第3話 厨房にお忍びで
仏頂面殿下にお願いをしたところ、約束どおり無事に厨房の利用許可をもぎ取ってくれた。
ただ、週に最大3回、一番厨房が忙しくない14時から16時の2時間だけ、という条件付きだ。
シェフたちに迷惑をかけるつもりはないし、この条件で充分です。
私も王太子妃としての勉強をたくさん受けなければならないらしいから、お菓子作りの許可してくれただけでもありがたい。
これで和菓子が作れる!
「では早速――」
「アズキ様、お待ちください!」
「はぇ?」
出鼻をくじかれた私は、侍女のカトレアに呼び止められ、あれよあれよという間に着替えさせられた。
「これは……侍女服では?」
「はい。厨房を利用するのは、『アズキ様にお菓子作りを命じられた専属侍女』ということになっております。なので着替えていただきました」
あ、あぁー。そりゃそうですよね。王太子妃が厨房でお菓子作りをするのは外聞が悪いか。
表向きは侍女で通してあるのね。そして、お忍びでお菓子作りをしろ、と。
これはこれでいいかも。侍女服だったら汚れてもすぐ洗えそうだし。
仏頂面殿下、配慮していただきありがとうございます。
「髪は一つに纏めますね。そして、簪を挿せば……完璧です」
「ありがとうございます、カトレア」
清潔感のあるお団子ヘアー。小豆色の髪の毛に輝くのは黄金と真紅の簪。
デザインは、鳥? いや、トワイライト王国の
不死鳥は、死んでも灰の中から蘇るという伝説があり、国の永遠の繁栄を意味しているのだとか。
平凡な顔立ちと侍女服は見事にマッチして、誰も私が王太子妃だとは気づかないと思う。でも、ちょっとこの簪が派手な気がする。こんなに華麗な簪をしている侍女はいないでしょう?
「カトレア、この簪を外して――」
「なりません、アズキ様!」
「な、なぜですか!?」
キッパリと拒否されて私は動揺する。
「こちらは、キョクヤ様からの贈り物でございます。お忍びの際には、必ずつけるように、と」
ふーん。あの人、女性にプレゼントとかできたんだ……。てっきり、そういう心遣いはできないのかと。
そしてなぜか鏡に反射するカトレアが少し涙ぐんでいる。
「あのお方も成長されましたね……。今まで女性に一切興味をお示しにならなかったというのに……。申し訳ございません。少し感慨深くて涙が……」
乳母であったカトレアにとって、仏頂面殿下は自分の息子のような存在なのだろう。そんな彼が結婚した――感慨深くなるのも無理はない。
無表情な仏頂面だけど、意外と慕われているのね……。本当に意外。
「しかも不死鳥の簪……ふふふ! キョクヤ様は本当に大きくなられました」
「不死鳥の簪に何か意味があるのですか?」
「それはキョクヤ様から直接お聞きくださいませ。わたくしの口からは何も――」
ふむ。この感じだと、何か意味があることは確実。
パッと思いつくのは……愛の証?
いや、ないない。あの女心をわかっていない殿下に限ってそれはない。100%あり得ないでしょう。思いついた自分がまったくもって馬鹿らしい。
簪を贈るという意味よりも、簪自体に何かあると考えたほうがしっくりくる。
そうですね……例えばそう、物凄く高価な国宝級の代物とか!
ん? 国宝……? 国宝!?
いや、あり得る。相手は王太子。そして私は彼の妻の王太子妃。国宝を貸与されても問題ない地位なのだ。むしろ与えられて当然。
考えれば考えるほど不死鳥の簪が国宝に思えてきた。
まさか本当に……? 私、家宝も何もないド田舎の男爵家出身なんですけど。高級品すら縁がなかったんですけど!
あっ、なんか急に頭が重くなった気がする……。
「ち、ちなみに、この簪には魔法の付与がされていますか?」
「はい。もちろんでございます。この簪には防御魔法や追跡魔法、男除けの魔法など、御身をお護りする魔法が数多く付与されております。簪を外すのならば、厨房の利用は許可できません」
はい、国宝決定ぃー!
「そ、そうなのですね。わかりました……で、男除けの魔法とは? 初めて聞いたのですが」
「ええ、秘匿されておりますので。効果は保証いたしますよ。詳しくはキョクヤ様に」
上品にコロコロと笑う貴婦人のカトレア。
なるほど。これ以上は深く聞くな、ということね。
オーケー。いいでしょう。国宝だものね。簡単に口に出せないものね。
いずれ真相を教えてくれるのかもしれないけど、今はまだ藪をつついて蛇、いや龍を出したくないから追求しません。
貴族には空気を読み、察する力が必要。それは王族も変わらない。
それに、国宝だなんて知りたくないですー!
