第21話 豪雨のムライ最終決戦

●「洋銀事件」から

 山下は、断片的な証言だけが集まったようなものを手帳に書き殴った。まるで答え合わせのような状況にまだ納得がいかない。その様子を眺めながら敦子は、炊事場の照明をつけた。


「あ、どうもどうも」と、山下が軽く礼を言った。


 その時、二号棟の窓ガラスの向こうに、傘を差した安井とその傘に入った銀が軽く会釈して三福荘に戻ってきた。


「遅ぅなりました。刑事さん、雪上さん。Qちゃんも」。安井が、挨拶しながら促されて山下の隣に座った。銀は少し敦子に挨拶をすると部屋に戻っていった。


「駅前で雨宿りしてはって、傘に入ってもろてきたんですよ」。安井は銀と帰ってきた経緯を話した。


「ほうでっか。ほなここから。ボク続き頼むわ」


「…えと、日曜日お父さんと洋銀行ったら、お便所から裏の川まで幽霊のかけらとかいっぱいついててん」。安井は無言のままこの言葉を聞いた。


「お父さんと病院行ったら、安井のおっちゃんの部屋に……」「じゅういちにん」「洋銀の幽霊が11人おってん」


「じゅういちにん?と、特徴、なんぞ覚えてるか」


「特徴? えっ……えっと、村井さん……と、他は色んな人。骸骨みたいなんは、看護婦さんに負ぶさって出ていって……」。樹は、タヌキを見た。


「あいつが、野洲ひろしちゅう子の母親、父親に憑りついて……、母子が死ぬように仕向けたんや」。タヌキの言葉に小さく頷き、ぽつぽつと樹は言った。


「骸骨はその後で…野洲のお母さんお父さんに取り憑いて、お母さんとひろし……死んで……しもてん……。先生は転校したって言うてたのに」。樹の中には、詰め所で何か話したそうなひろしと、幽霊になって教室で歩き回っていたひろしが浮かんでいた。あの時、話を聞けたのは自分だけだった。声をかけたいとも思った。それを留めたのは、春の言葉だった。もちろん樹は、春を悪く思っていない。自分が決めた時、春は同じ速さでついてきてくれる。樹は決めなかった自分に後悔していた。


「でも……、野洲な、登校してきてん」。一瞬で、その場はしんとした空気になった。


「そ、それ6月10日、木曜日のこっちゃな」。山下が確認する。


「あ、うん。休み時間に気ぃついたら、席に座ってて、他の子のとこいったりしててん。また、学校来るようなったんやって思っててんけど、チャイム鳴ってみんなが席についたら、野洲の席だけあらへんねん」


「そ、そいで……?」。祥子は、思わず樹の腕にしがみいて言った。


「うろうろしてて……、あ、僕、野洲死んだんやって……思たら怖なってしもて……。でもちょっとしたら……」「でていったよ」「うん、でていってしもてん」。祥子は、胸を撫で下ろす。


「で、でもな、ちょっとしたら野洲が大きい声で泣くん聞こえて……、どうしよってキョロキョロしてたら、先生にすごい怒られて」。タヌキが、「しまった」という顔で申し訳無さそうに拝み手をした。


「ほんで、なんで死んだんかなぁとか、また言いたいことあるんかなぁとか……、せやけど、『でも頼まれてへんし、礼もせえへんに決まってるわ』って独り言言うたら、なんか急に先生怒って……、後ろに立ってなさいって」。樹は涙目になって俯いた。


「せんせいが『いまはぷりんとのじかんです』っていったあと、『でもたのまれてへん』ていったから」と、春が肩を撫でながら説明する。それを聞いた樹は、ガックリと肩を落とした。


