第4話 宿命の到来[後編]

 鈴が落ち着くまで、樹はずっと傍にいてくれた。ずっと待っていてくれた。彼の優しさが傷付いた心に染みる。

「また怖くなったら、いつでも話して。解決には繋がらなくても、同じ悪夢ゆめを見る仲間として、話ぐらいなら聞いてあげられるから」

「有難う。樹君」

 ショックから立ち直れた訳ではないが、それでもだいぶ平常心を取り戻すことが出来た。感謝してもし切れない。

「本当に有難う。もう帰――」

 帰るねと言い掛けたところで、バルコニーの大窓が外側から開いた。渚が戻って来たのだ。

 右手に軍手を持って現れた渚は、鈴の存在に気付くと、ほんの一瞬だけ怪訝な顔をした。

「渚君。お早う」

「……」

「えっと、こんな時間にごめんね」

「別にいい」

 虚無的な表情と抑揚のない声でそう応じるも、すぐに興味を失くした様子で大窓を閉め、足早に洗面所の方へと歩き去った。

「渚君って、ほんと大人しいよね」

「怒らせなかったらの話だけど」

「あー……」

 言われてみればそうだった。鈴は渚を怒らせる筆頭を知っている。

 噂をすれば影がナントカとは良く言ったもので、インターフォンが鳴っていないにもかかわらず、ここ三〇一号室の玄関のドアが豪快に開かれた。間もなく、不必要なほど大きな声が大砲の如く飛んで来た。

「ご飯食べに行こーっ!」

 聞き慣れた大声。無遠慮に突進して来る幅の広い足音。

 そんな誰のものか分かり切った足音を停止させたのは、棘が敷き詰められた渚の発言だった。

「常識を身に着けろ。何度言わせるつもりだ」

「ん? お邪魔しますって言ったら良い?」

「それ以前の問題だ」

「おやつ買ってあげるから大目に見てよ」

「帰れ」

「嫌でーす」

 渚と来訪者の会話が聞こえて来るが、束の間だった。来訪者が軽快な口振りで会話を一方的に打ち切り、改めてこちらへ近付いて来るのが気配で知れた。

「おはよー。ユピテル」

 さも何事もなかったようにリビングに顔を出した燿が、やはり軽快な口振りで樹に声を掛けた。樹は苦笑しながら挨拶を返すも、言いたいことは概ね渚が言ってくれたので、燿の粗相について触れる様子はない。

「あれ? ウェヌスも来てたんだ?」

「お早う。空井さん。いま樹君に相談に乗って貰ってたの」

「そっか」

 燿からの返答はたったそれだけで、感情など欠片も込もっていない。単に興味がないのだろうが、こうも涼しげに流されると少し寂しい。

 そんな鈴の心情を置き去りに、燿はこの上なくふてぶてしい態度で樹に向き直った。

「ご飯食べに行こ」

「マルス……今日は仕事なんじゃ?」

「気にしちゃ負け」

 仕事なのは否定しないらしい。怖いもの知らずも、ここまでくると感心する。

「ウェヌスも行く? 強制だよ」

「なんで聞いたの……?」

 出会った頃から、燿は掴みどころがない。鈴が彼の破天荒ぶりに慣れたのは、実は割と最近だったりする。

「ほら、駅の近くに新しく洋食――ぐえっ」

 意気揚々と説明を始めた燿だったが、突然背後から攻撃を受け、あえなく前のめりにどすんと倒れた。

「いい加減にしろ」

「痛いよメルクリウス……」

「知らん」

 燿を蹴り飛ばした張本人である渚が、ゴミを見るような目で燿を見下ろしている。

 そこまでしなくても、と燿に同情するのは鈴だけで、樹の方は若干呆れた様子を見せつつも、黙って二人の動向を見守るに留まっている。よほど慣れているのが窺い知れた。

「と、とにかく……また昼頃に迎えに来るから、準備しといてよね!」

 身を起こす傍ら、燿は限りなく命令に近い台詞をこちらに放つと、どかどかと嵐のように去って行った。

「なんていうか、個性的だよね。空井さんって……」

「率直に異常者と言え」

 一応言葉を選んだ鈴に、渚が身も蓋もないことを言う。

「まあ、どうせ僕達に拒否権はないし、昼は予定を空けとくしかないよ。……渚、どうする? 朝の内に買い出し行く?」

「朝は掃除に充てる」

「分かった」

 瓜二つな二人の会話を聞くなり、鈴は慌てた。

「あ、あたしも今日中に掃除しとかないと……!」

「帰る?」

「うん。長居しちゃってごめんね」

 樹の問い掛けに応じる際、やや早口になってしまった。

 仕事の都合上、死神達は普段家事に割ける時間が極端に少ない。なので、今日のような休みの日にあらかた済ませておく必要がある。悪夢のせいで失念していた。

「じゃあ、またあとで」

「うん! 有難う!」

 朝早くから付き合ってくれて、励ましてくれた樹に感謝を伝える。三〇一号室を後にした時、鈴はいつの間にか自分の中の不安が解れていたことに気付いた。

 樹達のお陰だ。彼らの中にいると心地よくて、何故だか

 けれど、悪夢はまだ終わらない。



【To be continued】

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