プロローグ 死神達の仮初の日常

 二〇二二年九月十二日。諸星鈴もろほしすずが自ら命を絶ち、死神に選定されて三ヶ月が経った。

 今の自分が死神であること。人間だった頃の自分が自死をしたこと。いずれも未だに実感が湧かない。

 鈴は制服に着替えながら、漠然と考えていた。自分は何故、自死などする必要があったのだろう。上層部に記憶を取り上げられている現状、何も思い出せない。

 人間だった頃の鈴の記憶は、六月四日の朝で終わっている。自死をし、死神として目覚めたのは、同月の十日。たった一週間だ。一週間で自分の身に――いや、自分の心に何かがあったのだ。

 鈴の日常は満たされていた。なんの不満もなかったのに。鈴は自ら死を選んだのだ。

 制服に着替え、バッグを持って玄関に行く。ドアを開けようとして、一度室内を振り返った。

 上層部が手配してくれた、五階建て十戸の小さなマンション。全戸共通の1LDKの部屋は、鈴が一人で住むには少し広い。初めての独り暮らしということもあってか、この広さに寂しさを見出したのは一度や二度ではない。

「……行って来ます」

 当然、返事はない。けれど、言わずにはいられない。生前、両親に言っていたように。あの家に沢山の未練があるから。

 とはいえ、幸いにも寂しいばかりという訳ではない。このマンションには、鈴以外にも三人の死神が住んでいるのだ。

 隣の三〇一号室に二人、その真上の四〇一号室に一人が、それぞれ暮らしている。新米の死神である鈴としては、近くに仲間がいるのは非常に心強いし、幾らかは不安も和らぐ。

 今度こそドアを開け、廊下に出る。蒸し暑い。予報によると、夏日はもう少し続くらしい。

 玄関の鍵を閉めたところで、隣の三〇一号室のドアが開き、鈴と同じ制服を着た少年が現れた。見知った顔に、鈴はすかさず声を掛けた。

「お早う。いつき君」

 少年がこちらに気付く。静かにドアを閉めながら、彼は人のいい笑顔を見せた。

「お早う。鈴」

 少年の柔らかな笑みで、鈴はいつも安心感を得ている。慣れない環境下による不安や緊張が、少しずつ解れていく。

 少年の名は宇野うの樹。真面目で大人しい印象は、初めて出会った三ヶ月前から変わらない。彼もまた死神であり、先述した鈴の仲間の一人だ。

 二人、自然と並んで歩き出す。エレベーターで一階まで降り、エントランスを通って外に出る。日陰が途切れ、直に降り注ぐ陽光に目が眩んだ。

 今月頭から転校生として通学している高校は徒歩圏内にあり、生前のように、通勤通学ラッシュの電車で揉みくちゃにされる心配はない。そこだけは非常に有難い。あれは二度と経験したくないと切実に思う。

「なんかまだ慣れないなー。樹君が年下だなんて」

「年下というか……」

 鈴の何気ない言葉に、樹が語尾を曖昧にする。僅かながら渋い顔をしている。彼は間違いなく鈴の先輩なのだが、学校では一学年下の後輩なのだ。

 死神の肉体は、人間として死んだ日のまま、成長も老化もしない。そのため、死神は長期に渡って同じ土地に留まることが出来ず、定期的に活動拠点を移し、戸籍上の年齢を調整する必要がある。そこで、全ての死神は異動と同時に、戸籍上の年齢を死亡時のそれまでリセットするという決まりが出来たそうだ。

 鈴は高校二年生の時に、樹は一年生の時に自死している。樹が戸籍上年下なのはこれが理由だ。

「今日、なぎさ君は?」

「今日は行く気はないみたい」

「そっか。残念」

 時々会話を交えつつ、歩を進める。鈴の出身地である東京よりも、幾らか落ち着いた町並み。比較的、視界にも隙間が多い。

 こうしていると、ごく普通の日常に身を置いているようにしてしまうが、鈴達の生活は決して普通などではない。鈴達はもう人間ではないのだ。

 学校の時間帯のみ免除される。今日も下校してすぐに要請が入るのは決定事項だった。

 人間を見殺しにし、魂を回収するか。死神を殺し、この手を汚すか。或いはその両方か。

 勉強以上に気が進まない仕事の時間は、今日も等しく訪れる。



【プロローグ End】

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