第9話 三重螺旋

●三重螺旋

 菜の花の河原には、穏やかな暖かい風が吹いている。樹と春は、以前に遊んだ石に並んで腰掛け、目をつむって、その香りを楽しんでいた。なだらかな下り勾配の先に川が、キラキラと太陽を反射させている。石にしぶきが跳ねて更に明るく輝いていた。


「行こか」「うん」。二人は手を繋いで河原に向かって駆けていった。



「今日は浅なってるわぁ」「ほんとだね」


 振り返ると先程自分達がいたもっと向こうの丘の上に人影が見える。


「春ちゃん、誰かおるで」「ほんとだ。…ごにん、なにかにのったひともいるね」


 騎乗の人影が、こちらに手を振った。


「手ぇ振ってるで」「うん」。樹たちも釣られて少し手を振った。


「お辞儀や、お辞儀せえ」と、背後からタヌキが耳打ちをした。振り向くと、タヌキの姿は、昼間より更にくっきりとして、内側からほんのり輝いているように見えた。小獅子もすぐ脇にいる。


 タヌキは恭しく、遠くに見える騎乗の人影に向かって頭を下げた。それを見て樹達も深くお辞儀をした。



「今日は頑張ったな」


「ほんま?」と樹は、タヌキと小獅子を交互に見た。


「ほんまや。子供には荷が重かったやろ。お前は精一杯やっとった」


「うん?うん」。樹はなんとなく不自然なタヌキの話し方に首をかしげながら頷いた。


「心配ご無用」。小獅子は、短くタヌキに頷いて彼方を見やると、続けて、


「それでは田伏殿」と、ぽつりと言った。


「はい?はい。Qちゃんよ、これから昼間の話の説明をするからな、子供にもわかるように話すからよう聞いて覚えなあかんで」。タヌキは、地面に落ちている背丈ほどの枝を拾いあげた。すると一面の菜の花の河原の一部が、綺麗な砂浜のようになった。


「わっ」と二人は小さく声をあげ、少しワクワクしたお互いの顔を見つめて、手を繋いだ。


 タヌキは、砂に枝で真っ直ぐ線を引いた。


「ええか、そこが生まれたとこ。最後が死んだとこ」。タヌキは二ヶ所を枝で示した。


「うん、うん」


「死んでも、また生まれてくる」。タヌキは線の続きにまた線を引いた。


「生まれ変わり?」「そや、真っ直ぐ書いてたら向こうに行ってまうから、まるう描くで」と、今度は一生を円弧で表した。


「わかるなぁ?」「うん」。タヌキはそれとなく小獅子の顔も見ながら説明を続ける。


「ほれ、ぐるぐる生まれて死んでを繰り返すんや。これが輪廻転生や」。タヌキは徐々に大きくなる渦を書き、指で砂に「輪廻転生」と書いた。


「死んで、またこの世に生まれて、繰り返しながら自分を成長させていくんや」「成長?」


「そや、ほらわしが子供の命を…やな、それまでは自分の方を大事にしとったけど…子供を守るっちゅう考えや行いする方が立派やろ」。タヌキは自分を例にしたことで、少し照れながら話した。樹と春は真面目に頷いて聞いている。


「だんだん立派な、ちゅうか、気高い魂になっていくんや。この渦は一人の魂の成長っちゅうわけや」「へぇ…」


「うちの坊ちゃんも死んだ後の執着で、渦の途中で止まっとったけど、前に進んで行くことができた。前の『下宮さん』て人もそうちゃうか。わしもそうやし、病院の幽霊たちもそうかも知れん」。タヌキは渦に沿って指を這わせ、一旦止めて、また動かした。


「ほな、バーンってしたんは、このぐるぐるの、途中で止まってたんを進めるようにしたってこと?」。樹はタヌキと小獅子を見ながら尋ねる。


「そや。ただ、ほんまは自分で越えなあかんかったんやけどな」と言って、タヌキは渦の端に小石を置き、「ばーん」と言いながら指で小石を弾き飛ばした。樹は、ここで困惑した顔になる。タヌキはそんな顔にさせたことを詫びる気持ちになりながら続けた。


