第14話 なんでそこまで

●三福荘へ

 堺屋の軽トラックが、市民病院から出た。樹は荷台に乗っている。


「ほんまに大丈夫やろか」。助手席の安井が不安げに言う。


「いやぁ、管理に入らせてもろてるアパートでな、よう世話なっとって、さっきも電話で『すぐお越し下さい』言うてくれはってな。とりあえず挨拶だけでもいってみよ」


「騒動も悪いし、その…金も…」


「まぁそのへんも行ってからや」。瀞は、電車道を左に曲がり、川沿いの道に入った。



「春ちゃん、すごい怖かったなぁ」「うん、ほんとうにこわかったね」


「けど…よう思い出したなぁ、教室のこと」。樹の言葉に春はにっこりと頷いた。荷台にはタヌキも乗っている。


「ほんまや。えらいのぅ。賑やかで明るいところっちゅう逃げ場所が見つかっただけで儲けもんや。けど問題は『いつ来るか』や」。タヌキはもったいぶって腕組みをし、少しおどけたような顔をして、すっと消えた。




●雪上と敦子

 三福荘につく頃、既に日は暮れ、一つ、また一つと街灯が灯り始めていた。


「えらいこんな時間に押しかけて、すんません。ご挨拶だけ…」


 出迎えた敦子は、いたわりに満ちた笑顔を浮かべた。雪上もそばに立っている。


「どうぞどうぞ、お上がりなさって下さい」。雪上が促すと、敦子がわずかばかりの安井の手荷物を預かり、管理人室から奥の客間へと三人を通した。


 全員が座についた時、祥子が管理人室に戻ってきた。早速、茶の支度にかかる。


「本当に、これまでのご苦労に加えてのお怪我…、ご回復おめでとうございます」。二人は頭を下げた。雪上の言葉には、今回の事件、砲弾ショックによる苦労、その大元となる出征への労いがこめられていた。


 瀞と安井、そして樹もペコリと頭を下げた。瀞が口を開く。


「ありがとうございます。入院して早々に砲弾ショックが治ったんは良かったんですが、怪我がまだようならんうちに退院せなあかんようになりまして」


「確か、またQちゃんが頑張って憑りついとったもんは消えたり、逃げたりっちぃ聞いとりましたが…」と敦子は、樹に微笑みかけながら言った。


 祥子は、茶を出し終えると、盆を持ったまま、少し下座に控えて座った。


「安井と申します。あの一件で死んだ村井っちゅう人だけが、その…、他の幽霊を食ったりして、もう化け物みたいになって、毎日出てきよるようになって、もの壊したり、音立てたり。病院にしたら私が暴れてるように思われてしもて。病院にも居辛うなってしもたんです」


「まぁそげな……」


「ま、まぁ私はその手のモンが見えんようになってしもたんですが、無視されたて感じるんか、余計荒れよって、病室の窓割ったり、壁にパイプ椅子をぶつけたり、それを全部私やと疑われて……」


「そ、それは大抵のことやありませんね」。雪上の心配そうな言葉に、瀞は少し被せるように言った。


「あ、けど、さっきタヌキさんが、一旦撃退してくれはったんです」


 雪上と敦子は驚き、顔を見合わせ、樹を見た。


「タヌキさん、僕らの前に立って、力石のパンチで…」と、樹はぎこちなく右手拳をすくい上げるような仕草をした。


「あ、アッパーカットやな!」。雪上が気づいた。


「そうそう、そしたら顎のこっち側がぐちゃってなって、倒れてしもてん…です」と、自分の左顎を手で覆って頭を右に振りながら倒れる仕草をした。


「へぇ」


「Q、その続き、話せるか」。瀞は樹の様子を見ながら促した。なにしろ村井やタヌキの姿や声は樹以外に知る術がない。


「う、うん」。樹は少し俯くと顔を上げた。春がすぐ側に正座している。祥子も樹の隣に座り、肩を手の平で触れた。樹は、二人に励まされて頷き話を続ける。


「下側の顎がなくなって、転げ回って痛がっててんけど、血、血と違がうけど血みたいなんが、なんか一杯噴き出してきて、お札とか、ピストルとか、いろんなもんになってバラバラって」


 安井も口を開いた。


「そ、それが私らにしたら、なにもないところから、いきなり札束や拳銃、短刀、ほんまいろんなもんが、ぼとぼとっと落ちて床一面に散らかっていくんです。驚きました」


「ええっ、お二人もご覧になったんですか」と雪上は、思わず聞き返した。


「は、はい。そらもう一杯になって。ちょうど病室に来た刑事と警官も、見て驚いてました。間違いないんです」


「へぇ…」。雪上と敦子は息を飲み、顔を見合わせた。


「Q、続きやで」と父に促されて、樹は顔を上げた。


「うん。痛がってバタバタってしてたけど、おまわりさん見た途端、刑事のおっちゃん突き飛ばして、逃げてしもて…。びっくりしてたら、お札とか出てきたもん全部じゅくじゅくって消えてしもたんです」


