第1章 欠けた記憶
第1話 放課後の活動[前編]
同じマンションの隣人として、同じ学校の後輩として、同課の死神の先輩として、樹は今も鈴と共にいる。
以前と変わらないようで、何もかもが変わってしまった自分達の関係。不満はない。あるのは罪悪感だけだ。
樹は鈴が失った記憶を知っている。それを隠していることへの罪悪感と――自分が鈴を今の状態にしてしまったことへの罪悪感。両者は常に樹の胸の中にあり、片時も離れない。
「じゃあ、またあとでね」
「うん。また」
今日も罪悪感をひた隠しながら、何も知らない――いや、忘れてしまった鈴と一緒に登校した。一緒に三階まで上がり、そこでいったん別れる。当校は低学年の教室ほど上の階にある配置なので、樹はもう一回階段を上がらなければならない。
教室へ入って行く鈴の背中を複雑な心境で見送ってから、樹は再び階段に足を掛けた。
* *
下校時間が近付いて来た。最近の日課は、ちんぷんかんぷんな授業を乗り越えた自分を内心で褒め称えることだ。
下校までの暇潰しに、野暮な考え事をしてみる。
制服。白いワイシャツに、グレーのタータンチェックのネクタイとスカート。近日中には、この上に黒のブレザーを着用することになるだろう。人生初のブレザーの制服だが、どうせならもう少し可愛い色が良かったと思う。
クラスと出席番号。二年一組二十一番。覚えやすくて結構。とはいえ、転校前にゾロ目を経験しているせいか、そこまで凄いとも思えない。ちなみに、樹は一年三組二番だ。惜しい。
あとは――ない。早くもネタ切れしてしまい、鈴はど真ん中の席で肩を落とした。机の上のスマートフォンが点灯したのは、まさにその時だった。
「……え? もう?」
画面の点灯はメールアプリの通知によるもので、仕事の要請だった。
授業とは別の意味で憂鬱を感じながら、メールに打ち込まれた無機質な短文に目を通す。二度見した。
『十五分後、学校前で事故。八名死亡』
しれっととんでもないことが書かれている。
心がたちまち鉛のように重くなった。どうやら、今日は初っ端から八人も見殺しにしなければならないらしい。
生徒でごった返す下校直後の校内。早足で廊下を突き進み、階段を駆け下りる。細心の注意を払いつつ、ようやく一階に到達したところで、背後から声を掛けられた。
「鈴!」
樹の声だ。鈴はいったん足を止め、振り向いた。
「樹君!」
「急ごう」
「うん!」
樹が加わり、二人で昇降口を目指す。残り三分を切った。
昇降口に着く。間もなくだ。焦燥に駆られ、靴を履き替える時間すらもどかしく思う。
「こっち」
屋外に出るや否や、樹が声を潜めながら手招きをしてくる。慌てて追い掛けた先は、校門脇の大きな桜の木の下だった。
幹の陰に隠れ、さっと周囲を確認する。鈴は樹と頷き合い――死神の姿に転じた。
死神特有の大鎌と、通常の死神それとはまるで違う橙色のオーバーコートを身に付け、鈴は校門の外に緊張を孕んだ真剣な表情で、校門の外を注視する。
一抹の不安と心細さ。ちらりと樹を見る。藍色のオーバーコートを身に付けた樹は、すぐに鈴の視線に気付いたようだ。鈴の感情を汲み、温かみのある微笑で鈴の安堵を促してくれた。
「ほら。集中して」
「うん。有難う」
しかし、微笑み返す暇はほどんど与えられず、その時は訪れた。
轟音と呼んで差し支えないエンジン音が、瞬きの間に近付いて来た。耳を劈くほどの音と、これにより芽生えた人間達の混乱と恐怖の悲鳴が次々と伝播し、辺り一面を支配した。
鈴は目に焼き付けた。制御を失った大型トラックが、複数の乗用車や自転車、歩行者達を吹き飛ばす様を。粉々になった部品やガラス片と、薙ぎ倒されたガードレールや標識の一部が、あちこちに飛来する様を。吹き飛ばされた人間達が、潰された人間が、地面や塀に貼り付いていく様を。
平和な風景は呆気なく破壊され、あっという間に阿鼻叫喚の事故現場と化した。
鈴達がその気になれば、助けられた命もあったのだろう。だが、それはタブーだ。死神にその資格はない。あるのは、死ぬ運命にある人間達の最期の瞬間を見届けること。そして、彼らの魂を回収すること。たったこれだけだ。
「三人分頼める? あとは僕がやるから」
「……分かった」
まだ慣れようがない気分の悪さ。人を見殺しにした罪悪感。見殺しを躊躇わなかった自分への恐怖。多くの負の感情に翻弄されながら、鈴は破片と肉片が散らばった現場に立つ。
鈴の意思に応え、大鎌が橙色の光を帯びた。
【To be continued】
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