第3章 乗り越えるために

第12話 閉じ込めた心

「さっきはごめん。あたし、どうかしてた」

 落ち込みと後悔に苛まれながら、諸星鈴もろほしすずは先ほどの失態を侘びた。僅かでも冷静になろうと深呼吸をしてみたが、大して効果はなかった。

 隣で表情を陰らせていた宇野樹うのいつきが、気にしないでとばかりに緩く首を振った。

「良いよ。吐き出して楽になれたんなら」

 そして、また微笑む。

 樹は鈴の愚行を許してくれたが、それは鈴が自身を許して良い理由にはなり得ない。別の問題だ。

 あんなことは言うべきではなかった。何もかも投げ出し、樹に粛清して欲しいなど。どんな言い訳をしようとも、自分が樹に全てを押し付け、背負わせようとした事実は変わらないのだ。

「また何かあったら呼んで。出来る限りのことはするから」

「でも……これ以上、樹君に迷惑かけたら」

「迷惑じゃないよ。好きでやってる」

 答える樹は、眉一つ動かさない。

 

「樹君」

「うん?」

「なんで、こんなに優しくしてくれるの?」

「仲間だからだよ」

 そんな即答。まるで最初から用意されていた答えのように、鈴には感じられた。何故そう感じたのかは不明だが、敢えて言うなら直感、だろうか。

「……ほんとにそれだけ?」

 違和感に突き動かされ、おずおずと尋ねた瞬間、樹の瞳が揺れた。

 樹のこの小さな変化は束の間で、注視していなければきっと見落としていただろう。しかし、鈴はここで半ば以上した。

「樹君、あたしに何か隠して――」

「冷えてきたね。そろそろ帰ろうか」

 らしくもなく会話を一方的に切り上げ、立ち上がる樹。すっかり元に戻ってしまった彼の表情に、鈴は二の句が継げなくなっていた。


 * *


 下校とほぼ同時に仕事へ駆り出された樹を見送った後。特に別れる理由もなく、樹の弟のなぎさと一緒に歩いていた鈴は、そろそろ渚とも友達になれないものかと機会を窺っていた。

 これまで日常会話や世間話、直近のニュースから天気予報、朝の星座占いに至るまで、利用出来るものは有難く利用し、言葉のキャッチボールを図ってきたが、未だなんの収穫もない。自分の引き出しの少なさと、渚のガードの堅さに嘆く毎日だ。

 ただ、今日に限ってはもう一つ会話の動機があった。友達作戦はいったん保留して、鈴は前を歩く渚に話し掛けた。

「渚君」

「断る」

「まだ何も言ってないけど!?」

 想定を上回るぞんざいな扱いに、鈴はがっくりと肩を落とした。目の奥が熱くなる程度の悲しさはあり、きっと今日の内には立ち直れないだろう。

 などと嘆いていたら、意外にも渚の方から声を掛けてきた。

「まともな話なら聞くだけ聞いてやる。まともな話ならな」

 こちらを見もしないが、しっかりと釘は刺してくるのが渚らしい。

「だ、大丈夫! ちゃんと真面目な話だから!」

「さっさと言え」

 渚の声が低くなったのが分かると、鈴は慌てふためきながら察した。これが最後のチャンスだと。

「えっと、昨日の話なんだけどね。『夢』のことで樹君にいっぱい迷惑かけちゃったの。樹君にはもう迷惑かけたくないのに、あたしはまだ全然――」

 渚が立ち止まった。余りにも唐突だった。

「頼る相手が違う」

 威圧的な声。

 やっとこちらを向いた渚は、底冷えするほど凄絶な表情をしていた。その氷さながらの視線に射抜かれた鈴は、もはや動くこともままならない。

「私は菫色だ」

「……っ!」

 ここまで告げられて、ようやく理解した。自分が渚に何を言ったのか。どれだけ酷いことを言ったのか。

 頭のてっぺんから爪先に至るまで、全てが発火したように熱い。途方もない後悔と、次に来る言葉への恐怖が起因しているのは明白だった。

「渚君、ごめ――」

「要らん」

 取り返しの付かないことをしてしまった。口を衝いた謝罪も拒絶されるほどに。

「……頼るなら黒か藍色だ」

 渚は早々に視線を外し、少しだけ落ち着きが戻った声色で言った。鈴は静かに頷く他ない。

「ただ」

「ただ……?」

「樹――いや、若い死神はやめておけ。奴らの多くは未だ『夢』とやらの克服に至っていないらしい」

 その淡々と紡がれた言葉に、鈴は絶句した。

 では、自分がこれまで頼り続けていた樹は――。


 * *


 自分の預かり知れないところで他の死神達が悪夢に苦しめられていると知った時は、言葉にならない絶望感に見舞われたものだ。

 死神という立場は同じなのに、自分だけが蚊帳の外にいるような。自分だけが皆と違うような。自分だけが――皆の仲間ではないような。そんな惨めな思いが常に胸の中にあった。

「……」

 渚は僅かに表情を雲らせ、自らの手中に風変わりなペンダントを召喚した。

 死神全員に支給されるペンダント。魂を回収出来ない菫色なぎさには、身分証明以外の使い道はない。けれど、渚の中では、実際に仕事で使う大鎌よりも遥かに重要な存在だった。

 死神の証。そして――仲間の証。そう教えて貰ったから。


「そこのお二人さん」


 まだ収束に至らない気まずい空気の中に、聞き慣れない青年の声が爽風のように流れ込んだ。



【To be continued】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る