本当に国宝だった場合、私の胃が壊れるかも。
だから、殿下にも聞きません。しばらくは、ただの高級品だと思うことにします。
「アズキ様、厨房にご案内いたします」
「はい、お願いしますね」
考えただけでも胃が痛くなりそうな話題を打ち切り、変装が完了したのでカトレアの案内に従って厨房へと赴く。
その際、行き交う人の多くがカトレアに視線を向けていることに気づいた。
かつて王妃付きの侍女と王太子の乳母も務めた彼女は、王宮の中でも一目を置かれる存在みたい。畏怖に似た彼女への敬意が感じられる。
そして、注目を集めるカトレアに付き従う私も必然的に見られて……なぜか『あぁー、なるほど』と納得したように頷かれ、スルーされる。
どういう反応!? これが簪に付与された魔法の効果ですか!?
軽い認識阻害かしら? やっぱり国宝だから目立っている!?
「着きました。ここが厨房になります」
案内された先は、いかにも厨房って感じの場所だった。
料理をしやすそうな、広くて機能的な水道やテーブル、コンロなどの配置。塵ひとつないほど綺麗に磨き上げられた清潔な壁や床。微かに残った昼食の香り。
ここで王族の食事を作っているのですね。もっと豪華な場所かと想像していたのだけど、ちょっとお高いホテルの厨房とあまり変わらない内装かしら。
まあ、料理を作る場所に豪華さは必要ないか、と思っていると、
「「「お待ちしておりました」」」
綺麗に整列したシェフたちが、一斉に頭を下げた。
突然の歓迎に目をパチクリさせていると、侍女のカトレアが説明してくれる。
「こちらが王太子ご夫妻、キョクヤ様とアズキ様の御食事を任されている料理人たちです」
「そう、彼らが……ん? わた……ゴホン! 王太子ご夫妻だけ、ですか?」
危ない。つい『私たち』と言いそうになってしまった。
今の私は王太子妃の侍女。お忍びなのだから。
「はい。万が一のことを想定し、国王ご夫妻、王太子ご夫妻、そのほか王子殿下や王女殿下の御食事は、それぞれ担当の厨房で作られております。ここは王太子ご夫妻の御食事を作る厨房で、彼らはその料理人です」
「なるほど。食中毒が起こったら大変ですものね」
厨房が一つだったら、王族がみんな倒れてしまう。最悪の場合はみんなまとめて……という可能性もある。それを防ぐために厨房を分けているのね。
詳しく話を聞くと、公になっていないが実際過去に王族が一斉に倒れて血が絶えそうになってしまった食中毒事件があったとか。それ以降、厨房が分けられるようになり、王族は同じ場所で作られたものを皆で食べてはいけないという
王族って大変。家族みんなに料理を振舞うこともできないのですね……。
いや、他人事じゃない。食中毒だけでなく、毒の混入も考えないと。暗殺と隣り合わせの立場になったことを理解しなければ。
「料理長、挨拶を」
「はっ。私がここの料理長をしております、エドワード・ティーチと申します」
カトレアの呼びかけによって列の中央にいた、身長2メートル近い大柄な男性が一歩前に進み出る。
日に焼けた中年の強面男性ね。頬にいくつも刀傷が残っており、子供が泣き出しそうなほど眼光が鋭い。服の上からでもわかる鍛え上げられた筋肉。清潔な見た目をしているけれど、もし髭があって髪もぼうぼうで薄汚れていたら、まさに海賊よ。
正直、白い調理服よりも明らかに海賊服のほうがよく似合うと思う。
「私はア――」
『アズキ』と言いかけてカトレアに睨まれた。いや、笑顔で視線を向けられただけだけど、背筋が凍るような悪寒を感じた。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かった気がする……。
そうでした。私はお忍び中でした。王太子妃付きの侍女のフリをしているのに、名前が『アズキ』じゃだめですよね。
偽名……偽名、ね。咄嗟に思いつかないのだけど!
「アズ――アズ。そう! 私はアズアズと申します。アズと呼んでください」
「は、はぁ。アズ様、でよろしいので?」
料理長は困惑気に私を見て、次にカトレアを見る。
視線が集まったカトレアはというと、
「……くくく!」
顔を逸らし、口元を手で覆い隠し、声を噛み殺してお上品に笑っていた。
偽名の『アズアズ』というのがツボに入ったみたい。
ていうか笑わないで! 他に思いつかなかっただけですから!
「コホン! 失礼しました。彼女は、先日ご結婚された王太子妃アズキ様の侍女です。新人ゆえ、わたくしがお目付け役となりました」
「カトレア様がお目付け役なんてお珍しい……ああ、そういうことですか。道理で」
じっくりと品定めする視線が私の頭で止まり、突如、深い納得の色に変わる。
え? 何を見て納得したんですか? ゴミかなにか付いてます?
しげしげと眺めていた強面の料理長が背筋を伸ばし、いかつく微笑む。
「ようこそ、アズ様。我らが厨房へ。歓迎いたしますよ」
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