第9話 あんバタートースト


「――アズキ様。朝でございます」


 うぅ……あしゃ?

 体を揺らされて、私は夢の無い深い眠りから目覚める。

 瞼が腫れぼったい。目が開かない。体が怠重い。頭が働かない。

 だれ? 私の安らかなる眠りを邪魔する人は……?


「う゛ぅ……」

「おはようございます、アズキ様。起きてくださいませ」


 低く唸って『絶対に二度寝を決め込んでやる……!』という必死の抵抗とささやかな決意表明をしたものの、掛布団が強引に剥されてしまった。


 ま、まぶちぃ……。


 瞼を閉じていても朝日が直撃しているのがわかる……。

 誰なの、この部屋を設計したのは。ベッドの位置と窓の位置と太陽が昇る角度を計算してあるでしょ。

 その設計者、絶対性格が悪い。そうに違いない。


「ん゛ぅ……私、吸血鬼なの……ヴァンパイアなの……だから朝日を浴びたら死んじゃう……」

「アズキ様は人間です。朝日を浴びてもご無事ではありませんか。吸血鬼ではございません」

「う゛ぅ……! 寝させて……まだ疲れてるの……だから寝させて……」


 昨夜、各国の大使との晩餐会を頑張りましたよ、私。

 終始ニコニコ笑顔で大使たちと挨拶していましたよ。数時間も表情を取り繕って、背筋をビシッと伸ばして――あ、背中と腰が痛い。表情筋も引き攣ってる。


 功労者にはご褒美が必要だと思うの。信賞必罰。とても大事。


 結局、昨日は終わった後も餡子を食べることができなかったし。

 だからもうちょっとだけ寝させて! 少しだけでいいの。あとたった3時間くらい……。


「ダメでございます。お昼寝してもよろしいですから、朝は起きてくださいませ」


 しかし、侍女のカトレアは許してくれなかった。

 厳しい。私、王太子妃なのに。


「ん゛ぅ~!」


 だけど私は抵抗する。寝返りを打って朝日を避けて、もぞもぞと丸くなる。

 たとえ掛布団がなくとも、疲労が抜け切れていない今の私ならば、眠りに落ちるのはとても容易い。

 ぐぅ……。


「アズキ様、起きてくださいませ。朝食に遅れてしまいます」

「……起きない。寝る」

「あら、それは残念でございますね。せっかく本日の朝食のデザートは『餡子』ですのに、起きないのなら食べられませんね」

「餡子!? 食べます!」


 一瞬で眠気が吹き飛んだ私は、パチッと目を開いてベッドから飛び起きた。

 朝食に餡子が出るの!? もう! それを早く言ってくださいよ! 寝てる場合じゃない! 今何時? 朝食まであとどのくらい!?


「おはようございます、アズキ様」


 ベッドサイドで佇んでいる侍女のカトレア。とっても輝くニコニコ笑顔。


 ……なんだか嫌な予感が。


 まさか、和菓子にチョロいことを利用して、嘘の情報を述べたりしてないですよね……?


「あ、あの、カトレア? 朝食に餡子が出るのは、本当……?」

「はい、本当でございますよ。わたくしが厨房のほうへお願いしましたので」

「本当!? カトレア! ありがとうございます!」


 さすが有能侍女! わかってるぅー!

 昨夜の晩餐会の疲れなんて、餡子を食べればイチコロよ!

 ウキウキ気分で朝の身支度を整えていると、私はふと食べたいものが頭をよぎった。


「カトレア。今日の朝食は洋食ですか?」

「はい。そのように伺っておりますが」

「トーストって出ます?」

「もちろんでございます」


 ならアレを食べたい。

 私の要望を伝えると、カトレアは『なるほど』と頷いた。


「――かしこまりました。すぐさま厨房のほうへ伝えましょう」

「ありがとうございます。お願いしますね」


 よし! 何とかなりそう! 朝食が待ち遠しい!



 ■■■



 食事は大抵、夫が同席する。

 夫とはつまり王太子キョクヤ・トワイライト。


 今日も向かいの席で、昨日の疲労を感じさせず、輝くイケメンフェイスを披露している。無表情な仏頂面だけど。


 彼とは食事の際にお喋りする程度。夜も『おやすみ』の挨拶はするけれど、他の時間では滅多に会わない。

 お仕事が忙しいんでしょうね。王太子だもの。


「アズキ妃、昨日はご苦労だった。初めてとは思えないくらい上出来だったぞ」

「ありがとうございます。私、ちゃんと王太子あなたの妻として振舞えていましたか?」

「……ああ。文句なしの満点だ」


 ん? 今の一瞬の間はなに? 顔を背けて口元を抑えているのはなぜ?

 もしかして、笑いをこらえてるの? なんで!?


「コホン! 昨夜は、君があまりに堂々としていたから、オレのほうが霞んでしまいそうだったぞ。すごく……綺麗だった」

「ありがとうございます……。殿下も凛々しくて格好よかったですよ」

「っ!?」


 誉め言葉には褒め言葉で返さないとね。たとえお世辞でも。

 あっ、朝食が運ばれてきた! ちゃんと要望通りね! やった!


「いただきます!」


 今日の朝食は洋食。

 焼きたてのバターの香り漂うトースト。とろ~りなめらかなコーンスープ。少しぶ厚いベーコンエッグ。赤いトマトがアクセントのサラダ。デザートは果肉が入ったオレンジゼリー。そして、私のところには追加で餡子! 完璧な朝食ね。


 う~ん! 今日も美味しい!


