第5話 市民病院315号室

●違う天罰

「これ、回路がほうぼう(ところどころ)ショートしててもうあかんみたいや」とゴミドンのラジオを前にして、父があちこちをテスターの電極で示しながら、説明した。


「ふぅん」「ほんでな」「うん」


「革のホルダーに入ったラジオ、あれ、ゴミドン…安井さんに使こてもろたらと思うけど、かまへんか」


「あっ!」「てんばつ、てんばつ」と、春も同じことを感じたようだった。


「ん?どうした?」

 ラジオが手元から無くなる、樹達は、違う天罰が来たと感じた。


「ううん。ええよ。安井さんに使こてもろて。ラジオ取ってくるわ」

 樹は、茶の間のテレビの横に吊り下げてあったラジオを取りに行った。革の部分をそっと撫でながら、ラジオが自分の身代わりになるように思えて、樹は少し辛い気持ちになった。


 樹は上り口のところから、「はぁいラジオ」と瀞に声を掛け、ラジオを渡した。


「ラジオ、どうしたん」と、千鶴子が訊く。


「安井さんのラジオあかんから、あれ使こてもらうねんて」と樹は、そっけなく言った。


「そうなん。ええのん?ラジオ」


「うん。安井さん喜ぶやろ。僕、そんなに聞いてへんし」

 野球の時と同じような言い訳の仕方だと、千鶴子は感じた。


「僕、図書館行ってこよかな」

 樹は、そのまま階段を上がっていった。千鶴子は、階段下までついていって見送ったが、もちろんそれが罰を受け入れた様子とは知る由もなく、怪我をした人のために自分の楽しみを犠牲にしようとする姿に思えた。ところで、図書館に行くなら、あの事件現場の傍を通っていくことになる。犯人も何も公にはっきりしたことはわかっていない状態だ。千鶴子は、店先の瀞に声を掛けた。


「物騒かも知れんし、図書館連れたげてくれますか」


「うん、そしたら、市民病院寄って、このラジオ渡してこれるな」





●市民病院315号室

 ゴミドンこと安井耕三は、運び込まれた市民病院の個室でうなされてた。薄暗い部屋一面に十数人の亡霊が立って、頭に包帯を巻かれた安井を見下ろしながら口々に呟いている。村井に一斉に取り憑き、その村井をその場で憑り殺してしまい、そのまま安井の肉体に憑いてしまっていた。部屋の片隅には、村井の亡霊もうずくまっていた。


 堺屋の軽トラックが、図書館の二つ隣りの駅にある市民病院の駐車場に停まった。荷台からひょいとタヌキが飛び降りる。


「安井はなぁ、お父さんと同い年なんや」と瀞は、車から降りると話しだした。


「安井は、陸軍でな、知り合うたんは貝塚に入院してた時やったけど、肺は大したことのうて、それより砲弾ショックがひどうて、じきに別の病院に移っていったんや」


「砲弾ショック?」と相槌を打ちながら樹は、父の上着の裾を掴んだ。病院の建物に近づくにしたがって、白くこびりついたものや、立ち尽くす人影がちらほらと樹の目に入りだした。


「そや、爆弾が毎日降ってきたり、大砲撃ってる戦場にずっとおると、大爆発の音とかその時の怖さとかが忘れられへんようなってな。朦朧としたり、いろいろつらい病気なんや。けど、病気しながらやけどなんとかやっていっとったんや。たまにうちにも遊びに来てたんやけどな」

 瀞は受付で安井の病室を聞くと、階段を上がった。樹は、余計なものと目が合わないようにしながら瀞に引っ付いていく。


「去年、天六でガス爆発事故あったやろ。あそこの工事現場に仕事でいっとったみたいでなぁ。あれでまたいっぺんにおかしなってしもてな。火傷や怪我はなんぼかまどて(幾らか賠償して)もろたみたいやけど」