「ど、どげしたん?」。祥子の問いに、


「春ちゃんが……」と、樹が春の言葉を伝えた。


「な、なんでっか今の春ちゃんって。あと礼て?」と、山下が聞く。


「知らんでええ。そいで続きじゃ、Qちゃん」。敦子が山下には少しぴりっと、樹には優しく言った。


「や、休み時間になっても立たされててん。……体育でみんな着替えて出て行っても……」


「一人で教室に残されて立たされとったん?」。祥子が切ない顔で聞いた。


「……うん……、そしたら、教室に野洲がお母さんと一緒に走って来て、『バーン』してって言うてんなぁ」。樹は、春に確かめた。


「来てんなぁ?」「あ、来てん…です」「来たんやな」。山下は訝しい顔で樹を見た。


「ほ、ほんだら、骸骨が……」「ふたりにかたからぶつかってきたの」「肩からぶつかってきて飛ばされて背中打ってんて……です」


「ぉ、おぉ!なんかボク他人事みたいに言うてるけど、掃除用具入れに飛ばされたやっちゃな」


「う、うん」。樹はまだこの時は自分に戻っていない。春から聞くしかない。


「先生と吉也さんが入ってきた……、骸骨が僕のこと蹴ろう……、春ちゃんに呼ばれて……、骸骨が蹴ってきて……、『バーン』って……みんないっぺんに思いっきし(全員を一度に思い切り)『バーン』てしてしもてん……」。樹は、春が再現していく言葉から、改めてあの瞬間を思い出し少し震えた。その背中を祥子は、そっと撫でた。


 山下も様子を気遣いながら言う。


「ボク……、そら怖いなぁ……。あ!『爆発の中心か……』っつう!」。山下は医師との会話を思い出し、またメモを走らせた。


「そ、そやけど、その『バーン』ちゅうのやるたびガラスやら割れとったら大変やな」


「えっ?僕……今までもの壊したりせえへんかったで」。樹はとっさにこれまでのいくつかの場面を思い返した。春も「バーン」の経験を再現していく。下宮、豊、タヌキ、イカサマ、315号室の幽霊たち、汚物の兵隊……。


「こわしてないね」「うん、今まで壊したことなかったわ」。山下には、ただの口答えに聞こえた。祥子は、家庭科教室の出来事を思い出し、何か樹を庇うことを言おうと口を開きかける。その時、山下は、唇の端だけを小馬鹿にしたように歪めて、


「分かった分かった、お化けは残り9人もおるで」と言う。山下にとっては、ここから何か壊す話にならざるを得ないだろうと詰めたつもりだったが、樹は救われたように明るい顔になった。


「あ!」。樹は春と安井を見た。春は笑顔で樹の腕をぱんぱん叩き、安井は俯いてにっこりと微笑んだ。


「僕がみんな『バーン』ってしたげたけど、何も壊さへんかったもん!」


「えぇ……!9人やで?」


「一人は、あの……村井さんに食べられてんけど……」


「食べる?幽霊が幽霊を食うんかいな?」。山下はちょっと呆れたような顔で聞いた。間を置かずに敦子が言う。


「でぇじなとこじゃけ、詳しゅう聞いたらどげですか」


「えっ?ほなそこ詳しゅう…」


 タヌキも「あっ、兵隊作れるっちゅうやっちゃな!」と思わず言う。樹は頷いた。春が再現する言葉を聞きながら、


「『亡霊っちゅうもんは、人間っちゅう電源をなくした人形みたいなもんや。自分の電池が尽きたら終わり。せやから生身の人間に憑くんや。せやけど、他の霊の電池を横取りしたら、自分の電池の足しにはなるわなぁ』……やねんて」と言った。


「え……え〜え、そんなことなっとんかぁ……?」


「ほ、ほんでな、口からきちゃない色の幽霊の兵隊吐き出して……、僕らに投げつけて……飛び掛かってきてん」


「き、きちゃないって……」


「うん、すっごい臭いし、真っ直ぐ突っ込んでくるから、椅子とか……ガシャってなったりするで」


 山下は真っ青になった。おもむろに立ち上がると開襟シャツを脱いだ。鍛えられた腹部に、赤い手形が残っている。


「そいつ、こんなんもつけるか?」


「あ、あぁ多分」。樹の頼りない返事ではあったが、これで状況証拠は出揃ったようなものだ。


「臭い、突っ込んでくる、手型……」。山下は、腰掛けながらメモを終えると、


「待たしたなあ、兵隊が?」


「うん、僕『バーン』してん。でもなんも壊さへんかったで」


「あ、そや。私そこで目ぇ醒ましたんや」。安井がようやく口を開いた。


「村井さんは、自分の体がどうなってんのか聞いてはりました。銀ママさんが山程バルサン焚かしたんが、幽霊が便所に詰まった原因、自分の死因てわかると、激怒して消えていきはりました。なぁ、Qちゃん」。安井は樹の顔を見る。樹も大きく頷いた。


