第7話 早速味見
「おぉ! これが餡子っすか!? 美味しそうっす!」
出来立てほやほやの餡子。湯気が出ていて小豆の良い香りがする。
まだちょっと汁っぽい緩さがあるけれど、これは冷やせばキュッと固くなるはず。
「早速味見を……」
「アズ様」
「はいぃ!」
スプーンで熱々の餡子を掬おうとした瞬間、聞こえてきた静かな呼び声に私の体は反射的に動きを止めて無意識に背筋を伸ばした。
餡子作りの邪魔にならないようずっと近くで見守っていたカトレアが、姿勢正しく私を見ている。
何も言わずとも彼女が何を言いたいのか分かった。
「あ、毒見ですね……お願いします」
作っている間は問題なかったはず。でも、もともと小豆に毒物が付着していたり、小豆が腐っていたり、水に浸している間に誰かが毒を一滴垂らすこともあり得なくはないのだ。確率はゼロに近いけれど。
でもゼロじゃないからこそ、自分で作ったものでも王太子妃が最初に口にしてはいけない。
ホントに難儀な身分になったものね……。
「では、いただきます」
「ウチも責任をもってお先にいただくっす」
「はい、どうぞ」
さて、二人の反応は?
「……上品で優しい味でございますね。小豆の深い味わいがそのまま伝わってきて美味しゅうございます」
「こ、これが餡子っすか……! 小豆を使った甘味……美味しいっす。美味しすぎるっす! そのままでもいいっすけど、これは別のものと組み合わせると光るっすね」
そうでしょうそうでしょう! さすがヨシノ、わかってる!
餡子は単体でも美味しいけど、お団子と一緒に食べたり、大福にしたり、お饅頭にしたり、ぜんざいやお汁粉、たい焼き、どら焼き、おはぎ、などなど! 特に米粉やお餅、小麦粉と相性がいいのよ!
あぁ……想像しただけで食べたくなってきた……。
でも大丈夫! 和菓子に必要不可欠な餡子はできた。
幸い、米粉もお餅も小麦粉もこの国には存在している。夢で見たレシピも頭の中に刻まれている。
あとは作ればいいだけ!
この国に和菓子フィーバーを巻き起こすのよー!
「カトレア……もう食べていいですか?」
「アズ様、もう少しお待ちくださいませ……んっ! わたくしは、アズキ様の侍女で幸せでございます」
「そ、そんなことより私に餡子を……餡子を食べさせてください……! 私が作ったんですよ……! は、早く!」
見せびらかすようにしっかりとスプーン5杯ほど味わって、カトレアはようやく頷く。
「毒物は入っていないようですので、食べてよろしゅうございますよ」
「ありがとうございます!」
焦らされ続けた私は、差し出されたスプーンをひったくるように受け取り、出来立てほやほやの湯気が立つ餡子をひと掬い。少しドキドキしながら口に運ぶ。
「いただきます……あちち! んっ! でも美味しい! 甘さ控えめで小豆の味がしっかりしてる! 初めてにしては上手くできたんじゃないかしら!」
満足! 大・満・足!
これよこれ。これが食べたかったの。私はこれを求めていたの!
あぁ……心が満たされるわ。口の中に小豆の味が広がるわぁ! 幸せ……!
女三人で餡子をパクパク食べていると、
「失礼。私にも食べさせていただけないでしょうか?」
出来上がった餡子をチラチラ見て、興味津々の料理長が問いかけてきた。
彼は生粋の料理人。王宮の厨房の料理長を任せられるくらいだから、新しい料理に好奇心がくすぐられたに違いない。
答えはもちろん肯定よ。和菓子の深淵に引きずり込んであげましょう!
「どうぞ、料理長」
「感謝いたします。いただきます」
目で観察し、匂いを嗅ぎ、あらゆる角度から品定めして、ようやく食べたかと思えば、舌先で吟味するように目を閉じてゆっくり咀嚼する。
ど、どうですか? どうなのですかっ!?
素人が作ったから改善点はいくらでもあるし、料理長ほどの料理人を唸らせられる一品ではないと思うけれど、アリかナシかと問われると、アリでしょう!?
「…………」
一口、二口、三口……強面の料理長が餡子を無言で食べ、眉間にシワを寄せる。
な、なんでしょう、この緊張感。面接前のドキドキ感というか、合格発表前の不安感というか、何か言って欲しいのに何も言って欲しくないという矛盾。
料理長の言葉が怖いのだけど……!