「ま、まあまあ待て、ひとまず、この人の魂のことだけ考えたら、ありがたい話なんや。双六の一回休みがなくなったようなもんや。けど、この渦…成長しようとしてる魂は、一個だけちゃうやろ」。タヌキは、周りに簡単にいくつかの渦を書いた。


「豊ぼっちゃんの魂、穣ぼっちゃんの魂、村上のだんさん、いっぱいおる」。いつの間にか、最初の渦の周りに、ひとりでに続々と小さな渦ができていった。


「わっ、わ、わ!」。樹と春は声をあげ、周囲を見渡した。砂浜は、大小の渦でいっぱいになった。


「これ、他の魂の成長になんかの影響が出てくるんや」。見渡すと、ある渦は小石によって止まり、ある渦は、速度を増して回っている。樹と春は、恐ろしさでお互いにしがみついて震えだした。タヌキは枝を投げ出し、渦を越えて、二人の前に飛び移り、膝をついて二人の背中を撫でた。


「すまん、すまん。怖がらす気ぃないんや」「う、うん、うん」


「樹殿」。小獅子が、小さく樹を呼んだ。三人が小獅子の顔を見る。


「小石を飛ばすその力、それは歪みを生む力。世界の幾多の魂に、歪みが歪みを生み広げ、或いは収めて行くや知らん」


「色んな歪みが色んなとこに出たり、うまいこと収まったりもするっちゅうこっちゃ。あ、あ、あんたやっぱり、わかりにくいわ!子供にわかるように話そて、相談したやろ。あんな渦巻き、大人でも怖いわ!」。どうやら、二人で打ち合わせをした上の説明のようだった。小獅子は、タヌキの声にびくっと身をすくめると、耳と尾をうな垂れた。


 丘の上の五人の人影は、吹き出した様子で笑っている。騎乗の人が、左手で脇に立っている少年を差した。少年は軽くお辞儀をして、左手を口元に添えて誰かに囁くように話しだした。


「坊やが独楽の男の子を救ってあげたことが、お店の繁盛になったりするし…」。少年の声は、そのまま小獅子の口を通して、樹たちに届いていた。


「ずっと屋根裏にいたタヌキさんをいったん成仏させてあげたことが、問屋の改築になったり、これも歪みの一つなのさ」。いきなり現代語調で話し始めた小獅子に、樹と春はぽかんとしてしまった。ただ、話はずっとわかりやすい。樹と春の表情が緩んだ。