 瀞が詰所に名前を書き、廊下を進む。


「315、315・・・」

 瀞に連れられ病室に近づくにつれて、洋銀の時のようないやな気持がしてくる。


「こわい、こわいね」と、春が言う。「うん」


「さっきの店みたいな感じやな」

 樹が振り向くと、タヌキが後ろを歩いて来ていた。以前よりも少し白く透き通っているように見える。一瞬、成仏する前の下宮のようだという思いがよぎったが、なにより今はタヌキがついて来てくれていることが、心強かった。





●安井

 瀞が315号室を軽くノックした。ドアが開く。たくさんの霊がずるずると壁際に退く。口々に何か呟いたりしている。瀞に続いて樹が部屋に入る。霊たちは更に壁の隅に寄っていった。樹はタヌキが病室に入ってから扉を閉めた。


「安井、安井」と軽く声をかけると安井は、「うう」と低くうめき、目を覚ました。


「僕や、堺屋やで。大変やったなぁ」


「う…、ぉ、お…おきに」と、途切れがちに安井が答える。


「洋銀、今、工事にはいっとってな。警察から安井のラジオ預かってきたんや。せやけど、川に落ちて壊れてしもたんや。セコ(中古)やけど、代わり持って来たからな」

 瀞は、革のホルダーに入ったラジオを安井に握らせた。


「お、こ、こんなん、わ…るい」

 安井は体をねじってゆっくりと起き上がろうとした。瀞はそれをなだめ、壊れているラジオもベッドの脇机に置いた。


「今、どこ住んでんねん。着替えとか取ってきたるで」

 安井は、答えづらそうに苦笑いした。


「去年の事故の時、『北野病院から退院したら、ハナちゃんとこいけ』言うてたやろ。せやのに」


 ベッドの傍には丸いパイプ椅子が一つ置いてあった。瀞はそれを引き寄せて、座った。安井の目が樹を見つけた。


「あ、うちの子や。知ってるやろ」

 安井はかすかに頷く。樹は小さく頭をさげた。


「み、水」と、安井が言う。瀞は、脇机や周りを見渡したが、湯飲みも吸い飲みも見当たらない。


「看護婦さんに聞いてくるわ。Q、ここにおりや」と瀞は、まるで客先で樹を一人にするように病室を出て行った。安井は、包帯まみれの顔で、笑顔を作ってみせた。


「お、お姉ちゃんと…二人兄弟と思てたけどな…」と春にも笑いかけた。


「お、おっちゃん、見えるん?」と樹は思わず聞き返した。春は樹に半分隠れるようにして安井の方を見ている。


「あ、…そういう…ことか。こ、ここ、怖いやろ」と、安井は目で壁の隅に張り付いて立っている霊をちらちら見た。


「う、うん。でも、僕に触ったらみんなバーンって消えてまうから、寄ってけえへんで」

 安井は樹の言うことが分かりかねるようだったが、少し考えて言った。


「ほ、ほん…でこ…い…つら今静か…にしてるんか……」

 安井は頷きながら目を閉じて、静けさを味わっている。


「ずっと…わし…には、まと…わりついて、し…し…、しつこぉ頼みごとしよる…」

 安井は、今、亡霊達からの声が何も聞こえてこない幸せに涙を流した。樹は、小さく頷いた。


 二人の間にとても静かな時間が流れた。


「…出しといたはずですけど、誰か持っていったんやろか。ほんまは家族に持ってきてもらう決まりですけどねぇ」と早口で神経質そうな看護婦が、ドアを雑に開けながら入ってきた。


「あ、ほんまや」

 看護婦は、部屋をちらっと見渡すと、すぐ出ていった。一人の白骨のような亡霊がその背中に張り付くように憑いて消えていった。樹は、その様子を息を飲んでみていた。瀞は、看護婦の後ろ姿に、


「明日でも持ってきますんで」と言った。振り返った瀞は、樹にちょっとおどけたような仕草をして「大丈夫だよ」といった顔をした。


 再び丸椅子に座った瀞に、安井は、


「す、すまんな」と言った。


その後容態についての少しの話に続いて安井は、平素は樹達の町から少し東の生駒山寄りを流れる川の橋の下や、農家の手伝いができる時は、畑地の小屋に寝泊まりさせてもらっているという話をした。ろくな家財もないらしく、瀞は、


