第5話 己に課した道
昼食を平らげた面々は、残ったお冷を飲んだりしながら、ちょっとした雑談に興じていた。
「空井さん。今日は有難う。ご馳走様」
「どう致しまして。また誘うねー」
頭を下げる鈴に、燿が軽快な調子で応じる。
鈴の視線は間もなく隣席の樹の方へやって来て、樹のそれと交わった。
「樹君達は、これから買い物?」
「うん。鈴は?」
「あたしは家事の続き。朝は大掃除で終わっちゃったから」
「そっか。じゃあ、気を付けて帰れよ」
「もう! 子供じゃないんだから」
かつてと同じ別れの挨拶をしても、鈴から当時の反応が返って来ることはない。もう二度とないと、樹は知っている。だが、これで良い。こうあるべきだ。
鈴は友達と冗談を言い合うような口振りで樹の挨拶に応じると、バッグを掴んで席を立った。
「またね、皆。楽しかった!」
樹達に手を振り、元気に帰って行く鈴の顔は、今朝の怯えに染ったものとは乖離していて、樹はほっと胸を撫で下ろした。彼女が元気でいられるのは、樹にとって最上級の喜びなのだから。
「ユピテル」
燿が樹のコードネームを呼んだのは、ちょうど鈴の姿が見えなくなった時のことだった。
「何?」
「ぶっちゃけ、鈴ちゃんと前みたいな関係に戻りたいなーとか思ってたりする?」
「しないよ」
樹は即答した。しかし、樹が当たり前だと思っていたこの回答は、どうやら燿には予想外だったらしい。燿の細い双眸がたちまち丸くなる。
「ありゃ? そうなの?」
「僕は鈴の未来を奪って、鈴の帰りを待ってた人達を傷付けたんだ。何を望む資格もないよ」
ちゃんと笑えているとは自分でも思っていないが、いま情けない顔をする訳にはいかなかった。
「僕がどんなに後悔しても、鈴は
いつの間にか、自分の声のトーンが落ちていることに気付く。一呼吸置いて、樹は話を続けた。
「鈴が死神の役目を全うして、確実に
「……自分のことすら管理出来ないお子様が、いっちょまえに何言ってんのさ」
燿の言葉は辛辣だ。彼の言い方は良く分かるし、申し訳ないとも思う。けれど、この決意だけは曲げられなかった。
「子供でも良いよ。義務さえ果たせるなら」
「あー、まためんどくさいことになった。クソ生意気なのは誰かさんだけで充分なのに」
半眼になり、台詞に違わず面倒臭そうにぼやく燿。ちなみに、樹の向かいに座っている誰かさんは、素知らぬ顔でスマートフォンを弄っている。
「言っとくけど、俺はいつまでも世話役でいられる訳じゃないよ」
「うん。分かってる」
それも承知の上だ。樹がしかと頷くと、燿は肩を竦めて嘆息した。
「……さすがに三人も面倒見きれないから、あの子の世話は君らがやってよね」
燿が投げ遣りになっているのは容易に知れた。
向かいから舌打ちが聞こえて来たが、文句らしきものが発せられることもなく、この場はいったん落ち着いた。と思われた矢先、燿のスマートフォンが着信音を奏で始めた。
あからさまに嫌そうな顔をして電話に出た燿は、出ると同時に早口でまくし立てた。
「はいはい。いま行くよ。行けば良いんでしょ」
最後まで相手に喋る暇を与えず、電話を切る燿。電話の相手は先輩の死神で、用件はサボりへの説教といったところだろう。これもまたお約束となった光景だ。
「じゃ、呼ばれちゃったから行くね」
荷物と伝票を手に、燿は挨拶もそこそこに嵐の如く去って行った。彼は常に静寂の向こう岸にいる。こちらが挨拶を挟む間もなかった。
急に静かになったテーブル席。樹は目の前で黙々と帰り支度をする渚に、何気なく声を掛けた。
「ちょっと意外だったよ」
顔を上げた渚が、怪訝な視線を寄越す。
「なんの話だ?」
「渚が拒否しなかったこと」
渚は僅かに眉をしかめると、そのまま一時的に沈黙した。
「……有り体に言う」
「うん?」
再び口を開いた時、渚はもうこちらを見ていなかった。
「どんな大事になろうが、私やマルスがいればどうにでもなると思っていた。人間には蘇生が効くからな」
言っている意味は、すぐに分かった。
やや目を伏せ、渚は更に語る。
「そう驕って黙認し続けた結果があれだ」
鼻を鳴らす渚は、心底面白くなさそうだ。
少しだけ驚いた。渚は樹が予想していた以上に現状を重く受け止め、自分なりの考えを確立させていたらしい。
自傷は死神のあらゆる治癒の術を無効化する。かつての鈴は、人間でありながら樹達と深く関わり、蘇生が効かない死に方をした。誰も彼女を救えなかった。
「諸星の件は連帯責任だ」
低く吐き捨てるように断言した渚の表情からは、色濃い苛立ちが見て取れた。
【第1章 End】
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