第2話 やすいけど切れ味は抜群です
事実は小説よりも奇なり。
どこか遠い外国のダンディーだったかもしれないおじさんがそう言っていた様だが、これは大前提に小説の方にfictional(造語です)という世界があってこそ生まれた言葉だと僕は思う。作り話ならいくらでも盛ることも、探偵が行く先々で事件に遭遇することでさえも容易い。ましてやうだつの上がらない主人公が高校に入って急にモテだすなんてことは、ご都合主義の最たるものだと言えるだろう。
しかし普通はあり得ない、もしくは誰もが想像をしなかった事象が起こってしまうが故、この言葉が生まれたのだろう。
つまり僕が何を伝えたかったのかと言うと、僕が生まれ育った北東北では、小説だけでなく漫画やアニメでよくある卒業式や入学式のタイミングで、桜の花は咲かないって言うことだ。
なんのこっちゃ? と思われることは重々承知。だけど東京よりおよそ一カ月遅く開花する桜は、別れの時や出会いの時にそう都合よく咲いてはくれない。もちろん地域によっては出会い別れ、そのどちらかのタイミングで満開を迎えることは多々あるだろう。でもそれはやはり僕にとっては現実的ではなく、今まで十五年生きてきた身としては違和感を覚えてしまうことは仕方のないと自分で俯瞰していた。
しかし、その違和感が現実のものとなってしまった高校一年の四月上旬、つまり入学式の日だ。あろうことか家から学校まで、通り過ぎていった殆どの桜の木々が、今まさに満開を迎えようとしていた。
テレビやネットニュースでも言っていたが、どうやら全国的に今年は早かったらしく、特に東北地方は各地で大幅に記録を更新した。
科学的に証明するなら温暖化やら寒波やらいろいろな要因が挙げられ、挙句の果てには近い将来桜前線は南からではなく北から南下するなんて説もあるみたいだ。
時代が移り変わればその時々のライフスタイルも変化する。そして気候が変化すれば生態系の在り方も大きく変わってしまう。
しかしそれは大局的に見ればという話だけであり、僕個人の在り方が大きく変わる可能性は限りなく低い。ゼロと言えないのは、僕がまだ十五年という月日しか物事を経験していないからで、世の中のことを全くと言っていいほど知らないからだ。
そしてその自分の無知さを高校入学初日に痛感することとなった。
入学したのは地元中の地元、家から自転車で通える距離の穂河原高校だ。県立高でそれなりに偏差値は高く、一応進学校と言うことになっている。
申請時に不備があり、学校側から自転車で通学する許可をまだ貰えていない僕は三十分程かけて徒歩で高校へと向かった。初日と言うこともあり家を出る時少し緊張していたのだが、時折ヒラヒラとピンク色の花びらが舞い落ちる情景を見ているうちに、心なしか緊張が解れていった。
学校に近づくにつれ自分と同じ新入生と思しき生徒が段々と増えてくる。その中には見知った顔もあったが、誰も向こうから話し掛けてくることはなく、当然僕から声を掛けることもしなかった。
「・・・・・さん待ってよ。一緒に行こうって約束したのに何で先行っちゃうの?」
代わりに後ろから男の声が聞こえてきた。最初の方がよく聞き取れなかったので歩きながら反射的に振り返ると、背の低い女の子が僕の真後ろを歩いていた。僕が振り向いたことに驚いたのか、その子は一瞬速度を落としたが、下からこちらを睨みつけた後今度はさっきよりも速度を上げ僕を抜き去っていく。少し遅れて先程の声の持ち主がまた横を通り過ぎ、やがて背の低い女の子に追い付き並んだ。
追い付かれた女の子は同じ高校の制服を着ており同級生だと思うのだが、制服を着ていなければ中学生、はたまた小学校高学年と自己紹介されても疑わないくらい身長が低く、さっき見た限り顔もかなり幼く感じた。
諦めたのかその女の子は男子生徒と並んで歩いて行くが、男子の方がひっきりなしに話し掛けても終始無視し続けていた。
どちらもそうとうなメンタルの持ち主だなと感心しているうちに学校へ辿り着く。
「入学おめでとうございます」
校門を抜けると数人の生徒が一輪の花を一人ひとりに手渡しながら声を掛けていた。好青年っぽい人だったり、おしとやかそうな人だったりと、いかにも私達は生徒会ですと言わんばかりの面々がそこには居た。前を歩いていた例の二人も「ありがとうございます」と言いながら花を受け取ると、最初は戸惑っていた様子だったが周りを見渡し他の生徒同様左胸のポケットにそれを挿し込んだ。