「あ、ああ、うん、それも歪み?」


「そうだよ。刺青の男は心が清められて、兄貴分が余計にひどいことをしようとして酒場で死んでしまった。これも歪みさ」


「え、洋銀のこと?鮒の兄ちゃんをばーんってしたから?」。樹はまた不安な顔になる。


「ふふ。ただ、それがあったから、お父さんの友達は病気が治ったろ?良いも悪いも起こっていくのさ。ひっくるめて『歪み』って呼ぶことにしよう」


「ぁ…、うん」。樹は、大きく頷き、真剣な目で小獅子を見つめた。


「さっきの双六の一回休みが失くなった話、全く逆を考えてごらん」


「え?逆?」と言い、しばらく樹は考えた。春は、少し張りつめた顔で樹を見つめている。タヌキは、そんな春の表情の変化に気づいた。


「えっと、自分の順番を飛ばされること」。樹が答えた。春の視線が地面に落ちる。


「そうだ」。小獅子を通じて少年が答え、にっと笑った。


 タヌキは、そんな話だったか?という怪訝な顔をした。確か今夜は、外道異道から隘路までを子供向けに解らせるはず。


「え?僕が誰かの順番飛ばしてるってこと?」と、樹が呟く。春は目を伏せた。


 少年はまた微笑んで、


「坊やはそう考えるんだね。えっと、独楽の男の子や弟が、急に自分の双六の駒を沢山進めたりすることさ。鯉の男は、今自分をもて余したまま。周りは混乱している」


「へぇ」


「止まっていた分弾みがついたり、勢い余ってしまったり。見ていた者がやっかむこともね」。少年は、少し間を置いて続けた。


「時には成長に必要な試練、修行さえ飛び越えて行ってしまう」


「そしたらどうなるの?」


「坊やは、もし何も勉強せずにお店を継いだら、やっていけるかい?」


「あ…、あぁ、そうか」と、樹は頷いた。


 騎乗の人が何かを少年に告げた。


 丘の反対側を下った先には、広い平原が広がっている。そこには真っ白な布を纏っただけの太古の時代の何百人もの兵士が、刀や槍を握りしめ、整列していた。


「ね、坊やの『バーン』はそれくらい大きな力と影響を持っているものなのさ。人を救うことも、混乱に落とすこともできてしまう」


 樹は、神妙に頷く。


「樹君、これからも私たちからの正しい声や、忠告を守ってくれるかい?」


「はい!」。樹は素直に返事をした。春は、何も言わずに樹の腕にしがみついている。


「そっちのお嬢ちゃん、春ちゃんはどうかな」。少年は、小獅子を通じて春に問う。


「春ちゃんもええやんなぁ?」。樹も春を見つめた。


 春はじっと、少し手前の地面を見つめたまま、真顔で大きく首を横に振り言った。


「いつきのいうことをきく」


「な、なんやそれ、なんか違うんか」。タヌキは大きな声で聞き返した。


「春ちゃん、どうゆうこと?」と樹も聞く。


 春は、固く結んだ口を少し震わせ、言った。


「じゅんばんをとばすのはわたし」「え?」


「いつきのじゅんばんをとばしてる」。春はボロボロと泣き出し、樹の袖に顔を押し付けた。タヌキはおろおろとする。


「な、なんや、え?これはどういうこっちゃねん」


「一つの体は、一人で使うものなんだ。二人がかりじゃ動かせない。全部坊やがやるべきなのに、二人がかりでやったり、その子がやっちゃってるんだ」と、少年は穏やかな口調で言った。


「せ、せやけど、春ちゃんと助けおうて上手くやれてたらええやんけ」


「それは双六で自分だけ二回振るようなもんさ。双六の上手い下手とは別のこと。『ずる』、それも大きな歪みだよ」。少年の口調はあくまでも優しく、しかも毅然としていた。


「これは、この世界の『生き物の法』。坊やは、仏法の外、時の法の外、生き物の法の外で生きていくのかい」。樹は、震えだした。春をしっかり抱きしめて、涙を溢れさせた。


「は、春ちゃんは、一緒に、おったら、あかんの?」。樹は、頭のなかで必死に言葉を紡ぎ、ゆっくり話した。


 丘の向こうの兵団が予備動作に入る。


「春ちゃんもさ、自分だけの人生を作って生きなきゃ…」。樹を見上げる小獅子の足元に、砂の渦が二つ現れ、一つの先がもう一つにぐんぐん近づき、二重螺旋の太い線になり、止まった。


 春は、樹にすがったまま、力なくその場に膝をついた。樹も春を抱きしめながら膝をつく。


 樹を握りしめていた指の力が抜け、やがて春は、砂に両手をついた。


「わかってくれたん…」と少年が言いかけた時、二重螺旋の線が、二つの渦の先端を巻き取るように螺旋を増し始める。


 樹や春、タヌキ、小獅子もその場に固まったまま、その様子を凝視した。砂に現れた二重螺旋は、二つの渦を巻き取りながらほどき、やがて二重螺旋を持った一つの渦に改まった。


「ど、どういうこと、なにかしたのかい!?」と、少年は樹らに尋ねる。ただ、二人は呆気にとられて見入っていた様子で、首をかしげながら、「知らへん、なんもしてへん」「うん」と言うだけだった。


「こ、これは…『太極』。き、君達の魂は、既に太極に在るというのかい!」


「それてどないでんねん」と、タヌキが聴く。


「タヌキさん、魂は、雌雄どちらかを現世で繰り返して、自分の役割を果たし、ない側を求め、大切にして成長していくんです。これは、その雌雄が既に一体になった『太極』を表しているのではないでしょうか。魂の進化の先に在る姿。ハッ!」


