甘納豆は前準備! 今からが本番です!」

「そ、そうだったっす! 『浮島』っていう和菓子を作るために作っていたっす!」


 水に浸していたのも合わせると、甘納豆作りに3日もかかっていますからね。

 終わったと思っても仕方がない。

 さて、白餡と甘納豆も完成しましたし、浮島を作っていきましょうか!


「ひとまず、試作を繰り返しましょう。質を高めるのはその後です」

「了解っす!」

「味見はお任せくださいませ」


 それから私たちは浮島を作り続けるのだった。



 ■■■



 あっという間に時間が過ぎ、気づけばサルビア様の厨房へ教えに行く予定日も数日後に迫っていた。


 浮島作りは順調に進み、王太子妃わたしや王太子殿下の軽食に出しても問題ないレベルの質まで極まった。


 お忍びではなく表向きの身分でも食していいということは、王族御用達のお菓子に匹敵し、サルビア様に献上しても何ら問題ないということ。


 いちおう、まだ試食に留めているけれど、いずれ浮島が普通におやつやデザートとして食べられるようになるだろう。


 もう待ち遠しくて堪らない! 早く! 早くぅー!


「お疲れさまでした、ヨシノ。数日後にすべてが終わります。あと少し、頑張りましょう」

「は、はいっす、アズ様。アズ様がいらっしゃらなかったら、ウチはどうなっていたことか……」


 ざ、罪悪感が……。サルビア様がおっしゃらなかったら、ヨシノだけを派遣しようと思っていたし……うぅ! なんかごめんなさい!


「浮島は完璧に作れるようになったっす。他の和菓子も問題ないっす! あとは当日を迎えて、乗り切るだけっすね!」

「そうですね。一緒に乗り切りましょう!」


 日に日に連帯感と女の友情が深まった被害者同士、当日に向けてガシッと決意と覚悟の握手を交わす。


 あと数日……あと数日で全てが終わる……。


 一人じゃないから頑張れる。ヨシノも一緒だから乗り越えられそう。

 サルビア様の無茶ぶりは、これっきりでもう勘弁してほしいです。


「あの、アズ様? 一つよろしいでしょうか?」

「はい。なんでしょう、料理長?」


 声をかけてきた海賊風の風貌の料理長が、言いにくそうに意見を述べる。


「浮島は簡単に作れる和菓子でございます。しかし、その材料となる白餡や甘納豆は、到底一日では作れません。その点はいかがなさるおつもりでしょうか? サルビア様はアレルギーをお持ちでいらっしゃいます。この厨房で事前に作るのは、いささか危険かと愚考しますが」


 …………あぁ!? ど、どうしましょう!? そんなの考えていませんでした!


 厨房の予定と私の予定が合うのは一日だけ。白餡や甘納豆を作る時間的余裕はない。かといって、料理長の言う通り、アレルゲンがどこに付着しているかわからないこの厨房で準備するのはとても危険だ。


 最悪の場合、命にかかわる。もしサルビア様がアレルギーを発症されたら、料理人及び私は、殺人の罪に問われる可能性もある。


 そ、それはマズい! 本当にマズい!


 そうならないためには、サルビア様の料理を作る厨房で白餡や甘納豆を作ることだけれど、私はその前日まで忙しいし……。

 となると、方法は一つしかない。


「…………」

「うぇっ!? ウチを見てどうしたんすか? な、なんか猛烈に嫌な予感がするっすけど! するっすけどぉ!」

「ヨシノ……」

「嫌っす! 聞きたくないっす! 絶対に聞きたくないっすぅー!」


 耳を手で押さえて逃げ出そうとしたヨシノを、料理長は彼女の背後からガシッと羽交い締めにして捕らえる。

 バタバタ暴れるが、巨躯の料理長に普通の成人女性が敵うわけがない。

 ヨシノ……本当にごめんなさい。


「事前に白餡や甘納豆を作りに行ってくれませんか? 一人で向こうの厨房に……お願いします!」

「うぎゃーっす! そんなことだろうと思ったっすよぉー!」

「ヨシノ、諦めろ。アズ様のためだ」

「うぅ……料理長……! うっす……わかったっす! ウチ、一人で頑張ってくるっす! アズ様のために……アズ様のためにぃー!」


 自棄っぱちな気もするけれど、ヨシノがやる気を出してくれて安心した。

 前準備はお願いね。その分、和菓子のレシピを教えるから。



 直前にそんなやり取りもありつつ、とうとう和菓子教室の当日を迎える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る