第8話 王太子妃として


 今日は午後から隣国の大使との晩餐会が催される。

 晩餐会の主な目的は、王太子の結婚のお祝いと王太子妃への挨拶。


 つまり私は今回の主役なのである。


 おかげで私は午前中から大忙しでございます。

 晩餐会のスケジュールと流れを夢に見るほど頭に叩き込み、各国の大使の顔と名前、ついでに家族構成を覚え、さらにはその国の文化や特産品、逆に欠点も把握し、この国とどれくらい良好な関係を結んでいるのかなどなど、受験生も真っ青な膨大な量の知識を暗記している。


 あ、各大使との挨拶の順番もありましたね。一応覚えているけれど、最終確認をしておかないと。


 おっふぅ。頭から記憶が零れ落ちそう。流れ出てしまいそう。一つ覚えたら一つ忘れそうなギリギリの極限状態。気分はさながらテスト前の学生ですよ。


 もう二度とこんな苦行を味わいたくなかったのに。学園を卒業しておさらばできたと思っていたのに……!


 どこかの仏頂面殿下のせいでぇ! 恨んでもいいですか!?


「ま、まあ、おかげで心置きなく和菓子が作れそうだし、感謝してあげなくもないけど!」

「……アズキ様、突然何をおっしゃっているのですか?」

「あ、何でもないです。聞かなかったことにしてください……」


 侍女に独り言を聞かれしまった。

 は、恥ずかしい。穴があったら入りたい……。


 午前中だからまだ余裕があるけれど、これがお昼過ぎたらもっと大変になるのでしょうね。


 湯浴みして、お化粧して、着物を着て、ニコニコ笑顔を貼り付けて大使を出迎えて……あぁ、餡子食べたい。和菓子食べたい。現実逃避したーい!

 晩餐会で和菓子が出たらやる気が出るのに、デザートは洋菓子だからなぁ。


 昨日、餡子を作ったからまだマシ。今日の晩餐会も頑張れる。終わったら餡子をヤケ食いしてやるんだから!

 くっ! 王太子妃という地位は実に面倒くさい!


「おのれ許すまじ、仏頂面殿下めぇ……! 絶対に和菓子無しではいられない体にしてやるぅ……!」

「アズキ様」

「はいはい。なんでしょう?」


 私はテーブルに広げた記憶しなければならない書類から目を離さずに、侍女カトレアの呼びかけに応える。


「『アズ様にお越しいただけないか』と厨房から言付けを預かってきたのですが、いかがなさいますか?」

「厨房から? 今すぐに、ですか?」

「お忙しいならば明日でも構わないそうですが。本日はこれからもっと忙しくなりますので、今日厨房に向かわれるのならば今しかありません」


 うーむ。今日は晩餐会ということで厨房も忙しくなるはずなのに私を呼び出すなんて、結構大事な用事があるんじゃない?


 記憶することが多くて気が滅入りそうになってきたところだったし、軽い気晴らしに厨房に行ってもいいかも。一度頭をリフレッシュしたら、少しスッキリするかもしれないし。

 ……ついでに餡子を食べよう。少し食べれば元気が出ると思う。


「わかりました。今から厨房へ向かいます。お忍びの準備を」

「準備は整っております」


 さすが有能侍女カトレア。私の行動を読んでいましたね?

 パパッと侍女服に着替えて髪をお団子にまとめて簪を挿し、私はカトレアを連れて足早に厨房へ。

 厨房へ入ると、料理長を中心として料理人たちがズラッと並んで私を待っていた。そして――


「「「アズ様、申し訳ございませんでした」」」

「な、なにが!?」


 深々と頭を下げて開口一番に謝罪。私はわけが分からず目をパチクリ。


「実は――ヨシノ」

「はいっす。アズ様、昨日作った餡子なんすけど……」


 彼女の取り柄である元気が鳴りを潜め、神妙な顔つきで申し訳なさそうにヨシノが容器の蓋をパカッと開くと、そこには体積を大きく減らした餡子がちょこっとだけ残っていた。

 残っているのは、数口ほどのお気持ち程度。おおよそ10分の1もないくらいだと思う。


「わ、私の餡子が……少なくなってる……!? 私の餡子がぁ!」


 ショックのあまり思わず愕然と膝から崩れ落ちる私。

 あれだけあったのに。たくさん作ったのに。楽しみにしてたのに……!

 どうして。どうしてこんなに減ってしまったの?

 なぜ? どうして? ほわーい?


「冷やした餡子の味見をウチらに任せてくださったっすよね?」

「え、ええ。私はすぐに食べられそうにないから……」

「ウチが確かめてたら、料理長が来て、感想を言い合っていたら、他のみんなも気になったみたいで……あまりに美味しくてつい食べ過ぎてしまって、気づいたらこれだけしか残ってなかったっす」


 本当にごめんなさい、とヨシノが再度頭を下げ、彼女に続いて全員が頭を下げる。

 つい食べ過ぎるくらい餡子が美味しかったのね……それはよかったです! この国に和菓子を広めるという私の野望に一歩近づいたのだから。王宮の料理人に認めてもらったら百人力よ!


 でも、でもぉ……! 楽しみにしていた私の餡子がぁ! 夜の晩餐会を頑張るためにエネルギーあんこを補給して、全部終わったら心身の疲労を癒すために糖分あんこを摂取しようと思っていたのにぃ!


 ぜったいぜったいぜぇぇぇぇったい! 許さないんだからぁあああああああ!

