第14話 青年[後編]

 集合住宅が建ち並ぶ住宅団地。鈴が暮らすマンションもこの団地内にある。鈴は渚と青年と共に、今月完成したばかりの市立公園――ほんの数日前の深夜、樹と二人で来たこの場所を再び訪れていた。

 時刻は午後五時。無人だった前回とは異なり、利用者はまずまず多い。

 素性を明かして早々、しれっと人の姿に戻った青年は、戸惑う鈴と威嚇する渚を連れ出し、唯一空いていたテーブル付きのベンチに座るよう促した。

 偶然とはいえ、ここは樹と一緒に座ったベンチに間違いなく、鈴にデジャヴをもたらすと同時に、当時の酷い失態を想起させた。しっかり意気消沈しながら、鈴は促されるがままに腰を下ろした。

 一方、何故自分までと言いたげに鈴達に背を向けてしまった渚は、テーブルに頬杖を突いて黙りこくっている。表情は窺えないが、概ね察しは付く。当分は話し掛けない方が良さそうだ。

「わざとじゃないんだけど、さっきの君達の会話を聞いて、つい声を掛けてしまったんだ」

 青年の第一声は、一人で落ち込んでいた鈴の意識を現実に引きずり出した。

「き、聞いてたの……?」

 つまり、鈴が渚を激怒させたくだりも聞かれていた訳だ。寒心と羞恥心に眩暈がした。

「本当に悪気はなかったんだ。でも、結果的に驚かせてしまったね。ごめん」

「あー……ううん。気にしないで。で、話って?」

「お節介かも知れないけど、君達がだいぶ気負ってるように見えたから」

 やや眉尻を下げ、青年は鈴達を呼んだ動機を明かす。鈴にとって、この指摘は決して的外れなものではなかった。思い当たる節は充分にある。

「それは……そうかも。あたしはまだ力を使いこなせてないし、精神的にも未熟で、皆に心配とか迷惑ばっかり掛けてるから……凄く申し訳なくて」

「理不尽だとは思わないかい?」

 青年の清爽な声が、僅かに色を変えた。

 鈴が台詞の意図を把握しかねている内に、青年はゆっくりと語り始めた。

「自死して解放された筈なのに、上層部の都合で死神にされて、この世界に引き戻された。人間を見殺しにしたり、裏切った死神を殺したり、悪夢にうなされたり、劣等感に苛まれたり……何かしら苦しい思いをしながら、それでもオレ達は死神でいなきゃいけない。新米のオレが言うのもなんだけど、これってあんまりだと思うんだよ」

「そ、それは……」

 何か言おうとした。何か答えようとした。だが、鈴には出来なかった。抱えていた本音を気がして、心の重点が揺らいだのだ。

「だから、オレは考えたんだ」

「……考えた?」

「自由になっても良いんじゃないかって。今まで苦しめられた分、好きに生きれば良いんじゃないかってね」

 周辺の喧騒が遠のく。思考がぼやけたのは、暗闇に引きずり込まれそうな薄ら寒いものを感じたからだろう。言葉にならない。けれど、

 青年は鈴の様子に気付くと、少々慌てた素振りを見せながら弁解した。

「裏切れって言ってる訳じゃないよ? ただ、リスクばっかり押し付けてくる奴らの犬でいてやる義理もないよねってだけ。……オレは上層部には不満しかなくてね。裏切りはしないけど、ある程度は自由にやらせて貰ってるよ」

 今しがた感じたものが消えた訳ではないが、幾らかほっとした。喧騒は変わらず続いている。ぼやけた思考が緩やかに形を取り戻していく。

 人畜無害に見える青年が犬という表現を用いたことに若干驚きつつも、鈴はそれ以上に引っ掛かりを覚えた一言に言及してみた。

「自由にって?」

「ん? ああ、隙を見てガス抜きしてるよ」

「こっそり仕事サボってご飯食べに行くの?」

「誰の話だい?」

 青年の声色は、すっかり元に戻っていた。彼はおもむろに腰を上げると、鈴と渚を交互に見遣った。

「要するに、もう少し肩の力を抜いて良いんじゃないかなってこと。ずっと気負ってると疲れるから。疲労は時として命取りになるよ。……世話役の受け売りだけど」

 そう言い終えると、青年は喋るのをやめた。彼が望んだ『話』に一区切り付いたのだろう。

「――もう良いか?」

 始終無言で、聞いているのかいないのか分からなかった渚が、イントネーションのない声で青年に尋ねた。しかし、バッグを肩に掛け直した辺り、尋ねたのは形だけなのだろう。

「ああ。済まないね。長々と」

「……」

 依然として反応を示さない渚から、内情を窺うことは出来ない。

 一応青年に頭を下げて、鈴はつかつかと歩いて行く渚の背中を追い掛けた。が、ある程度の距離を進んだところで気付く。

「えっと……」

 真後ろにいる青年に対し、鈴が先ほどとは別の薄ら寒さを感じていると、流石に耐え兼ねたらしい渚が、物騒な顔で後ろを振り返った。

「付いて来るな。なんのつもりだ」

「え?」

 青年はあたかも怒られた理由が分からないとばかりに目を丸くした後、何故か苦笑いしながら右手を持ち上げた。

「付いて来るも何も……オレの家、そこなんだけど」

 青年が指差した先には、鈴達が暮らすマンションがあった。


 * *


 結構な数の魂を回収して戻る途中、メールアプリを通して電話が掛かってきた。発信者は燿だ。

『あ、ユピテル。いま大丈夫?』

 樹が通話アイコンをタップするのと、燿が発言するのはほぼ同時だったが、長年の付き合いだ。今更驚きはしない。

「大丈夫だよ。どうかした?」

 歩道の端に移動し、樹は用件を尋ねた。直後、燿は電話越しに思いがけない言葉を口にした。

『出来る限り、二人から目を離さない方が良いよ』

 意味は良く分からなかったが、穏やかなものでないのは確かだろう。嫌な気配を感じる。樹は緊張感をもってその原因を探った。

「渚と鈴に何かあった?」

『ないよ。今はね』

「今は……?」

 燿の言い回しが焦れったくて、無意識に眉根を寄せていた。あの二人に危機が迫っているのだとしたら、うかうかしてはいられない。それくらい、燿も分かっているだろうに。

『知ってる? やばい宗教に引っ掛かるのは、もれなく心に余裕がない人だってこと』

「さっきからなんの話を――」

『メルクリウスもウェヌスも、今そういう状態なんだよ。不安定になってる。君以上にね』

 樹は息を呑んだ。気がはやっていて気付けなかった。燿はふざけている訳でも焦らしている訳でもなく、ただ淡々と事実を述べているのだ。

『精神的なサポートはしてあげて。に飲み込まれる前に』

 心を掻きむしられるような、そんな焦りと恐れが頭をもたげた。

 焦りながら、恐れながら、樹はしばし言葉を見失った。



【To be continued】

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