「うーむ……」
「どうしたんすか、料理長! らしくないっすよ! 思ったことをビシッと言ってください、ビシッと! それでも男っすか!」
「……うるさいぞ、ヨシノ」
散々唸った料理長は、ふぅーっと大きく息を吐く。そして、彼は私の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「アズ様」
「は、はい」
「餡子、と言いましたか。私はこれを美味しいと思いました」
「そ、そうですか……よかった……!」
肩の力が抜けるような安堵感が広がって、緊張が一気に抜けていく。
ずっと厳しい顔で唸っていたから、何を言われるのかとヒヤヒヤしていたの。
「試作ということなのでまだ粗削りではあります。見ていて改善すべきところも多く感じました。餡子はまだまだ美味しくなるでしょう」
「私は素人ですからね。そこはプロの皆様にお願いします」
「お任せください。すぐにアズキ様にお出しできる美味しい餡子を完成させます」
「……お願いしますね。アズキ様も心待ちにしていらっしゃいますから」
今の私は王太子妃付きの侍女という設定。
『楽しみにしていますね!』と危うく言うところだった。危ない危ない。
「んで、険しい顔をしてたのはなんでっすか、料理長?」
そ、そこを聞いちゃうの、ヨシノ!? 聞かなくてもいい流れでしたよね!?
あ、また心臓がドキドキしてきた。胃のあたりがモヤモヤする……。
こういう時は甘いものね。餡子を食べて心を落ち着かせましょう。
「そ、それはだな……」
「早く言うっす!」
煮え切らない態度の料理長は、一番新人のヨシノにせっつかれて、目元を手で覆って言いにくそうにボソッと呟いた。
「――固定概念が邪魔をしてなぁ。甘い豆がすぐに受け入れられなくて……」
あぁー。ありますよね、それ。確か前世の外国人がそうだった。
豆はスープなど『おかず』に使うイメージが強すぎて、餡子は微妙っていう人も多かったそう。
まだ温かいのも影響の一つかしら。冷えたらもっと美味しく感じるのだけど。
豆のお菓子が存在しないならば仕方のないことだと思う。この国で小豆を使う料理と言ったらお赤飯だし。
私もピザにパイナップルをのせると言われたら『うーむ』と唸る。
「はぁ。頭が固いっすね、料理長。料理には柔軟な思考が重要っすよ」
やれやれ、とため息をつくヨシノの姿は、到底新人とは思えない。
王宮の料理人になれる腕はあるので、当然の言動と言えば当然かもしれない。
まあ、ヨシノの思考は柔軟すぎる気がしなくもないが。
海藻の砂糖漬けはダメでしょ……。
「……だから美味いと言っただろうが」
「判断が遅いっすよ!」
「後味と余韻までじっくりと吟味することが大切なんだ」
「美味しいか美味しくないかは食べた瞬間わかるじゃないっすか! 吟味するのはその後でいいと思うっす!」
料理長と新人の言い争いが勃発。熱い討論を繰り広げる。
仲裁したほうがいいのかオロオロしていたら、これはいつものことなのか、他の料理人たちは二人のことを見事にスルー。
このままでいいのかしら、と餡子を食べながら眺めていたその時――
「――これは何の騒ぎだ?」
厨房に不機嫌そうな冷たい声が響き渡った。
振り返ると、私と同い年くらいの白髪の男性が腕を組んで無表情で立っていた。
言い争いをしていた料理長とヨシノが口をつぐみ、他の料理人たちも仕込みの手が止まる。
彼が放つ圧倒的なカリスマと威圧感に似た威厳が、一瞬にしてこの場を支配する。
「おや、お珍しい」
張り詰めた空気の中、唯一カトレアだけが意に介さず、平然と口を開く。しかし、彼女の目も驚きで少し見開かれている。
「いかがなさいましたか、ビャクヤ様」
「カトレアか。少し小腹が空いてな。立ち寄ってみただけだ」
「ほう? 仕事人間のあなた様が仕事を抜け出して自ら厨房へお越しとは。おやおや。明日は大雨でしょうか」
「……その笑みをやめろ」
ビャクヤ……? 聞いたことのない名前ね。
格好いいとは思う。でも、鋭利な刃物を連想させる男性。
面白いものを見たという微笑ましそうな彼女の表情をビャクヤという男性は露骨に嫌がっている。
眉間にシワを寄せて、せっかくの端正な顔立ちがもったいない。
「初めて嗅ぐ匂いだな。何を作ったんだ?」
関係者以外立ち入り禁止の厨房に、誰にも止められることなく踏み入れる彼。不死鳥のイヤリングを輝かせながらそのまま歩み寄ってきて、出来立ての餡子を覗き込む。
「これは……小豆のペーストか? 甘い匂いもするが」
「はい。小豆を使った甘味です。餡子と言います」
「ふむ。食べてみてもいいか?」
「はい。お口に合えばいいのですが」
まだ熱いかもしれない、と注意して、彼が食べるのを緊張しつつ見守る。
餡子を気に入ってくれるかしら……?
「……美味いな。甘さ控えめで気に入ったぞ」
「そうでしょう!? あぁ、よかった……また餡子好きが一人増えたわ!」
ふっふっふ。この調子で餡子、そして和菓子の素晴らしさを広めていくのよー!
