第16話 白餡作り
「さて、約一名ほど見知らぬ人物がいますが、白餡作りを始めましょうか」
私の和菓子作りの時間は限られているので、さっさと取り掛かりましょう。
白いんげん豆を一晩水に浸しておいたことで、たっぷり水を吸って2倍以上に膨らんでいる。
うん、いい感じいい感じ!
浸していた水を捨てて、再び豆を水に浸す。今度はお鍋を火にかけてっと。
「あのぉ……ほっといていいんすか? こっちを見てるっすよ? 観察してるっすよ!?」
「人畜無害だからそのままでいいのではないでしょうか?」
「人畜無害って……えぇ……」
ヨシノは軽く引いている様子で、チラチラと見知らぬ人物に視線を向けている。
よし。このまま水が沸騰するまで待ちましょう。それまでは暇ね。
「……なんだか人に使うべきではない言葉が聞こえた気がしたのだが」
見ているだけの人物が、思わず口をはさんできた。
仕方なく、本当に仕方なく、彼の相手をすることにする。
「一度お会いしましたね。確かビャクヤ様とおっしゃいましたか」
「あ、ああ。そうだな」
不死鳥のイヤリングをつけた白髪の美丈夫が、どこか気まずそうに頷いた。
『あれ? バレてない……のか?』とでも言いたげな、微かな落胆が滲んでいる。
いやいや、お忍びの格好なのですから、あなたの正体を暴露するわけにはいかないでしょうが!
ビャクヤと名乗る彼の正体は、私の夫――王太子キョクヤ・トワイライトその人だ。髪色や瞳の色、服装を変えたとしてもバレバレ。わかる人にはわかる。
私が厨房に来てすぐに、彼もここにやってきた。
用件は何も言わず、何も要求することも無く、ただじっと存在しているだけだったからスルーしていたのに、本当に何しに来たの、この殿下は。お仕事、お忙しいでしょうに。
「なんの御用でしょうか?」
「いや、君が――君とヨシノという者が、サルビア様の厨房へ新たな和菓子を教えに行くと聞いてな。気になったから見学しに来た」
「せめて事前に一言来るなら来るって連絡してください。驚いたではありませんか」
「そうか。なら次からはそうしよう」
また来る気かっ!? と思ったけれど、ニッコリ笑顔の下に隠す。
「見学だそうですので、ヨシノ、気にする必要はないですよ」
「そ、そう言われても……」
「そうだ。アズの言う通り、オレは見ているだけだからな。気にするな」
「ひゃ、ひゃいっす!」
ヨシノが緊張して身が竦んでしまうという点では、やっぱり人には有害なのかもしれない。
そんなに緊張することないと思うのですがねぇ。
王太子よりも和菓子作りのほうが圧倒的に重要でしょう?
目の前のことに集中していたら、言葉足らずな夫のことなんてすぐに忘れてしまうもの。
あ、そうだ。
「ビャクヤ様。せっかくいらっしゃったのなら、昨日作った呉豆腐の試食をお願い致します。どうせこれが目的だったのでしょうし、感想もお願いしますね」
「バレたか。ありがたくいただこう」
サルビア様よりは殿下の行動が読みやすい。
周りの人、特に
まあ、呉豆腐を与えておけば大人しくしていてくれるでしょう。
「カトレアも食べますか?」
「ええ。いただきます」
「ふむ。豆腐に黒蜜か……意外と合うな。豆腐がもっちりぷるぷるしているのが新鮮だ…………なんだ? 何か言いたいことがあるのか、カトレア? そのニヤニヤ笑いをやめろ」
「いえいえ。何でもございませんよ、ビャクヤ様。ふふふ!」
その顔で『もっちりぷるぷる』という言葉は絶妙にシュール。なのになぜかしっくりくる。
イケメンって何でもありですね。卑怯だと思うの。
ビャクヤ、もとい仏頂面殿下のお相手はカトレアにお任せして、
「アズ様! お鍋が沸騰したっすよ!」
「では、次は圧力鍋を使いましょう。今日は時短レシピです。別の作り方も後で教えますね」
本当は豆が柔らかくなるまでずっと茹で続ける必要があるけれど、時間は有限なので今回は一度サラッと茹でて、残りは圧力鍋で時間を短縮する。
豆を圧力鍋にセット! お願いしますよー。
「あら?」
暇になったので何をしようかと思っていたら、とても興味深いものが目に入ってきた。
「ビャクヤ様。これはこれは……呉豆腐に餡子、ですか?」
「……ダメだったか?」
黒蜜をかけた呉豆腐と餡子を一緒に食べている殿下。
和菓子への、ひいては作り手への冒涜なのでは、と申し訳なさそうな彼だったが――とんでもない! よくぞその組み合わせに気づいたと褒めて差し上げましょう!
餡子と呉豆腐って合うの! 私も前世ではお汁粉やぜんざいに切った呉豆腐を入れて食べていたくらいだし。
「いえいえ! とても美味しいですよね! 今日この後、その組み合わせで食べようと思っていたのです! まさか先を越されるとは……」
「そ、そうか。この呉豆腐も美味いな。豆腐の甘味と身構えていたのだが、全然そんなことはなかった。あんみつに入れても美味しいのではないか?」
で、殿下ぁ……!
