第5話 その夜の王太子


 日付が変わる頃、トワイライト王国の王太子キョクヤ・トワイライトは、ふと手を止めて書類から顔を上げる。

 ずっとカリカリと鳴り響いていたペンの音が止むと、真夜中ということもあって、執務室の中はシンと異様な静寂に包まれた。

 彼はしばらくボーっと虚空を眺め、そして目頭を押さえて思わず呻く。


「う゛ぅっ……」

「――そろそろお休みになられたらいかがですか?」

「……ウィルか」


 気配を感じさせずにそっと紅茶を差し出してきたのは、キョクヤの乳兄弟にして腹心のウィルヘルム・クレッセントだった。

 メガネをかけた彼は苦笑して、紅茶を飲むキョクヤを見つめる。


「新婚ほやほやだというのに、奥さんよりも仕事ですか……。最低ですね。あーあ、こんな男にはなりたくないです」

「……うるさいぞ」

「自覚があるのならさっさと帰ってください。付き合わされている僕が可哀そうです」

「…………」

「無視ですか?」


 はぁ、とウィルヘルムは深い深いため息をつく。

 結婚してまだ1週間ほどなのにもうこれだ。完全なる仕事中毒。王太子として仕事が山積みなのは理解しているが、新婚くらい夫婦でイチャイチャして欲しいと思う。いや、そうするべきだ。


 世継ぎを作るのも王族の仕事、というか義務なのだ。


 夜に夫婦の時間を作れるよう仕事の調整はしているというのに、キョクヤはこうしてなぜか夜遅くまで執務室に残っている。


 夫婦仲が悪いわけではないのだろう。朝昼夕と三食必ず王太子妃アズキと摂っているし。


 ならなぜ、と彼は自分用の紅茶を飲みながら疑問に思う。

 考えてもわからない。だから率直に問いかけてみる。


「一目惚れした女性とようやく結婚したのに、なぜ帰らないのですか?」

「ぶふぅっ!? な、なにを言って……!?」

「わかりやすいですねぇ。顔、真っ赤ですよ」


 紅茶を吹き出し、赤面して狼狽える乳兄妹にウィルヘルムは呆れ果てる。


「オ、オレが、ア、アズキ妃を、ひ、ひと、一目惚れなど……!」

「いや、バレバレでしたし」

「なぁっ!?」

「今まで一切女性に興味を示さなかったあなたが、突然、アズキ様と結婚できるよう外堀を埋め始めたんですよ。いやぁー、皆で微笑ましく観察させていただきました。無理やりセッティングした伴侶選びの面談も効果があったようでなによりです」

「か、観察だと? いや待て。『皆』とはどういうことだ!?」


 はて、なんのことやら、とウィルヘルムはすまし顔で恍ける。

 ちなみに、『皆』とはウィルヘルムをはじめ、キョクヤの父である国王、母の王妃、兄弟姉妹の王子や王女たち、そして侍女、執事、騎士、料理人などなど、城に勤める者ほとんどだ。


 アズキとの面談後、『彼女と結婚したい』と言い出した時のことをウィルヘルムは鮮明に思い出すことができる。


 異性ではなく同性が好きなのではないか、と噂されるほど全く女性に興味をみせなかったキョクヤの奇行とも言うべき決断――ウィルヘルムの中でしばらく時が止まったのは言うまでもない。


 延々と考えて彼の言葉を理解し、そして彼が真っ先に行なったのは、医者を呼ぶことだ。キョクヤの頭がおかしくなったのか、もしくは自分がおかしくなったのか、診察してもらったのだがお互いに異常は見られず、不機嫌そうな仏頂面で睨むキョクヤの前で、自分は相当な間抜け面を晒していたはずだ。


 そんな彼がアズキ相手に一喜一憂する姿は、正直とても面白かった。


 特にキョクヤと長年関わりが深かったものは、我が子の成長を見守るような気持ちで、彼の恋の策謀を陰からこっそり手助けもしてもいた。


 知らないのは本人キョクヤ相手アズキだけである。


 柵が多い中、兄弟同然に育ったキョクヤの結婚は純粋に嬉しいと思う。同時に、無表情で言葉足らずな彼の想いがアズキに伝わっているか、とても不安だが――


「アズキ様は、事前調査のとおり物腰が柔らかい女性みたいですね。王太子妃となって性格が豹変するのではないかと危惧していましたが、城の者からの評判もよく、母も気に入ったようですよ」

「カトレアか。まあ、彼女が認められるのは当然だな」

「……惚気ですか」


 ウィルヘルムの母は、現在アズキの筆頭侍女をしている貴婦人カトレアである。彼女からの報告が、逐一キョクヤ及びウィルヘルムに上げられているのだ。


「キョクヤ様も愛しのアズキ様のおねだりには弱いようですねぇ。城中で噂になっていますよ。キョクヤ様が自ら頭を下げて厨房の利用許可を取り、アズキ様はそんなキョクヤ様のためにお菓子作りを始められた、と。健気で献身的な彼女の想いには感動が禁じ得ません……! こんな表情筋が死んでいる仏頂面最低男のためにそこまでする必要はありませんのに……!」

「……彼女のお菓子作りは、オレのためなのか?」

「え? 違うのですか?」

「……どうなんだろう?」


 キョクヤは夕食時の彼女の様子を思い出す。

 鼻歌を歌い出しそうなほどご機嫌だったアズキは、自分に手作りお菓子を振舞おうとする素振りは微塵もなかった気がする。むしろ、自分が食べるためにお菓子作りを強請ったような気がしてならないのだが……。