僕も渡されみんなに倣いポケットに挿し込む。最初コサージュ的な造花かと思っていたが、実物は本物の花で、あたりを見渡すと桜以外の色をした花びらが点々と落ちているのが見えた。
気付くとあの二人は随分と先を歩いているていた。まだ時間的に余裕があるのだけれど、きっと女の子の方が男から離れようと早足で進んでいったのだろう。
僕はゆっくりと風景を楽しみながら歩く。やはりここの桜も満開だな。そう呑気なことを考えながら歩いて行くとやがて人だかりが見えてきた。
「やったー同じクラスになれたね」
「マジかー、同中いねーじゃん」
「うわあいつと同じクラスだよ、最悪」
どうやら昇降口の前でクラス分けの紙が張り出されてるらしい。
人混みは苦手なのだが、これを見ないでイチかバチかで教室に向かうのは無謀極まりない。仕方ないので比較的人の少ない端っこの方に行き自分の名前を探し始めた。
手前のクラスから探すが、どうやら全部で六クラスあるようで、僕が居るとことはその最後の六組の名簿が張り出せれていた。反対の一組の名前も辛うじて見えるので問題ないだろう。
ゆっくりと自分の名前を探していき、とうとう一組に辿り着いた。
なんだ、逆だったのか。とか呑気に考えていた十数秒後、僕は頭が真っ白になってしまった。
「僕の名前が・・・・・無い」
うな垂れるような気持で・・・・・・いや実際うな垂れていた僕は、あり得ない事実を受け入れられずにいた。
もしかして僕がこの学校に受かっていなかったのか? そしてその時からショックで受け入れられず現実逃避をして今日まで過ごしてきたとか?
いや、さすがにそれはないだろうと思っていると、さっき聞いた男の声が聞こえてきた。
「やったね、僕たちまた同じクラスだよ。ほら六組に名前があったよ」
そう言って男が張り紙の下の方にあった名前を直に指し示した。そこには
「ほら李沢さん、ほら、ほら見てってば」
嬉しそうに言う男子生徒。どうやら背の低い女子生徒は前に立ちはばかる人のせいで自分の名前が見えなかったみたいで、それを男子生徒が探し教えてあげたようだ。
李沢性は全国的に見れば珍しい名前なのだが、この地域ではそうでもなく、近所にも同じ名前の家がある。
なんにせよ名前があって良かったね。けど所詮は他人事、嬉しくもなんともない。
気を取り直して取り敢えず職員室か事務室に行って確認してこようと思いその場から離れようとした。
「え?」
踵を返そうとした瞬間、十五年間連れ添ってきた名前が僕の目に飛び込んできた。李沢と書かれたところから更に下へ進んだところに自分の名前があったのだ。
相羽奏。
その名前を見つけ安堵したのも束の間、憤りを感じずにはいられず、思わず舌打ちを漏らしてしまった。
僕の名前は相羽と書いて『あいば』と読み『そうば』ではない。たまに間違えられるが、それはフリガナ無しの時が殆どなので仕方がないが、入学の手続きの時もフリガナ入りの書類を何枚も提出しているはずだ。それでも間違われるなんて自分の運の無さにも呆れる。
どのクラスの名前を見る時も最初の方しか見ないのは昔からの癖で、まさか読み方を間違われるなんて思ってもいなかったことだ。
この怒りをどこかにぶつけようにも、たかが名前ごときで騒いでしまえば、直ぐに大人げない認定されてしまうのは明白だ。
僕は自分自身のことを人一倍気が短い人間だと自認している。なので中学校に入ってからは人一倍我慢することを覚え今日まで過ごしてきた。
だけどその怒りのバロメーターの針が振り切れた時、僕は僕でいられなくなる。だからそうならないよう適度にストレスを吐き出していかなければならず、それがなかなかと言っていいほど難しいのだ。
だが春休み中に殆どと言っていい程発散することが出来ていたので、メーターはまだゼロに近かったことが不幸中の幸いだろう。
なんにせよこれから始まる新生活、波風を起こさないで過ごしていくことが当面の僕の目標だ。
下駄箱で自分の名前を確認すると、やはりと言うべきか本来とは違った順番に僕の名前があった。そこはもう諦めて教室に入り自分の席を探したが、番号順で並んでいるはずなのに案の定最初の方には無かった。黒板に張られた席順を見ると、どうやら真ん中あたりの列の後ろの方に名前があり、李沢さんと言う人は僕の斜め後ろの席らしい。
背が小さいのにこんな後ろで大丈夫だろうか?
