第13話 接点/退院

●接点/退院

 山下の腹には、先ほど杉原組で仲根の腹についたという手形とよく似た手形が浮き上がっていた。


「Qは知らんふりしとき」。父がとっさに樹に囁いた。安井も、


「そや、じっと俯いてたらええ」と言った。これまで変人・狂人扱いされてきた経験が頭をよぎった。


「さっきの札束やらなんやら、なんでしてん」。山下が安井の様子を覗き込むように近づく。


「いやあ、自分らも急に風が吹いた思たら、今度はなんやら出てきたかと思うと…」と安井が答える。


「なんか見えとったんちゃいますのん。これまでの入院先でも、お化けが話しかけるてな記録残ってまっせ。あれなんでしてん。教えとくんなはれ」

 山下は、安井の入院歴などをさかのぼり、村井や杉原組となんらかの繫がりがないか調べていた。山下は自分の息がかかるほど安井に近づき、声を荒らげて続けた。


「警察は、お化けは管轄ちゃいますねん。せやけど、こんなんつけられたら事情聴かなあきませんやろ!」

 山下は、自分の腹についた手形を露わにして安井に凄んで見せている。しかしそれは筋違いのことで、得体の知れないものへの恐怖が行き所をなくし、むやみに安井に向いているだけだった。片岡もそんな山下に気付いて、両肩を掴んで押しとどめながら言った。


「さっき、杉原建設で、従業員に同じもんがついたって連絡来たんです。その時も、凄い風が吹いた言うてました。安井さん、怪我した時のことからもう一回話してもらえますか」


「そ、そや、村井の全身にもこんなんついてた訳、聞かせてもらわんとあきませんのや!」


 安井は、一つ息を吐くと瀞を丸椅子に、樹をベッドに座らせた。樹の隣に春が座った。


「自分は、戦争中、陸軍で大陸にいましてな、砲弾ショックが悪化して、7月に宇品に戻されたんやけど……」


「空襲やな」。瀞が思わず口を出した。「空襲?」と、樹が聞く。


「アメリカが軍艦や基地狙うたり、街中にも無差別に爆弾落とすんや。あ、すんません、僕もその頃呉にいましてん」


「あれでいっぺんに私の調子もひどなりましてな。声やら影やら…。そう、呉の空襲の後、…もう戦後やからええやろ……、片上から広島の宇品に暗号所を移動させた残りをまとめて持ってこい、片上の暗号所は綺麗に始末するように命令されててな」


 意外な地名に瀞、樹、そしてタヌキも驚いた。


「そんな仕事もされとったんですな」。山下は少しメモを走らせた。


「ちゅうても、なんかようわからん開発中の薬品か試料とかやった。憲兵や怪しい奴ら、地元の連中の争いもあったけど、物資は西片上の倉庫に集積できた。そこに原爆や」


 一同は息を呑んだ。瀞がそっと樹の唇に指を当て、声を出さないよう促した。安井は続ける。


「宇品がどうなってるかわからん。倉庫で物資と足止めや。そしたらすぐ次の命令がきてな。暗号所の者つけて民間の輸送船出すから、そこに、物資残らず積んで大阪に必ず帰れ、民間人や海軍にも一切触らせるな」。今度はタヌキが絶句した。片上で積み込まれた荷物には、そんな経緯があったのか。


「輸送船言うても、触雷対策に木造で吃水も浅い船や。そこに船倉まで傷病人や荷物で一杯や。荷物は片寄せて、傷病人はあらかた甲板に追い出したんやけど、長持持ち込んどった男が騒ぎ出しよって、長持ごと叩き出そうとした時、海軍の上等兵が割り込んできよった」


「あ、あの時の……」。瀞は、大声で田伏を怒鳴りつけていた陸軍兵と、入院していた砲弾ショックの安井が全く繋がっていなかった。


「海軍はこんな輸送船での任務にも女連れで乗船すんのかって頭に来たけど、後で乗船名簿見たら、『堺屋一等兵』ってなってるやないか。こいつが『暗号所の者』かと思うて覚えてたんや」


「え、お父さん上等兵ちゃうのん?」と思わず樹が聞く。瀞は少し照れ臭そうに笑った。


「呉鎮から出る時な、一等兵の軍服の合うもんがのうて『これ着ていけ』言われてな。それだけや」


「ええ!暗号所になんも関係なかったんか。諜報員やと思うたから、今の今まで知らんことにしてたんや」。戦友達は、懐かしさをにじませた笑い顔をみせた。


「ほんでお化けはいつ…」。山下が聞く。


「おお、すんまへん。最初宇品に戻される前から、死んだ戦友や、手足の千切れた…幽霊が話しかけてくるようになってまして、軍医には『後方に下がったら治まる』て言われてたんやけど、内地でもひどうなる一方で。結局荷物と一緒に大阪に戻って…、病院をいくつも変わって…。ずっとおかしなっとったんです。堺屋に世話なったりしながら、ようなったり悪なったり…、去年の天六ガス爆発事故で、また入院…、あれでもっとひどなって、浮浪者みたいになって…」


「はぁ…。ほんで、洋銀の件に巻き込まれはったんですなぁ」。山下らは神妙な面持ちで、尚且つ半信半疑な様子だが、入院歴は符合している。


「あの晩、洋銀の裏通ったら、なんか中でボーっと明かりがついたみたいで、なんやろて木戸越しに覗き込んどったんです。そしたらえらい叫び声がして、ガラス戸破って、あの人が飛び出してきたんですわ」。安井の表情は強張っていた。