「銀ママさんとこでしょう。その日から色々起こるようになったはずですわ」


「あ、あのな」と、樹が頑張って声を出した。


「あ、病室の続きやな」と、山下が返す。


「うん、残りの人らは兵隊にされるのもつまらん。もう成仏しよって僕の前に一人ずつ並んでくれてん。一人ずつそっと『バーン』したげてんで」


「あの時の、爆発音と閃光が、私の砲弾ショックを治してくれたんですよ」


「あ、ああ、それ言うてはりましたな。そっからはもう霊は見……。」


 タヌキは軽い違和感を覚えた。タヌキから安井はちょうど山下に隠れて見づらい。


「そうです。見えへん聞こえへん。けど、ムライが取り憑いてるんは一応私……」


 タヌキは少し、心配そうな顔をした。樹がそれに気づく。


「安井のおっちゃん、Qちゃん、それにあの婆さんが集まったら、ムライにしたら『的』が一か所に固まった様になってまうんちゃうか」。その言葉に重ねるように安井が言う。


「それに、銀さん、Qちゃん、『的』が集まっているのはとても危険……」


「ザアアアアアア」。突然雨足が強まった。安井の語尾が掻き消された。皆の目が二号棟のガラス窓に向いた。


 雨の中にムライの巨体があった。全身に浮き出した様々な顔や四肢は更に増え、左側の砕けた顎の裂け目は、更に広がり、赤黒くただれたまま分厚い瘡蓋が固着したようになっていて、ムライが息をするたびに、中にたまった汚物のような液体が溢れては体半面を滴りながら、何かに形を変えて地面に落ちていく。それは雨に打たれながら、少しの間をおいてじゅくじゅくと地面に溶けていくのを繰り返していた。




●ムライ最終決戦

 中空から汚物が流れ出し、短刀や拳銃、札束などが様々な形を成して落ちていく。その様子に気付いたのか、


「ム、ムライ!」と叫んで、安井が立ち上がる。


「うあ!、あ、あんときの!」。山下も気付き立ち上がった。


「え?なんなん?あれどこから落ちてきよるん?」。祥子は思わず窓際に寄り、ガラス窓を開けようとする。


「あ、あかん!」。樹は祥子の腕を掴み、敦子の傍まで連れて行った。タヌキが樹の前に回り込む。


「あれ…、ムライやで。すごい怖いねん……」。樹は、全身を強張らせながら言った。


「ほんまじゃ…」。敦子はムライの方を睨み据えたまま、落ち着いた様子で立ち上がると祥子をかばうように後ろに立たせた。


「なんや。どないすんねん」。タヌキは身構えたまま、窓際で様子を見ている。ムライは、窓の外に立ったまま、首を傾げながら考え事でもしているように見えた。


「ど、どないしたら……」。山下が小声で呟く。


「あ、そや」。安井は、自分の肩掛けバックを引き寄せジッパーを開いた。和紙のような白い包みを三つ取り出した。


「これ、今日文殊院さんでもろてきましてん」。安井は一つを敦子、一つを樹に渡した。


「あ」


 春が小さな声を上げた。樹が振り返る。春の姿は、まるで野外映画会のスクリーンから外れた暗闇に映し出されたおぼろげな映像のようになり、春の声も、遠いかすかなラジオの音のように聴きとれなくなった。


「は、春ちゃん!?タ、タヌキのおっちゃん、どういうこと?」。樹が、タヌキに声を掛ける。だが、タヌキの姿も、窓ガラスに映り込む灯や人影のようにぼんやりとして、何かこちらに向かって話している声も、襖越しに囁きを聞くようにもどかしくなった。樹は安井を見た。安井は、何か決意と自信のにじんだ笑顔を一瞬樹に向け、自身も一つその包みを持って窓の外を見た。