「うちにあるもん持ってくるわ」と答え立ち上がった。


「ほな、また来るからな」と言いながら病室を出た。


「あそこおった奴らな、別にあのおっさんに憑いてんねやのうて、端でうずくまってた奴に憑いとったみたいやな」と、タヌキが言う。


「え、そのうずくまってたおっちゃんが安井さんに憑いてるのん?」


「どうなんやろな。まだ死にたてなんやろ。右も左も分からんとじっとしてんのかもな」「へえ」


「そんなんより、看護婦に釣られて憑いていった奴もおったやろ。あんなふうにな、段々数減っていくで」

 ふぅんと二人は頷いた。樹達は、瀞について階段を降りていった。





●杜子春

 図書館は、いつになく、子供が多く来館していた。樹は、返却手続きをした後、子供達から少し離れるようにぶらぶらと歩いた。書架には、様々なタイトルが並んでいる。


「罪と罰」

 罰という言葉に反応して、樹は、本を開いた。が、文章が難しい。樹は、本を閉じた。


「なにかしてるよ」と、春が言う。受付の近くの絵本のコーナーで、「朗読会」が開かれていた。樹より幼い年頃の子供達が輪になって座っている。幼稚園の子供達向けの催しのような雰囲気で、そこにいるのは少し恥ずかしい気がした。樹は、子供達の後ろで立ったまま様子を見ていた。


 中央の女性が、張りのある声で朗読を始めた。


「杜子春 芥川龍之介」


「知ってる」と、小さな声で樹は呟いた。


「おかあさんによんでもらったね」と、春が言う。


 母が枕元で語った杜子春と比べて、この女性が読む杜子春は張りがあり若々しい。同じ杜子春なのに、なぜこんなに違うのだろう。そうだ、同じ出来事なのに感じ方が違うんだ。


「自分がどう思うかやんな」「ほんとだね」


「春ちゃんと僕でも違うかもしれんもんなぁ」「ほんとだね」


 杜子春は掘り出した財宝で幾度も散財する。やがて杜子春は、両親が鞭打たれている場面に遭遇する。樹は、辛い気持ちになって他のコーナーに歩きだした。


「僕の罰も代わりにお父さんとかお母さんが受けるのかな」

 春もうつむいている。


 少年文学全集の棚に芥川龍之介があった。樹はそれを借りることにした。


 図書館の階段を降りるころタヌキが二人に合流した。


「どこいってたん」


「話し聞いとったんや。おもろかったぞ。洛陽に行きとなったな」

 二人は、アハハと笑うと階段を勢い良く駆け降りた。





●オードリーから三宅祥子

 翌週、6月7日月曜日。登校した祥子を待っていたものは、打って変わったどよめきに近いものだった。一部からは、


「折角沙織ちゃんと同じロングやったのに…」という声も聞こえては来たが、それを圧倒的に上回るオードリー風への変身そのものにどよめいていた。


 突如現れたブラウン管の向こうのアイドルが、週明けにはスクリーンのプリンセスになって登場したのだ。


「ど、どうなったん?南沙織ちゃんは?」

 教室に入った時、取り巻きの一人がやっと聞いた。すぐ横から、


「うち知ってるわ。ローマの休日やろ」


「オードリー、ヘップバーンや!」

 口々に上がる声を制して、祥子は立ち上がり、皆に振り向いた。


「うちの名前は、三宅祥子で覚えとってよ!誰にも似てへん。洋裁好きの祥子じゃけん!」


 周りの生徒達は、一呼吸置いて息をのみ、頷いた。やがて教室は潮が引くように穏やかになり、二人ほどが、


「この襟、可愛いなぁ」と話し掛けた。祥子は初めてこのクラスで自分らしい笑顔を返すことができた。





● 憑かれた男子生徒

 樹のクラスでは、洋銀の事件を男子生徒五人が話し合っていた。店内で殺しあったとか、泥棒達が仲間割れしたとか。浮浪者ゴミドンが首領で手下を殺したとか。


「いつき、しらんかおして、ろうかいこう」「うん」

 樹が立ち、出ていこうとした時、


「堺屋のトラック停まっとったなあ」と誰かの声がした。声のした方を全員が振り向いたが、誰もいない。何人かが、「俺ちゃうよ」と顔の前で手を横に振った。五人の目は、次に樹に集中した。


