第11話 縋る糸[後編]
サイドテーブルに置いていたスマートフォンを取り上げ、冷え切った指でからがら操作する。
今から常識の欠片もない、身勝手極まりないことをする。怒られるだけでは済まないかも知れない。しかし、自制心を残さず奪われた鈴を止められるものは、既に存在しなかった。
受話器を耳に宛てる。しばしのコールの後、電話越しに少年の声が響く。
『鈴?』
樹の声だ。彼が鈴の名を口にした。たったこれだけのことが、とうに限界を超えていた鈴の緊張を瓦解させた。堰を切った感情の数々が安堵と共に溢れ出し、先ほどとは違った意味で狂いそうになる。
肺を踏み付けられているような苦しさから、意識しなければ呼吸もままならない。息をするので精一杯で、まともに声も出せない。
鈴の現状は、電話越しでも幾らかは伝わったらしい。間もなく、樹が動揺も露に話し掛けてきた。
『鈴……泣いてるのか?』
「ごめん、なさい……こんな時間に……」
『何があった?』
「
何度も何度も息切れしながら、無我夢中で言葉を絞り出すと、電話の向こうで樹が息を呑んだようだった。樹が黙り、鈴が黙り、長い沈黙が生まれた。
自分が蒔いた種とはいえ、終わりが見えない沈黙の重さに押し潰されそうになった。樹はいま何を思うのだろう。次に向けられる言葉が怖い。
『少し、出て来られる?』
結果的に、樹は鈴が考えていたものとは全く違う反応をした。
「え……?」
『迎えに行くから』
樹の落ち着いた声音の中に、異種の響きが混じっている。普段の鈴なら聞き逃していただろう。憂いに沈んでいるような、そんな響きだった。
* *
鈴達が暮らすマンションは、比較的新しい集合住宅が建ち並ぶ住宅団地の中にある。鈴と樹は団地の中を少しだけ歩き、今月完成したばかりの市立公園を訪れた。
鈴の部屋からも全体が見渡せる距離に位置するここは、明るい時間帯なら老若男女問わず人の姿が見られるが、流石に深夜ともなると人気がない。
時刻は午前一時過ぎ。誰もいない。鈴と樹を除いては。
街灯の下、テーブル付きのベンチに座り、樹が買ってくれたペットボトルの麦茶を飲む。冷たい麦茶が、カラカラに渇いていた鈴の喉を潤していく。
「……本当にごめんね。非常識なことして」
ある程度落ち着きを取り戻した鈴は、まずは先ほどの電話について詫びた。穴があったら入りたいとはこのことだろうか。
「お互い様だよ。僕だって、こんな時間に女の子を連れ出したんだから」
自分のお茶には手を付けず、隣で鈴が落ち着くのを待っていてくれた樹の顔は、緊張のためか僅かに強張っている風に見えた。
「それで……また夢を見た?」
ドクン、と鼓動が大きく跳ねた。樹は何も悪くないが、実際に言葉として顕現されたことで、鈴の脳裏にあの悪夢が一瞬間に蘇った。
「み、見た……」
「昨日の死神も?」
「いた……。ずっと、ずっとこっち見て……っ」
「ゆっくりで良いから」
樹は静かに言いながら、中身が零れそうになっているペットボトルを鈴の手中から引き取り、テーブルの上に置いた。
「いつ、き君……あたし……」
「うん」
「もう嫌……!」
ひび割れた声を上げ、頭を抱えてうずくまった。
「嫌! 見捨てるのも! 傷付けるのも! もう嫌なの! もう耐えられない……!」
不安。恐怖。最早そんな単純な話ではない。これは鈴の心の深いところに巣食っていたもの。昨日の
鈴自身、あの時まで自覚していなかった。死神として働く中で、密かに拒絶反応を繰り返していた心が、既に修復が利かないほど、取り返しが付かないほどボロボロになってしまっていることに。
樹は黙している。体勢上、こちらからは顔が見えない。――見る勇気もなかった。
死神になって三ヶ月。もう音を上げてしまった。限界が来てしまった。申し訳ない。でも、もうどうにもならない。もう頑張れない。
「あたしはどうして死んだの! どうして死ななくちゃいけなかったの! 分からないよ! 何も思い出せないよ!」
魂が叫び続ける。
「もう嫌! もう無理! 転生の資格なんか要らないから、もう消えてしまいたい……っ!」
吐き出した。全部。止まらなかった。
全て出し尽くして、一気に力が抜けた。頭がぼーっとする。思考がほとんど回らない。
樹は依然として喋らない。しかし、それも既にどうでも良かった。
「樹君」
顔を少し上げて、目も合わさずに話し掛ける。何を言われても良い。何をされても良い。ただ背中さえ押してくれれば。
「あたしが裏切り者になったら、樹君が粛清してくれるの?」
直後のことだった。強い力で体を引っ張られ、状況も分からないまま硬い何かに頬を打ち付けた。
「しない」
樹の声がする。静かではあるが、先ほどの鈴のものと同様、ひび割れているのが分かった。
「誰にもさせない」
絡まった糸が解けるように思考が回り始める。
鈴は樹の腕の中にいた。頬が樹の胸板にぴったりくっついているため、樹の鼓動をはっきり聞くことが出来た。
「僕が鈴を守るから」
相変わらず樹の顔は見えないが、鈴には樹が泣いているように思えてならなかった。
【第2章 End】
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