「村井でんな。村井だれかと一緒でしたか」。山下は、また安井の顔を覗き込む。安井は目を床に落とし、少し震えた。やがて、ごくりと唾を飲み込むと口を開いた。


「何人おったんか、人の形したもんやら骨だけのんやら、そらもう大勢で襲い掛かってきましたんや」


 山下と片岡は顔を見合わせた。現場のガラス戸や裏木戸の状況と足跡に符合した。


「そのまま、村井さんも含めて、私に憑りついとるんですわ」


 山下と片岡は、背筋に冷水を浴びせられたように細かく震え、部屋中をきょろきょろ見回した。二人の後ろには、壁にもたれるようにタヌキが立っている。しんとした時間が少し続いた。


「村井さんも泥棒かも知れんけど、可哀相な最後ですな。うらみごと言うて行く宛あらへん」


 安井のこの言葉に樹は、はっとした。村井が断ち切らねばならない執着は、「宛がない」ことだ。樹は思わず、タヌキを見上げた。タヌキは、黙ったまま、渋い表情をして樹を見つめ返し、頷いた。


「ほ、ほんで、杉原建設に出たり、今ここに出たり…、でっか」。山下は、亡霊になった後の村井の足取りの一部を突き止めた気がした。


「けど、私、今度の怪我で砲弾ショックが治ってしもて、霊もなんも見えんし聞こえんようになってしもたんですわ」。安井は巧みに樹の「バーン」を伏せたまま、話を続けた。


「そしたら、さっきの、あの、ぶわっと出てきて、じゅわーって消えたもんは……?」


「さ、さあ…。そ、そんなんは私にも何とも」。安井は眉間にしわを寄せて首を振った。


 安井はゆっくり視線を戻し、山下の様子を伺った。


「うーん。わかりませんわなぁ。けど、村井の好きそうなもんばっかし出てきましたなぁ。あいつは欲と暴力でできてるみたいな男でしてん。言うたら、村井の中身が溢れ出した、でっしゃろか」。山下は腕を組み、少し考え込んだ。


「山下さん、そろそろ」。廊下には、病室での物音や制服の巡査を見た患者らが、数人集まり始めていた。


「おっ、そやな。ほないこか。また退院日とか行先とか、念のため知らせといて下さい」。山下は、もっともらしくお辞儀をして、出て行った。


「あんまり騒ぎにならんうちに退院せんとな」。瀞が言う。安井が返した。


「そや…。あ、ほんでQちゃんに来てもろたんや!」。全員が「そうだったね」という顔になり、緊張がほどけた。


「あいつ…、怖かったな」。タヌキが呟いた。


「タヌキのおっちゃんが、『あいつ怖かったな』言うてます」と、樹が伝える。


「おおそうや。さっきはありがとうございました」。瀞が頭を下げると、安井も続いた。


「いや、あんなもんたまたまや。あいつがかがみこんでくれんかったら、どうにもならなんだ」。タヌキが言い、樹が二人に実況し始めた。


「それにしても、あれ、なんやったんですか」と、瀞が聞く。


「そや、あんなもんがぼろぼろと…。見えとったんやろ。あんなん知らんわ。けど、ほんま色々やる奴っちゃ。他人を食いもんにした上で、使い捨てにするわ、ぶちまけたもんがあんなもんになるわ…、はっ!」


 タヌキの言葉を単純に伝えていた樹が、タヌキの方を見上げる。


「もし、あれ、投げつけたりしよったら…」と、安井が瀞の顔を見る。


「大怪我してもても、あいつが消えたら刃物も拳銃も消える!や、やりたい放題や!」


「ぼ、僕、刑事さんに言うてくるわ!」。駆け出す樹の腕をタヌキが掴む。引き留められた樹が一瞬宙に浮いた。瀞達には、それが上手いパントマイムに見えた。


「Qちゃん、慌てな。向こうも時間がかかるわい。身を立て直してから来よるやろ。その間に、作戦練らなあかんな」。タヌキは言い終わると、「それ!実況せい!」と両手で樹をあおった。樹が頷いて話しかけた時、病室のドアが開き、機嫌の悪そうな婦長と事務長らしい男性が現れた。


「けっこう調子ええて看護婦から聞いてまっせ、ここんとこ賑やかにしてはったり」。事務長の薄っぺらい言葉は穏やかであったが、婦長は、いまいましさのにじんだ顔で、


「ほんまに安井さん、元気にならはって。よっぽど見事な詐病やったけど、もう入院に飽きはったんですか。病院はただで泊まれる旅館とちゃいますよ」「きみぃ、一応この方は気の毒な『犯罪被害者』やで」と事務長が形だけたしなめ、入院計算書と退院期日について書かれた書類を安井に手渡し、出ていった。


「全部、安井が暴れたと思われてるで」。瀞は、書類を覗き込みながら言った。


「これ以上おったらやっかいなことになりそうやなぁ。そやけど、堺屋、すまん、どないしたらええやろ」


「タヌキさん、耳なし芳一か、牡丹灯籠みたいに魔除けになるもんとかありませんか。あと出て来る時の条件みたいなもん……」


「そんな便利なもん……、出て来るとこも……」とタヌキが言いかけた時、


「いつき!」と、春が樹の手を引っ張った。振り返る樹に言う。


「きょうしつでおばけきえたよ」


「あ、ほんまや。朝、教室に入った時はおったし、話しかけて来たけど、みんなが教室入って先生来る前に消えてしもたな」と、樹が言う。


「そ、そうか、そんなとこ居心地悪いやろな!あとは、どこに出て来よるかやな」。タヌキの言葉を実況した樹が、


「またここかな」と、聞き返す。


「場所やのうて誰目当てにやなぁ…、この安井のおっちゃんか、そんで、銀のばあさん。もし二人を餌にしたら出て来るの待つだけや」


 樹が実況すると、瀞は小さく頷いて、


「ここにおりや、電話してくるわ」と言い残して出ていった。

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