「あぁ……! その発想……! それを求めていました……! 呉豆腐をあんみつの具に加えるという、その新たな発想があれば、もっと和菓子は進化し、美味しくなり、発展するのですっ! 素晴らしいお考えですよ、殿下! ほら、ヨシノも見習って!」
「うぇっ!? は、はいっす!」
「お、おう……アズは和菓子のことになると人が変わるな……。ちなみにオレはビャクヤだ。殿下と呼ぶな」
今は私が前世の記憶のもとに和菓子を創り出している。でも、それだけだと進歩がない。発展がない。私は楽しめない!
美味しくて新しい和菓子を食べるには、私以外の新たな発想が必要になる。
前世でも食べたことがないような和菓子を私は食べたい。
そのためには、もっと多くの人に食べてもらい、広めなければ!
「というわけで、あんみつを作ります」
「そ、そうか……アズの好きなようにするがいい」
興奮がスンッと落ち着いたので、あんみつを作ることにする。
さすが王宮の厨房。欲しいものはすぐに手に入る。
実にあっさりとあんみつの完成!
餡子や呉豆腐だけでなく、寒天、白玉、求肥など、ちょっと欲張ってみました。
後悔はない。反省もしない。体重も気にしない。
ただただ浪漫と幸せを追い求めるのみ!
「どうぞ。殿下の素晴らしい発想に敬意を表して、この欲張りあんみつを進呈いたします」
「か、感謝する……ちなみにオレはビャクヤだ。殿下と呼ぶな」
信賞必罰。これ大事。ノブレス・オブリージュ。
他の人も食べたいのなら自分で作ってくださいね。簡単ですし。
あ、カトレアの分は私が作ります。日々お世話になっていますから、この
「なるほど。アズキ妃の機嫌を取ると手作り和菓子を振舞ってくれるのか。ふむ。いいことを知った」
「ん? 何か言いましたか?」
「いいや別に。あんみつが美味いだけだ」
「そうですか。美味しいですよね、あんみつ!」
頬が蕩けて落ちそうなほど美味しい。でも、あんみつはまだまだ
「ふふふ!」
「カトレア。その目でオレを見るな」
あらあら。殿下は乳母であるカトレアに頭が上がらなそうね! なんだか恥ずかしそう!
皆であんみつを食べているとあっという間に時間が過ぎ、気づいたら圧力鍋の圧力が抜けていた。
蓋を開けてみると、白いんげん豆がとても柔らかくなっていた。少し力を入れるだけで潰れてしまう。
「今回は時短ということで、煮えた豆を軽く潰して、そのまま裏ごし器に注ぎます」
「ほうほう」
そしてさらに潰して裏ごししていく。
裏ごしで豆の皮などを取り除き、きめ細かく滑らかな白いペーストが出来上がる。
じっくりと丁寧に根気強く。美味しい白餡になるように。
これは裏ごししなくても、ミキサーやフードプロセッサーで細かくしてもいい。その場合は、皮を一粒一粒剥かなければならないけれど。
「さらに目の細かい網の裏ごし器で裏ごしすると、滑らかな白餡ができますよ」
「ふむふむ」
「裏ごししたペーストを、今度は手ぬぐいで包んで、ぎゅーっと水を搾り出します」
「なるほどっす! ぎゅーっとっすね!」
「水を搾ったら鍋に入れて、砂糖を混ぜて、後はひたすら練ります。ぼてっとするまでずっと」
「そこはどの餡子でも共通なんすね」
混ぜ混ぜ混ぜ。焦げないよう混ぜ混ぜ。
そうして、水気がなくなったら『白餡』の完成!
「これが白餡っすか! 本当に白い餡子っすね! なるほどっす。豆が違えば違う餡子に……」
うむうむ。新たな発想ね。ぜひ違う豆で餡子を作って欲しい。例えば鶯餡とか。
「いただくっす! ……おぉ。小豆の餡子よりも滑らかっすね。甘いのにあっさりとして味が主張しないというか、ちょっとミルキーというか。こんなにも違うもんなんすね」
「オレも味見を――」
「なりません、ビャクヤ様! 毒見が先です!」
「そ、そうか。すまん」
カトレアに叱責されて、殿下がシュンと小さくなる。
わかりますよ、その気持ち。私も何度か止められたので。
お互いに難儀な身分ですよね。私たちのためというのはわかっているのですが……。
「カ、カトレア、まだか?」
「もう少々お待ちくださいませ。あぁ……美味しゅうございます……! 口の中で溶けるような滑らかな舌触りと、ふんわりと香るような甘さ……! 白いんげん豆がこんなにも美味しい甘味に変貌するなんて思ってもおりませんでした……!」
カトレアがうっとりと柔和な笑みを浮かべていると、チョンチョンと殿下が私の肩を突いてきた。
「……アズ。カトレアはいつもこんな感じなのか?」
「ええ。比較的こんな感じですね」
「そうか……意外と知らぬことも多いな」
私たちは、カトレアたちが試食&毒見をする姿をじっと待ち続ける。
反応は上々。白餡も受け入れられたみたい。よかったよかった。
白餡がオーケーなら作れる和菓子が一気に増えるの。今回サルビア様の厨房に教えようと思っている『浮島』もその一つ。
ふっふっふ。広め甲斐がありますねぇ!
「――で、まだダメなのか?」
「ダメみたいですね」
「オレたち、忘れられていないか?」
「みんな試食に夢中ですね」
「早く食べてみたいんだが」
「私もです」
白餡を試食する人たちを少し離れた場所で羨ましそうに眺め続ける私たち夫婦。
ようやく食べる許可が下りたのは、それから5分ほど経過した後のことだった。
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