「ふふふ。まさか甘いものが苦手なビャクヤ様がお気に召すとは」
「それを言うならお前もだろう、カトレア。ウィルが驚いていたぞ」
「驚くほどのことではないと思うのですが。ただ単にアズ様がお作りになられたものが口にあっただけ。それだけです」
「……昨日のといい今日のこれといい、カトレアも気に入ったようだな」
「はい。大変美味しゅうございました……というかビャクヤ様、食べ過ぎです。わたくしの分が無くなります」
「むぅ。いいではないか。頭を使ったんだ」
「あの……私が食べる分も残しておいてくださいね。餡子は冷やしたほうがもっと美味しいですし……私もまだ食べ足りないので」
大盛りの餡子を頬張った白髪の男性が、キョトンと目を瞬く。
食い意地を張った姿がまるで幼い少年のようで少し微笑ましい。
「冷やしたらもっと美味いのか……なら我慢しよう」
「まぁまぁ! お珍しいこと!」
「うるさいぞ、カトレア」
背筋が凍るほど鋭くキッと睨みつけるが、慣れているのかカトレアは上品に微笑んで受け流している。
……仲がいいのね。ビャクヤという男性は少しやりにくそうだけど。
カトレアに頭が上がらないのかしら?
「凍らせるのか?」
「いえ。粗熱を取って、冷蔵庫で冷やします。けど……」
「時間をオーバーしてしまいますね、アズ様」
「……なんとかなりません、カトレア?」
必殺! あざといおねだりポーズ! 上目遣い付き!
「――なりません、アズ様。時間厳守です」
しかし、カトレアには効果がなかった。
元王妃付きの侍女で王太子殿下の乳母も務めた女傑だ。効果がないのは当然ね。
残念。潔く諦めましょう。
「ぐっ……!」
ん? カトレアではなくビャクヤという男性が、呻き声を漏らしてそっぽを向いたのはなぜだろう? 餡子が喉に詰まったのかしら……?
お水を飲んでくださいね。
「仕方がありません。明日にします」
「ですがアズ様。明日は公務がございますよ」
そう。明日は公務がある。各国の大使との晩餐会の予定。結婚の祝福と挨拶に来るんだと。
だから明日は和菓子作りができないのぉ……! 明日から数日は予定が詰まっていてしばらく厨房に来られなさそうだし……。
「公務は夜でしょう? 軽食にすこーし食べるのはダメですか?」
今度は心の底からお願いする。あざとさは必要ない。必死さが重要。
明日は厨房も忙しいだろうけど、侍女の誰かに部屋まで持ってきてもらえばいいでしょう?
お願いお願いおねがーい!
「それならばいいでしょう」
「やった!」
カトレアの許可が出た! おねだり成功!
これで明日は戦える。晩餐会も頑張れるわ!
「ならオレが先に食べるわけにもいかんか。誰か、餅を用意してくれ。昨夜、夜食で食べてしまってな」
あら。意外と律儀なのですね。私を優先してくれるなんて。勝手に身勝手な印象を抱いていたけれど、少し違うみたい。
「ビャクヤ様。お仕事はほどほどにしてくださいませ。奥様を差し置いて夜遅くまでお仕事など言語道断です! これ以上続くのならお説教させていただきます」
「ぐぅ……ぜ、善処する……」
居心地悪そうに視線を逸らしたビャクヤという男性。
改善する気はありますか? 無いでしょ?
これにはカトレアもニッコリ笑顔。ただし、目は笑っていないし、青筋が浮かんで見える。
あらら。これはお説教コース確実ですねね。ご愁傷様。
「まだ仕事が残っているのでな。そろそろ失礼する。アズ、餡子はとても美味かったぞ」
お餅を受け取ったビャクヤという男性は、まるで逃げるように仕事へ戻っていった。
はぁ、とカトレアが大きなため息をつく。
「――やっぱり王太子って忙しいのね」
わざわざ変装して偽名まで使って仕事から抜け出してきた夫を見送って、私はこっそり独り言ちた。
夫婦の寝室にやって来ないのは仕事が忙しすぎるからなの? 私に心配をかけさせないようわざと突き放した言い方をした、とか?
今回もそのままの格好で来たら騒ぎになるから、配慮してくれたのかしら。
彼って意外と優しいところもある……?
わからない。夫を知るにはまだ時間が足りない。
まあいいわ。
「ヨシノ。今日作ったのは餡子の中でも『粒餡』と呼ばれるもので、他にも『こし餡』というのがあるのですが、作り方を教えるので時間があるときに試作してくれませんか?」
「それを早く言うっすよ! なんですぐに教えてくれなかったんすか! さあさあ! 『こし餡』とやらの作り方を教えるっす! ハリーアップっすよ!」
メモを片手に急かすヨシノに『こし餡』の作り方を教える私。侍女のカトレアも料理長も新しい餡子に興味津々のよう。
こうして和菓子に魅了された
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