 何かがこいつらを操って嫌な目に合わせようとしてるんだ。樹は、またいじめられるのではないかという不安に襲われた。


「誰が見たか聞け」と、樹の背後にタヌキが現れて囁いた。樹は小さく頷き、


「見たん誰?」と言う。


 五人はキョロキョロするが誰もいない。全員が首をかしげる。


「誰でもええねん。なにしててん」と誰かの声がまた聞こえた。


「せやせや」と周りが煽りかけた時、タヌキの耳打ちに合わせて、また樹が言う。


「僕には何も聞こえてへんで」

 え?と五人が顔を見合わせた。


「俺言うてへんぞ」「僕も違うで!自分ちゃうん」と、口々に五人は互いを指差し始めた。樹はタヌキに促されて、そっとその場を離れた。


「うそついたね」「ほんまや。僕聞こえてたで」と二人は、廊下の隅でタヌキを見上げた。


「はっはっは、嘘も方便や。そやけど、上手いこと切り抜けたやろ」と、タヌキは軽く笑った。


「ちゃんとした守護霊やったら、もうちょい上手く防げたやろがな」と、タヌキは少し声の調子を落とした。


「また、罰かなぁ」「ばち」


「いや。あんな見え見えなやり方、あの中の誰かが操られとったんやろ」


「うぇ…」

 樹の顔が曇った。


「なんや」


「学校の嫌なことって、ずっとそんなことやったんかな?」

 樹は少し思い詰めたような、寂しそうな顔をした。


 タヌキは、辛かったんやなぁと、自分も困ったような笑顔を返すと、


「それだけお前のこと怖がっとるんや」と、優しく言い聞かせるように言った。樹には、怖いからこそ威嚇する、相手の気を削ぐといった考えはまだ良く理解できなかった。


 樹は、そっと廊下から五人の様子を窺った。その時、樹の後に気配がした。クラスの女子生徒、吉也合子が登校してきた。


「おはよう、どうしたん」と、合子は声を掛けながら樹のそばを抜け、教室に入っていった。


「……おはよう」と樹は、合子の背中に返事をする。合子の向こうに五人が見えた。黒くぼんやりした影が、五人の中で一番背が高い野洲ひろしという男子生徒の両肩に腰掛け、肩車をしたようになって、教室を見渡している。


「いつきをさがしてるのかな」「え、あ、そうか」

 また自分をみつけたら誰かをそそのかして、何かされるかも知れない。樹は恐ろしさで一杯になった。扉の陰で、


「どうしようどうしよう」と、震えながら呟いた。その間にも生徒は続々と登校してくる。狭い教室は四十人を越える生徒とざわめきで埋め尽くされようとしていた。


「おい、あれ見てみぃ」と、タヌキが教室を覗き込みながら言った。


 黒い影は、四十人を越える小学二年生達の陽の気に耐えられず、身体を捻りながら姿を消そうとしていた。黒い影は粗い粒子になり、生徒達の声や教室に風が吹き込む度に散り散りになり、やがて、床に落ちると、ドライアイスが蒸発するように消えていった。


「何してるの?堺屋」

 先生が廊下まで来ていた。


「あっ」

 あわてて樹も教室に駆け込んだ。


「起立」「礼」「着席」


 樹はちらちらと野洲ひろしの様子を見ていたが、おかしな素振りはなかった。廊下を振り返るとガラスの向こうにチラッとタヌキが見える。


「大丈夫かなぁ、怖いなぁ」「こわいね。でもきえたね。きょうかしょだそう」「うん」

 樹は、のろのろと教科書とノートを取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る