 小獅子の眼を通して見たものに、少年は釘付けになった。次の瞬間、騎乗の人が、すっと消えた。ふいに背中が軽くなった大きな雄獅子が、少し後ろを振り返るような仕草をした。小獅子が気配に振り返るとそこには、先の二人がすぐそこに立っていた。


「文殊菩薩様、善財童子様!」。小獅子が少し驚いた声をあげた。


「え、ええ!」。タヌキは腰を抜かさんばかりに驚いた。これまで、菩薩や仏は、物見遊山や法事で手を合わせる程度のものだった。小獅子が現れて、説教にも似た助言を受けるようになり、自分自身が磨かれ心が澄んでいく変化を実感していた。問屋の天井裏で、汚れた埃の塊のように朽ちようとしていた時からは、何もかもが違う。そして今、文殊菩薩が目の前に現れたのだ。タヌキは、思わず声にならない声をあげた。


「こ、これ……が、歪み!異道の法、時の法の外の正体……」。善財童子が絞り出すように言った。


「腑に落ちたようだね」。文殊菩薩様はそうおっしゃると、砂に現れた螺旋の紋様を覗き込んだ。


「こちらでございます!」。善財童子が指す先には、先が二重螺旋になった渦が、中心に向かって途中から三重になり、三重螺旋となっていた。


「これはまさしくこの世界の法の外」。菩薩様は小さく頷き、小獅子に向き直る。


「渦はお前が描いたのかい」


「はい。樹様に、ご自身や関わり合う方々の有り様をお見せしようと、『その有り様、顕現せよ』と念じましてございます」


「そうですか。これは、どう捉えたらいいものか。ほら、二重も途中で切れて、一人になっている時もある。子供達、何か覚えていますか?」。菩薩様は樹と春を交互に見た。


「わからへん…です」。菩薩様は、困り顔の二人の前に膝をつき、寄り添う二人の髪を優しく撫でた。


「大丈夫、きっと解き明かせますよ」。涙を拭きながら頷く樹に眼を細める菩薩様が、何かにお気付きになった。それは、樹の肌の中に不規則に散りばめられて、極めて小さく、乳白色をしている。頬や腕、指先や膝にも、内臓や血液にもあることが感じられた。


「なんでしょう。坊やには何かが沢山混じっているようだね」。菩薩様はお立ちになった。


「田伏貫太郎。予定を変えて、もう少しこの子達についてあげてもらえませんか」


「あ、ああ!そらもう願ったり叶ったり…、いやいや、仰せのとおりに…」。タヌキは畏まって頭を下げた。樹達が、タヌキの受け答えにポカンとした顔を向ける。その顔をにこにこと眺めながら、菩薩様は、


「それでは、タヌキさんにうっかり触れてもいいようにしようね」と仰ると、小獅子を抱き上げた。


「もう一働きお願いします」。抱き上げたまま両手をそのまま高くかざすと、小獅子は、頭巾のついたたてがみ色の大きな外套がいとうになった。ふんわりと空を漂ってそれは菩薩様の手の中に収まった。


「さあ」と菩薩様はおっしゃると、たてがみ色の外套を持って、タヌキに両手を差し伸べた。


「あ!は、はあ!」。驚いて眼を丸くしていたタヌキは、慌てて菩薩様の前に跪くと畏まって外套をおしいただいた。


「へ、へへっ、そ、そしたら早速」とタヌキは、たてがみ色を広げると、ふわりと身に纏った。この外套には袖先に手袋もついている。雄獅子のたてがみのような大きなファーのついた頭巾を被り、手袋を穿くと、まるで大きなライオンの着ぐるみが出来上がった。


「お、おっちゃん!ライオンやん!あははは」。樹が、思わず声を出して指を差して笑った。春も手を叩いて笑う。


 菩薩様も思わずお笑いになり、


「笑顔になったね。これは少し直そうね」と仰ると、手の平をタヌキに向けた。ライオンの外套は、みるみるうちにたてがみ色のつなぎと、革の手袋になった。


「ほら、手でタヌキさんに触れてごらん」


「うんっ」。樹は、おそるおそるタヌキの手の平に触れた。


「ほっ、なんともおまへんわ」と言うとタヌキは、樹の両脇を抱え一気に抱き上げた。


「ほら!どや!大丈夫や!」。タヌキは、右腕に樹を抱えると、左腕で春も抱き上げた。


「わあ」と、二人が歓声を上げる。


「ほんまは、すぐにでもこないしてなぁ、おまえらのお陰や!おおきに。ほんまおおきにやで」。タヌキは、泣きながらはち切れんばかりの笑顔を見せ、二人を抱き上げたまま、その場でぐるぐると廻ってみせた。