 ぼとぼとと実体化しながら落ちていくものの位置がずれた。


「あ、玄関の方、向いた!」。樹がムライを指差しながら言った。


「お札のおかげやな」。安井が少しほっとしたような声で言った。「え?」樹にはその言葉が強く引っかかった。


「これは……、八字文殊の真言の札……」。敦子は包みから札を取り出し、頷くと


「祥子、これちっとあんた持っとりんさい。守りの札じゃけん」と、祥子にその札を持たせた。


「は、はい!」


 樹は、敦子の言う意味を測りかねた。ただ、それが、春やタヌキとの繋がりまでも断ち切る何かであることは察しがついた。慌てて樹は、包みを机に投げ出した。安井の顔が一瞬険しくなり、すぐ困ったような笑顔になった。その瞬間、春とタヌキの姿が、周囲の景色から粒子が浮き上がるように現れ、形を成し、声もくっきりと戻ってきた。


「いつき!」。春は樹にしがみついた。


「どないなっとんねん。なんでこんな札でわしらまで……」と、タヌキが捲し立てようとした時、山下が声をあげる。


「ああ!」。ムライは、突然二号棟へと向き直った。ムライの視界には、札の結界によって視界が歪んだ隙間に、震えながら自分を強い目で見据える樹がいた。


「ごぶぁあがああ!」。ムライは、ぶるりと体を震わせると、のけぞるようにして裂けた顎から液体を溢れさせた。いや、それは溢れるにしたがって、両足の形となり、汚物の兵隊となって吐き出されようとした。


「ひっ!!」。全員の目がその光景に釘付けになった。ありありと汚物の兵隊が実体化されていたのだ。


「あ、あれも見えるようになっとんか!」と、タヌキが叫ぶ。汚物の兵隊はよろよろと立ち上がり、ぐらぐらと頭を揺らしながら、樹めがけて突っ込んでいく。


「ガッシャーン」。激しく窓が割れ、板壁の一部が砕けた。机や椅子が倒れ、文殊院の札も床に転がった。


「キャアー」。祥子と樹、春が悲鳴をあげた。タヌキが、汚物の兵隊の異臭を放つぬめりのある体とがちんと組み合い、食い止めていた。樹は春と一緒に震えながら後ずさりした。


「んぐぅ!」タヌキががっちりと腰を落とし、相撲の両差しの体勢になった。雨が更に増す。風も吹き込み始める。後ろに転がった樹は、恐怖にすくみながらも、


「春ちゃんは、ここにおり」と言うと、足を震わせながら立ち上がった。わずかだが食いしばった歯がカチカチなっている。樹は恐ろしさをこらえて声を上げた。


「バ、『バーン』する!するで!」。樹は、汚物の兵隊に突っ込んでいった。


「バーーーン」。閃光と香ばしい匂いが広がる。汚物の兵隊は消滅した。そこには吐瀉物と排泄物と硫黄の混じったような臭いが広がった。


「ぐあがあ!」。ムライは怒りに震えながら、また新たな汚物の兵隊を吐き出し始めた。


「ぜ、善財童子さんでっしゃろ!どないかしてえな。あいついっぱい兵隊貯めてきてんねやで!」。タヌキが思わず、敦子に叫んだ。


 敦子と安井が同時にタヌキの顔を見た。敦子が言う。


「人の体では、無茶はできなくてね」


「えっ?」。タヌキはその返事に違和感を感じた。善財童子はいつも自分に敬語を使う。眉間に皺を寄せ目を細めたタヌキには、敦子の後ろに、背の高い、気品に満ちた姿が見えた。


 ムライは一人を吐き終え、更にもう一人を吐き出そうとしていた。



「唵阿味羅吽佉左洛…、唵阿味羅吽佉左洛…」。敦子は、右掌を拝み手に顔の正面に掲げると真言を静かに唱えた。


「かっ!!」。小さく気合いをこめると、それは雷となって落ちた。


「ばあーーん」。轟音と共に、雷光が光の槍となって、二人の汚物の兵隊とムライを貫いた。落雷独特の香ばしい空気を焼く匂いと共に汚物の兵隊は消え、ムライも吐き出しかけた三人目と共に体の一部が吹き飛んだ。


「わあああ!やったあ!」。樹が声を上げた。タヌキは、雨の中、うずくまるムライに近づいた。


「ど、ど、どないなったんやあ!」。落雷によって停電した夕刻の薄暗がりで、山下が叫んだ。


「言うたれ」。タヌキが樹を促す。


「うん……、いま雷が、ムライと兵隊に落ちてん!体半分、ち、ちぎれてうずくまってるで!」

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