 ……和菓子の恨みは怖いのよ? ええ、本当に。


「お詫びにこれをお納めくださいっす」


 私の前にスッと差し出されたのは、いくつもの容器タッパー

 中にぎっしり詰まっていたのは、見覚えのある黒い塊――大量の餡子だった。


「アズ様のレシピを参考に、手順を変えたり改善したりして試作した餡子っす。こっちが砂糖なし。こっちは砂糖が多めっす。煮汁を捨てなかったものがこれで、何度か煮汁を入れ替えたものがこれっすね。湯で時間を変えたものもあるっすし、他にも産地が違うものや、種類が違う小豆で使って作ってみたっす」

「こ、こんなに……待って! これはもしかして――」

「はいっす。『こし餡』っす! レシピ通りに作ってみたっすけど、これで合ってたっすか?」


 もちろん! 小豆の皮が一切入っていなくて、滑らかなペースト状の黒い餡子……見た目は完璧に『こし餡』ですよ!

 毒見はもう終わらせているというので、スプーンで掬って口に運ぶ。


「あぁ……!」


 口の中に広がるしっとりと滑らかな味わい。口溶けもいい。すごくいい!

 完全なる『こし餡』よ、これは。

 とっても美味しい……。

 まさか今日、『こし餡』を食べることができるなんて思ってもいなかった。


「……合ってる。これが『こし餡』で合っています!」

「よかったっす! ちょっと砂糖が多くて甘いっすけど」

「初めてなら充分です! 120点あげちゃいます!」

「120点っすか!? ありがとうございます!」


 んぅ~! 餡子が美味しい! 試作した『粒餡』も頂いて……あら、美味しいじゃない。やっぱりプロの料理人ね。私が作ったものより何倍も美味しい。

 こっちの餡子は……あ、これは砂糖なしのやつだった。不味……くはないけれど、小豆そのままの味で甘くない。

 口直しにちゃんと甘いやつをパクリ。あぁ、もう最高!


「アズ様」

「はい、なんですか、カトレア。私はちょっと忙しいんですけど。あ、カトレアも餡子食べます? こし餡、美味しいですよ? ぜひ食べてください。カトレアも気に入ると思います!」

「ありがたくいただきますが……アズ様、彼らの処遇はいかがなさいますか?」

「しょぐう?」


 古代に作られた土人形のこと……? あれは土偶か。

 土偶じゃなくて処遇、ね。彼らは何をしたっけ?


「あ! 餡子を食べちゃったこと? 赦す赦す! 赦しちゃう! こうして詫び餡子をたくさん作ってくれたら何でも赦すわ! あんな素人が作った餡子を食べて、もっと美味しい餡子を作ってくれるのなら、いくらでも食べて欲しいくらいだわ!」


 あれだけ恨んで許さないと叫んでいたくせに、なんという手のひら返し。

 我ながら手のひらがくるっくるね。

 でも、こんなに美味しい献上品あんこを差し出して謝罪されたらねぇ、赦さないほうが悪いでしょう?

 自分で言うのもなんだけど、私、和菓子相手にはチョロいですよ?


「さて、謝罪が終わったのならば各自そろそろ仕事に戻りなさい!」


 パンパンとカトレアが手を叩いて、ホッと安堵している料理人たちに活を入れる。


「今夜は王太子妃アズキ様の初の大々的なご公務です。各国の大使との晩餐会……本日、あなた方が作る料理はアズキ様の武器であり盾です。アズキ様をお護りし、大使敵城を攻め落とす手助けとなるのも料理。逆に大使に付け入る隙を与えてアズキ様を傷つけ、害すのも料理。アズキ様のご尊顔に泥を塗らぬよう、全身全霊をかけて渾身の逸品を作りなさい」


「「「はっ! お任せください!」」」


 ビリビリと鼓膜を震わせる大声にゾクッと背筋が震えて、私は声も出せないほど圧倒された。


 彼らの纏う雰囲気が変わる。


 なんだろう。この感じ。気圧されるほどの圧倒的な覇気というか……そう! 彼らの目よ! 揺るぎない自信と誇りで彼らの瞳が轟々と燃え盛っているの!


 失敗するとは露程も思っていない職人の自尊心プライドと確信。自分たちの料理で相手を唸らせてやるという、好戦的で上から目線の絶対的な自信。

 いつも元気溌剌な後輩ポジションのヨシノでさえも、獰猛な笑みを浮かべている。


 ――私、ここで何をしているのだろう……。


 彼らは王太子妃を陰から支えると決めている。

 料理が王太子妃の武器であり盾になることを誇りに思っている。


 ならば、彼らの期待に応えることが王太子妃たる私の役目だ。


 こんなところで餡子を食べて現実逃避をしている場合じゃない。


「――戻ります」

「アズ様?」

「やることができました。部屋に戻ります」

「っ!?」


 食べるのを止めてクルリと反転し、厨房の出入り口に向けて一歩足を踏み出す。

 カツン、と靴の音が静かな厨房に反響した。


「……はっ! かしこまりました」


 カトレアにしては珍しく、返答まで少し間があった。

 彼女が一礼して私に付き従うのを感じる。でも、私は振り返らない。歩みを止めない。

 支えてくれる人のために、私は王太子妃わたしの義務を果たす。


「――期待しています」


 厨房を出る直前、一言だけ料理人たちに言葉を告げる。

 これはお忍びの侍女アズアズではなく、王太子妃アズキとしての激励の言葉。

 扉が閉まる瞬間、私の背後で彼らが頭を下げている気がした。

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