「そろそろ行きましょう。貴方が付いていればよいでしょう」。菩薩様は、軽く手を振って、丘の方を向くと、善財童子と共にそのまま消えてしまった。


 砂浜は、じょじょに消え、元通りの菜の花の河原が広がっていった。丘の上の人影や兵士たちも消え、再び穏やかな風が吹き始めた。


「ふぅ、あ、挨拶する間もあらへんだな」。タヌキは、大きな吐息とともに、膝をつき、二人を降ろした。


「あんな話になるて思てへんかったわ。ほんま今夜は、お前に『この世の決まり事を考えながら、世間の役に立つように考えて生きていったらええからな』っちゅうて…、まあ、そんなはずやったんや」


「えっと、仏さんの法と、時間の法と、生き物の法やろ」。樹は指を折りながら、春と確かめ合いながら言った。


「そやそや、仏法と時間の法は、わしがそばにおったるし、わしでもあかんかったら、今日の善財童子さんが来てくれはるやろ」。タヌキは、地面にべったりと尻を付けて座り込んだ。


「わたくしも及ばずながら…」


「うわ!びっくりした!」。三人は、驚いて周りを見渡した。小獅子の声だ。やがて春が気づいて指さす。


「むねのぽけっと」。見れば、胸ポケットの上に小獅子の顔の縫い取りが施されている。その口が申し訳なさそうに喋っていた。「お力添えいたします」


「ライオンさん、おらんようになったんちゃうかったんや」。樹は、安心した様子で小獅子の頭部を撫でた。


「なぁ、らいおんさんよ、最初、二人の二重螺旋みて『太極』や言うてたけど、なんかそうでもないみたいな感じになっとったなぁ。あれなんでんねん」


「陰陽和合の先にあるものを『太極』、或いは陰陽に分かれる以前の根本を『太極』と申します。ただ、それかと思いよく見れば、さらに根方に三本目。これは生き物の法においても外の道やもと。なればそれ、話は『出直し』となりましたものと」


「つまりしばらく様子見ってこっちゃな。」「左様で」。


 樹と春は、タヌキのたてがみ色のつなぎを強く握りしめたまま、その会話を聞いていた。


「なぁ、どういうこと?僕らのことやろ?」


「文殊菩薩さんが見てわからんねや、わしらもわからん。みんなわからんもん、わしらが考えてもしゃあないやろ。またいつか教えてくれるやろ」。タヌキは、ことさら明るく言った。


 樹は、春と手を握りあって、小さく頷きあった。


「ほな、春ちゃんは一緒におってもええんやんなぁ」


「かめへんかめへん。このタヌキさんがついとったら『よいでしょう』て、文殊菩薩さんのお墨付きやで」「あははは」。二人の安心した顔にタヌキはホッとした。


 三人は、しばらく川に足をつけたり、石を投げたりして遊んで過ごした。



「なあ、おっちゃん、ほんまはどっかいくのん?」と樹が聞く。タヌキは、少し罰の悪そうな顔をして苦笑いした。


「すまん。話があっちゃこっちゃしてもて。ないことになったけど、わしも何回もサイコロ振れた口みたいでな、『より高き修業に進みなさい』、ちゅうて言われてたんや」


「へぇ、『高き修業』って?」「もっと偉ろうなる修業や」


「守護霊より?」「そうやなあ……、タヌキ大明神ってどや。霊験あらたか、商売繁盛、満願成就で賽銭ザクザクや。お参りこいよ」「あははは」二人は声を揃って笑った。




「あー、また笑ろてるわー、起こすの悪いなぁ」。夕食の支度がすっかり整った食卓の横で、さと子が樹を見下ろしている。父母も微笑ましく眺めている。「Qちゃん、Qちゃーん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る