そんなこと余計なお世話だろうと思いながらも勝手に心配していたが、どうやら当の彼女はまだ教室に来ていないみたいだ。取り敢えず席に着き鞄を下ろす。特にやることもないので授業中以外は禁止になっていないらしいスマホを取り出し適当に時間を潰すことにした。
五分くらいすると聞き覚えのある声が教室へと近づいて来るのがわかった。聞き覚えがあると言っても今日初めて聞いたのだが、とにかく声が大きく煩いので直ぐあの男だと理解出来た。
「ねえ李沢さん、マッキーから君のことお願いされてるんだって。本当だから無視しないでよ」
「・・・・・・」
マッキー? 随分お洒落な名前のお友達がいるもんだな。それにそのマッキーから何をお願いされているのかわからないけど、彼女はその事にもうんざりしているとみた。そして男を無視し続けている李沢さんだが、今日何度か見かけど、彼女の声をまだ一度も聞いていない気がする。
無視され続けても健気に話し掛けてながら李沢さんの後に付いていく男子生徒。やはり声が大きいので教室に入るなり皆の注目の的になっている。周りの視線に気づいたのか、李沢さんは少し恥ずかしそうにキョロキョロとあたりを見渡すと、僕が見たのと同じ張り紙を見つけ一直線に黒板まで近いていくと、男も「待ってよ」と言いながら金魚のフンのようについて行った。
「あー残念、席離れちゃってるね」
本当に残念そうにしているようには見えなかったが、彼女の方は「フッ」と嘲笑った様な表情を一瞬だけ見せた。たぶん本気でせいせいしてるって感じだなこれは。
確認が済むとまたスタスタと早足で歩きだし始めた。当然目的地は自分の席だろうが、なぜかまだ男の方は後ろをピッタリと付いていく。ここまでしつこくされるのは相当ウザイだろうから彼女の気持ちもよく分かる。
どこまで付いていくのか少し興味があったので、あからさまにならない程度に視線で追いかける。そして彼女は僕の右斜め後ろの自分の席にやってきて鞄を机の上に置き、間髪を空けずに椅子を後ろへ引きずり勢いよく座った。
「あー後ろの席なんだ。大丈夫? 黒板見えづらくないかな。あ、そうだ、後で先生にお願いして俺と席交換してもらおうか? 前の方だしさ。ねえそうしようよ李沢さん」
お前はその子のお母さんなんですか? と突っ込みたくなるようなお節介も甚だしいセリフを恥ずかしげもなく言えるこの人はきっと鈍感以上の何かなんだろうなあと勝手に想像する。
それに彼女の席が後ろの方だってことはさっき自分でも確認したはずですよ。それに早く自分の席に行った方が・・・・・・。
ダン!!
机を叩く大きな音が教室内に響き、同時に座る時よりも更に増した勢いで彼女は立ち上がった。
ほら言わんこっちゃない。
僕は当然だろうと思った。彼女は既に座るなり体をプルプルと震わしていたことを僕は見ていたからだ。だからこれ以上余計なことを言えばこの子の怒りが爆発してしまうことは、誰が見たって同じことを思っただろう。もちろん彼を除いてだが。
「気安く私の名前を呼ばないで!!」
言ったー。
うん、当然だよね。ああまで言われれば誰でも怒るだろうし、本当余計なお世話だって感じだったもんね。彼女は全然間違ってない。かなり声が大きかったけど、その小さな体からは想像できないくらい大きかったんだけど、とにかく大きかったんだけど、大きすぎてこっちもビックリしちゃったけど、彼女の行動は人として正しいと思う・・・・・・・・・んだけど。
・・・・・・・だけど、なんで僕の顔を睨みつけながら言ったんだ?