「ほ、ほんまですか」。雪上の言葉に瀞と安井が頷いた。


「警察は来る…騒ぎになる…、もう病院には置いとけません。安井をどっかに住まわせてやりたいんですが、こんな事情話せる人、他に思いつかんで、こちらに寄せてもろたんです」


「そ…それはそうですねぇ」。雪上は思わず腕を組んだ。


「安井にはうちの仕事手伝うて貰います。家賃はうちが保証します」


「そ、そんなことは…。けど、堺屋さん、なんでそこまで」


 瀞は、少し俯いて頭の中で何かを整理しているような顔をし、頭を上げた。


「私、戦争の後、長いこと入院しまして。それでもこないして働いて、結婚して、子供もおるんです。けど安井……、安井はなんもないままやなんて……」。樹を見やった瀞の目から一筋の涙がこぼれた。


 雪上と敦子は、小さく、だが強くびくっと震えた。雪上は唇を強く噛み締め、敦子は真っ赤になって俯き、ポロポロと泣き出した。


 瀞は、少なからず二人の様子に違和感を覚えた。一方、安井は、瀞の方に向き直り、


「おまえそんなこと思てくれてたんか…」と涙ぐんでいて、二人の様子には気づいていなかった。


「あ、あの、なんか私…?」と言う瀞の言葉を遮って、雪上が口を開いた。


「お引き受けします。安井さん、三福荘に入って下さい」。雪上の声は、少し不自然に大きく、雪上は言い終わってからそれに気づき、少し恥じ入る顔をして、


「ど、どうも」と、頭を下げた。


 祥子は、瀞の涙の場面から敦子らの様子に、どうしたらいいかわからなかった。樹は、ただ父が泣くほど安井を可哀相に思っているのだと思った。


 少しの沈黙の後、雪上は、


「そうだ。実はもういつからでも寝泊まりしてもらおと思うて、さっき祥子に一部屋掃除させて、布団も敷かせたんですよ」と、言った。


「は、はい!用意できとります」と祥子は、反射的に答えた。


「そうだ、祥子、悪いけど三号棟に布団やらしかえてきてくれるか」


「は、はい!」


 雪上は、少し早口になって続けた。


「いえ、今、三号棟から潰して建て替えようち思うてまして。少々壊してもろうても構いません。幽霊が解体してくれるなら手間も省けて…」とここまで言って、恥じ入ったように言葉を詰まらせて、照れたように苦笑いし、敦子の顔を見た。敦子も思わず、吹き出して、涙を小指で拭うと夫の背中を撫でた。


 祥子がハンカチを敦子に渡し、


「うち、行って来ます」と一同に会釈をして、出て行った。


「あ、あたしも」と敦子も、涙を指先で拭い、顔を隠しながら部屋を出て行った。


「そしたら甘えさせてもろても…」と瀞が言いかけると、雪上は手を軽く前に出して、


「甘えるなんて、気兼ねのう部屋使うて下さい。先程は失礼しました。ほんま恥ずかしい」と言うと続けて、


「子供さんが二人もおられる堺屋さんとこより、うちの方が安全や。後は、その『ムライ』の退治というかお祓いですね」


「はぁ、そのへんはタヌキさん頼り…ですが……」。瀞は、そう言うと、ちらっと樹を見た。樹と春は少し辺りを見渡したが、首を横に振った。


 全員が息を付き、目を落とした時、春が言った。


「たぬきさん、びょういんで『あわてな。むこうもじかんがかかるわい。みをたてなおしてからきよるやろ。そのあいだに、さくせんねらなあかんな』っていってたよ」


「あ、忘れてたわぁ。今、春ちゃんが…」と、樹が皆に伝える。


「では、今しばらくは返って安心とも言えますね」


「明日、警察にも退院とこちらにごやっかいになることを電話しときます」と、瀞が言う。


「お願いします。ところでQちゃん、なんか顔色悪いけど大丈夫か」。雪上に言われて樹はキョトンとした。父や安井も改めて樹の顔を見る。


「そ、そう言えば、まあ今日はえらい恐ろしいもんみたし、な」。瀞は樹の髪を撫でた。


「お待たせしました。ご案内します」。祥子が戻ってきて告げた。



 堺屋親子は、三号棟の部屋に安井が入るところを見届け、三福荘を後にした。




●「ムライ」

 夕食時の堺屋では樹が、市民病院の一件を家族に話していた。


 樹がスケッチブックに鉛筆で描いた怪物「ムライ」の姿は、絵の拙さを差し引いても、非常に恐ろしい姿だった。


「げぇ〜、こんなんいてんの?」。さと子が、樹に聞きながら、色鉛筆で着色をしていく。


 顎が砕けてのたうつ様子は、樹がモデルになって、さと子が絵にした。そこに、噴き出してきた札束などを父が描き足していく。奇妙な家族の合作が出来上がった。

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