「今日、アズキ様が何をお作りになられたか知っていますか?」

「まあ、いちおうな。で、お前は何をしている?」

「え? 実際に作ってみようかと」


 テーブルに簡易魔導コンロを用意し、網の上に餅を並べて焼き始め、醤油と黒糖、皿や箸も準備して食べる気満々のウィルヘルムが、キョトンと目を瞬かせた。


「今から、執務室ココで、か?」

「はい。仏頂面などこかの誰かさんに夜遅くまで付き合って小腹が空いたので。ちょうど夜食にはピッタリでしょう?」

「……太るぞ」

「いえいえ。むしろ我々は夜食を食べなければなりません。頭の使い過ぎで何かを食べなければ痩せるぞ、と医局がうるさくてうるさくて」

「そ、そうか」

「誰かが夜遅くまで仕事しなければいいのですが。あ、餅が焼けましたよ」


 こんがりと焼けた餅を受け取り、黒糖を溶かした醤油を見つめる。

 砂糖と醤油の組み合わせが本当に合うのかわからない。厨房の料理人たちは受け入れたようだが……。


「本当に美味しいんですかね? 母は報告書の丸々1ページ使って絶賛していましたけど。あれはほぼ食レポでしたね」

「ああ。あのカトレアがなぁ。初めてだぞ」

「ええ。息子の僕もあんな母は初めてでしたよ」


 二人は恐る恐る黒糖醤油を餅に絡め、意を決して齧る。

 焼けた餅の表面がパリッと良い音を響かせ、口の中に優しい甘じょっぱさが広がった。


「おぉ。これは意外と」

「……美味いな」


 キョクヤは素直に驚く。予想を超えて、醤油と黒糖の組み合わせは絶妙に美味かった。

 どこか懐かしさすら感じさせる味わいだ。


「おや珍しい。甘いものが苦手なキョクヤ様も気に入りましたか」

「苦手なのではない。多く食べられないだけだ。少し甘すぎるが、こうして醤油を足せば……うむ。いい感じだな。黒糖だけだったらすぐに飽きただろうが、醬油のしょっぱさが癖になりそうだ。軽食にはいいかもしれん」

「僕はたまに食べるならいいかな、って具合ですね。やはり焼いた餅には海苔と醤油の組み合わせがベストです」

「まあ、好みの問題だな。でも、悪くはないだろう?」

「ええ。悪くはありませんね」


 二人は黙々と食べ続ける。


「明日は小豆でできる甘味をお作りになる予定だとか」

「気になるな。アズキ妃はどんなものを作るのだろうか?」

「変わりましたね、キョクヤ様。少し前まで女性にも甘味にも興味がなかったのに」

「そうだったか?」

「聞きましたよ。アズキ妃に不死鳥の簪をプレゼントされたのでしょう?」


 ニヤニヤと鬱陶しいほど眩しい笑顔の乳兄弟から目を逸らし、キョクヤは仏頂面でボソッと呟く。


「……単なる男除けだ」

「いやいやいや! この国の象徴シンボルを伴侶に渡すことで完全に王族の一員と認める、という習わしが王族にはあるんですよね? つまり王族にとって不死鳥のプレゼントは最上級の愛の証。それを単なる男除けって……」

「カトレアに渡して貰った」

「なっ!? 本っ当にあなたって人はぁ……! それでも男ですか!? 直接手渡しするところでしょうが! いい加減素直にならないとアズキ様に愛想をつかされますよ」


 不死鳥はトワイライト王国及び王家の象徴だ。

 王族以外、城の中で不死鳥を模ったものは身につけてはならないという暗黙の了解がある。入城の際、不死鳥を模したものは徹底的に排除されるのだ。


 ゆえに、アズキが不死鳥の簪を身につけていたのは、『自分は王族です』と自己紹介しているようなものだった。


 カトレアは不死鳥の簪に『男除けの魔法がかけられている』と説明したが、ある意味間違いではない。

 不死鳥の簪はキョクヤからの愛の証であり、『お忍び中の王族だから手を出すな』という周囲への牽制の意味もある。


 城内で不死鳥の意味を知らない者はいない。時折、他の王族も、国王すらも、不死鳥を身に着けて城の中をお忍びで歩き回る。

 だから誰もがアズキの簪を見て納得し、触らぬ神に祟りなしと深く追求することはなかったのだ。


「ちなみに、アズキ様は不死鳥の意味をご存じで?」

「いや、知らないらしい。知った時の反応が面白そうだからもう少し教えない――とカトレアが言っていた」

「母上ぇえええええ! …………実に面白そうですね」

「やはり親子だな」

「キョクヤ様も興味があるからアズキ様にまだ教えていないのでしょう?」

「……さてな」


 そっぽを向きながらもニヤリとキョクヤはあくどく笑う。

 いつ彼女が知るのか、今から楽しみだ。どんな反応をしてくれるだろう。

 餅を2個ほど食べて小腹を満たした彼らは、大きく伸びをして残った仕事を片付けることにする。


「早く終わらせて寝るか」

「はいはい。頑張ってください。僕も早く寝たいので」


 再び書類に目を落として集中し始めるキョクヤを邪魔しないよう、静かに夜食の後片付けるウィルヘルム。

 夜が更ける執務室に、醤油と黒糖の残り香が仄かに漂い続けていた。


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