「え? あの・・・・」
突然のことで面食らいそれしか声が出なかった。怒るのは予想してた。声の大きさも想定よりかなり上だったが、身構えていた分被害は小さかったと言える。そして彼女は取り繕うことなくそのまま僕を睨み続ける。蛇に睨まれたカエルよろしく、彼女の視線は逸らすことを許してはくれそうになさそうだ。
そして僕の耳には「なになに、あいつあの小っちゃい子になんか変なこと言ったの?」とか「あんなに怒るなんて異常じゃない? てかあの男なんなの?」という声が聞こえてくる。他にも何か言っている人もいたが、似た様なことを言っているようだ。
まあ普通そう考えるよな、と最初は他人事みたいに思っていたのだが、話を聞いているうちに、どうやら僕が彼女を怒らせたのだと勘違いしている人がいるという事実に気付いた。顔を動かさずに目だけを左右にキョロキョロさせクラス内の様子を窺うと、多くの生徒が僕と彼女を見ていることがわかり、グググーと胸のあたりに重たい何かが負荷をかける。
何故彼女は彼とは正反対に位置する僕に向かって怒った?
睨まれながらも必死に思考を張り巡らせその原因を探る。
確かに面白半分い見ていたことは悪かったと思う、その点については謝ろう。が、彼は君の右後ろに居て、僕は机一つ分前になるが左側に居た。どう考えても間違えようのない位置関係だし、仮に彼と顔を合わせるのも嫌だったとしても、下を見るなり、または誰も居ない方を普通は見て言うものではないだろうか?
これまた当然と言うべきか、男の方も驚きを隠せないでいた。おそらく僕以上にだ。
どうやら彼は何で彼女がブチギレたのか本当にわかっていないようだった。
「あのすもも・・・・」
理解しているのならば出てくる言葉はそれじゃないことは明白だ。これではあまるで地雷探知機を使って地雷を探し出し、それを自分で踏みつける行為と何ら変わりない。
もはやもうここまできたら既定路線、悟のお化けや数秒後の未来が見える超能力の持ち主じゃなくてもこの後何が起こるか想像するに容易い。
「だから気安く私の名前を呼ぶなー!!」
また言ったー。そして当然だー。
二度目を機に僕から視線を外し、今度は正面、つまり教壇や黒板がある方に向けて彼女は言い放った。
流石に二度目となれば男は声を発することが出来ないでいるようだった。僕からしてみれば僕自身がこの騒動の渦中から少し外れて安堵したのだが、悪目立ちしてしまったことには変わりない。
一度目の時点でクラスの注目を存分に集めていたのに、追い討ちを掛けた二度目の彼女の叫びは、ただ注目されただけでなく、李沢さんという人物像を一瞬で築き上げてしまったのだ。
気安く名前を呼ぶとキレる少女。
見た限りほとんどの生徒が教室内に居る思われる。そんな中で強烈な自己紹介をしてしまった彼女に同情以外の言葉は見つからなかった。
教室は静まり返り、皆がみな奇異の視線を僕たちに送っている。
僕は関係ないし寧ろ被害者なんですけど、とか言えるわけもなく、ただただその温度の無いそれを無抵抗で浴びるしかなかった。
「そ、そう言うことだからもう私に構わないで」
流石に今自分が置かれている状況に気付いたのか、今度は取り繕うかのように冷静を装いながら言った後ゆっくりと椅子に座る。
彼女が座ると静まり返っていた教室内にポツポツと話し声が聞こえ始め、張り詰めたものは若干のこっていたものの、事が起きる前の雰囲気を取り戻しつつあった。
「えっと・・・・なんかゴメンな。取り敢えず自分の席いくよ」
その言葉に対しても徹底して無視を決める李沢さん。丸顔の顔を赤らめているそれは、まるで熟したリンゴを連想させられる。対して男の方は意外にもケロッとしており、バツを悪そうにしているようには全くもって見えなかった。どんなメンタルの持ち主なんだよ・・・・・・。
これ以上見ているのは気まずいと思い、さり気なく前を向いた。どうやらまだ何人かの生徒がこっちを見ながらヒソヒソ話をしている。しかしそれも次第に無くなり、チャイムが鳴ると皆自分の席に着き教師が来るのを待った。
ハァ、最悪だ。初っ端からこんな冤罪を吹っ掛けられるなんてツイてないな・・・・・。
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