 厨房の皆さん、今日も朝から素晴らしいお仕事をありがとうございます! 疲れた体に染み渡るわぁ。


「ん? アズキ妃。トーストは食べないのか? いや、そもそも焼かれていないみたいだが……」

「これから焼いてもらう予定です。あ、お願いします」


 朝食を半分ほど食べた頃、待機していた侍女の一人にお願いして、食パンを簡易トースターで焼いてもらう。

 これで焼き立てが食べられるって寸法です。

 オレンジゼリーまで美味しく食べ終わり、ようやくこれから本当のデザートの時間。


「アズキ妃……?」


 じっと見つめてくる殿下の目の前で、私は焼き立てのトーストにバターをぬりぬり。焼き目がついた表面に、黄金色のバターが染み込んでいく。


 これで終わり――なわけがない。これだとありふれたただのバタートースト。

 美味しいけれど、私が求めているのはこれではない。


 さて、もうひと工夫をしましょうか!

 とりあえず、食べやすいよう四分割して、


「そこで餡子……だと? ま、まさか、アズキ妃?」


 バタートーストに餡子を乗せる! そうしたら、あんバタートーストの完成です!

 これよこれ。これを朝から食べたかったの!

 バターの塩気と餡子の優しい甘さ、そして焼きたてのトーストのサクサク感が絶妙に合うのよ!


 この上にさらにバターの塊を乗せて食べる方法もあるけれど、私はしない。

 追いバターはちょっとね。カロリーが……。

 それに私が求めているのは餡子。バターよりも餡子多めが好き!


 今日は少しくらい餡子が多くても許されるますよね。昨日、私は頑張ったし。


 なお、前世では小倉トーストとも言うけれど、この世界では『あんバタートースト』で統一する。小倉餡はまだ存在しないから。


「くっ! 美味そうに食べて……。なぜオレはトーストを食べてしまったんだ……!」


 なにやら殿下が呟いているけれど、あんバタートーストに夢中になっている私は、上手く聞き取れなかった。


 あまりに美味しくて、トースト一枚などペロリといけちゃう。


 欲を言えば、もうちょっと食べたい。でも、二枚食べるのは、カロリーと胃の容量の問題で無理そう。でも、食べたい……。


 うーむ。やっぱり食べちゃおうっと! カロリーは運動で消費すれば問題なーし! 消費しちゃえばゼロカロリーですよね!


「もう一枚トーストを焼いてくれませんか?」

「かしこまりました」


 ご機嫌で焼き上がるのを待っていると、対面で恨めしそうに私を見つめている殿下と目が合った。


「どうしました?」

「……どうしてオレの分は無かったんだ? どうしてその食べ方をオレに教えてくれなかったんだ?」


 ご馳走が目の前にあるのに誰かが食べているのを指を咥えて見ているだけ、というような苦しげな表情を浮かべている殿下。

 あれ? ひょっとして――


「食べたかったのですか?」

「……ああ。食べたかった」


 わずかな逡巡の後、殿下は恥ずかしそうにそっぽを向きながらコクリと頷いた。

 あらら。そうだったの。そういえば、お忍びで厨房にいらっしゃったとき、餡子を気に入っていましたね。

 ならば、あんバタートーストの味が気になるのは当然のこと。


「殿下、実を言うとトーストを二枚食べるのは難しくて……半分食べていただけませんか?」

「いいのか!?」

「はい。餡子もバターもまだありますし、ぜひ殿下にあんバタートーストの味を知っていただきたく――」


 あ、トーストが焼けましたね。

 ふっふっふ。殿下の分のあんバタートーストは、私が作ってあげます。そして、餡子の沼にズブズブとハマりなさいな!


 一度食べたら病みつきになる禁断の組み合わせに、殿下は果たして耐えられますか? 反応が楽しみですね。

 どうせ抗えないと思うけど!


「はい、どうぞ!」

「う、うむ。ありがとう」


 少し落ち着かない殿下が、あんバタートーストを受け取り、私はニコニコ笑顔で彼が食べるのを見つめる。

 さあさあ! ガブリといっちゃって!


「これが、あんバタートースト……」


 見つめられて食べにくそうな殿下が、意を決して焼きたてのトーストを一口かじる。

 サクッと小気味良い音が響き渡り――



 ――たった一口で彼が陥落したのを私は確信した。














<おまけ>


「おや。今日は朝からご機嫌ですね、キョクヤ様。何かいいことでもありましたか?」


 ウィルヘルムは主を一目見た瞬間、いつもと様子が違うことに気づいた。

 見る者が見ればわかる、キョクヤのご機嫌な表情。何かを思い出しては、込み上げる嬉しさを噛みしめているような口元のヒクつきである。


「ウィルか……昨日のオレは、凛々しくて格好良かったそうだ」

「突然なにを? 熱でもあるのでは……あっ! アズキ様ですか! よかったではありませんか。朝から惚気話を聞かされて僕は不機嫌になりそうですが」


 腹心の思いなどつゆ知らず、キョクヤは嬉しそうに続ける。


「アズキ妃が、『あなたの妻』と言ってくれた……」

「事実じゃないですか。どこに喜ぶ要素が?」

「朝食では、アズキ妃が自らあんバタートーストを作ってくれた……。アズキ妃が作ったあんバタートーストは実に美味かった……」

「あぁー、はいはい。アズキ様が作ったことをわざわざ強調しなくていいですから。それ以上惚気話はやめてください。感動はアズキ様へ直接お願いします。でも、『あんバタートースト』とやらは詳しく!」

「アズキ妃が作った、あんバタートーストのことを知りたいのか? 仕方がない。教えてやろう。アズキ妃が作った、あんバタートーストのことをな」


 その後、『アズキ妃が作った』と連呼するキョクヤの得意そうな説明、もとい惚気話を聞きながら、ウィルヘルムは何度も殴りかかりたい衝動に駆られたという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る