第14話 聖女の神殿
潜り手の白装束に身を包んだアーシェは、街の少し外れにある神殿に居た。
海の良く見える丘の上に建てられた建物は、あまり大きくはない。
だけど、街が成立する前からここにある神殿は、この地で長年潮風に耐えてきたどっしりとした重みと風格がある。
アーシェ達潜り手は、普段は港にある小さな社で毎日祈り、週に一度は必ずここにくるのが習いになっていた。
アーシェの進言を受け入れた王子は、クラーケン退治の軍備を整えつつ、地元の漁師たちと協力をあおいだ。
それには潜り手も含まれていて、船外に落ちたものたちの救護と、なにより敵を海中から警戒、および偵察役に腕利きの潜り手が加わった。
今日がその、決行日だ。
アーシェも偵察の一人として加わっていた。
今回偵察に選ばれた潜り手達は港にある小さな社ですませるだろうが、長く祈りにこれていなかったアーシェは、こちらに祈りに来ていた。
ここ最近、クラーケンの目撃情報はないという。
だが、行方不明になっている船はなくならない。
大丈夫だろうか、と心配になる。
王子の剣は魔法の剣だった。
切るという意志さえあれば、どんなものでも切れる不思議な剣。
だから、クラーケンの足をあんなに簡単に切り落とせた。
けれど普通ならそう簡単に傷つけられたりもしないし、万が一足の一本や二本切り落とされたって大丈夫だと聞いたことがある。
でも、行方不明が続いていることからしてからして、クラーケンはいつもより手こずっているのは明白だ。
「やはり、ここだったか」
「父様?」
父がひどく疲れた顔で社の中へ入ってくるのを、アーシェは驚きと複雑な気持ちで迎え入れた。
この街へ帰ってきてから、アーシェは潜りの勘を取り戻すために潜水の特訓をし、その合間を縫って王子たちの作戦会議に出席したり潜り手達との連携をとったりと忙しく、ほとんど家に寄りつかなかった。
父の潜るな、と言う願いを真っ向から破っているアーシェとしては、仕方がないとはいえ、後ろめたく落ち着かない。
「トーイが不安がっていたぞ。お前がクラーケン狩りに参戦するのを」
かわいい弟の名を出されてひるんだアーシェだったが、それだけは訂正した。
「父様、クラーケン狩りじゃないわ。難破船を増やしている犯人を捜して倒すのよ」
「まだ信じているのか。クラーケンが元凶ではない、と」
「信じているんじゃない。知っているの。それを証明するために私は行くのよ」
父親の言葉に、ふつふつとこみ上げるいらだちのままアーシェは言い放って立ち上がった。
すでに王子たちは出航の準備を始めているはずだ。
遅れるわけにはいかない。
すると、父は深く深くため息をつき、アーシェと同じ青の瞳を天井に向けた。
「ここに来るのも久しぶりだ。お前が潜り手になる前だから数年ぶりか」
「なにを……」
「この絵の話、覚えているか」
ついつられてアーシェも天井を見上げる。
そこには色あせてはいるが華やかな絵画が一面に描かれていた。
モチーフはこの街では子供の頃から聞かされる話で、もちろんアーシェでも知っている。
「聖女の話でしょう? 海の上で陸を見失ってしまったこの街のご先祖様を、聖女様がこの地を指し示し、海生石を取って生きることを教えてくれた。だから聖女は私たち潜り手の守り神でもある」
「その話には、少し改変が加わえられている。聖女は自分で指し示したのではない。海神に導かれてこの地へ根を下ろしたのだ」
突然の父の告白に、アーシェは呆気にとられた。
「そんなの初耳だわ」
「当たり前だ。一族にしか伝わらない話だからな。16になったら教える習わしだった」
「私、そんな話聞かされてない。何で、今言うの」
「血は争えないと、ようやくわかったからな」
苦渋とあきらめに彩られた顔で、父は大きな手でアーシェの頬を包み込んだ。
「私の母……お前の祖母の家系には、優秀な潜り手が多くいるのは知っているな」
「う、うん」
「それは、その聖女の末裔だからなのだよ。遠い昔、海中より陸に上がりし一族だからこそ、海生石の力を誰よりも巧みに使える。この街の者が海生石の力をより強く引き出せるのは、聖女と同じ、海中より上がりし種族の血が流れているからだ」
それだけでアーシェはほとんどを察した気がした。そうして呆然とつぶやいた。
「ねえ、それってつまり、この街のご先祖様はみんな、海の中に海底都市の住人だったの? でも海神に導かれて陸に上がったって、なんで……?」
「そこまではわからない。だが言い伝えには続きがある。この地に導いた海神は聖女こう言ったそうだ。『たとえ陸にあろうとも、汝らは我の守護せし都市の民である。汝らの血がとぎれぬ限り、守護することこそ我の使命』と」
「っその海神ってクラーケンのことでしょ! クラーケンと約束があったんじゃない! ならどうしてクラーケンに襲われたって話、討伐隊が組まれる今でも否定もせずに放っておいたの!?」
たまらず声を荒げたアーシェに、手をおろした父はかぶりを振った。
「無理だ。はじめに襲われたという話を持ち帰ったのが、この街の船ではなかった。噂が一気に広まり、王子の耳に入ってしまったというのもあるが……不確かだったからだよ。海神との誓約を破ったのは私たち人の方だったからね」
「え……?」
「私たち海より来たりし一族が絶えていないことを証明するために、聖女の末裔として生まれた娘は16になったあかつきには海神へ会いに行き、地上に言葉を持ち帰ることが習わしになっていた。
だが、元々生まれてくる娘も少なかった上、時が下るにつれて潜る技術を持つ娘も減っていき、徐々に海神のことは忘れられていった。もうこの街の大半の人間は知らないのだよ」
なんて話だとアーシェは思った。
忘れたのは人のほう。クラーケンはずっとずっと海底にいたというのに。
苦渋に満ちた顔で、父は続けた。
「私も母から口伝だけは聞かされたが、ほとんど話半分だったよ。十数年前、船が海賊に襲われるまでは」
「私が船から落ちて、クラーケンに助けられた……?」
「ああ。クラーケンが私たちの船ではなく、海賊どもの船だけを選んで、沈めていったとき思い知った。海神は何百年も前の約束も、たとえ訪れる娘がいなくとも忘れてなどいなかったのだと。
だからな、街に戻ってすぐ、私はお前を潜り手にしなければいけないと思った」
父が、自分を潜り手にしようとしていた?
意外な告白にアーシェは思わず目を見張った。
「じゃあ私がやるって言ったとき、なんで反対したの」
「おまえの母さんに懇願されたのだ。『あんな化け物のために、娘としての幸せを取り上げるようなまねをしないでくれ』と。流行病で死ぬ間際まで繰り返し言われたんだ。……ゆらいで、しまったのだよ」
アーシェは息をのむ。
いとおしさと後悔と悲しみと懺悔と、複雑に絡み合った父の顔ははじめて見るものだった。
「私は潜り手がどれほど過酷か知っている。もしかしたら今まで約束を果たしてこなかった怒りを、海神はお前に向けるかもしれない。
私は海神との古き約束を守るよりも、お前が普通の娘として幸せになって欲しかった」
アーシェの母は、外の街から来た人だった。
さぞ、クラーケンの姿を見て驚いたことだろう、父から話を聞かされてそう思うのも仕方がない。
母の認識は間違ってはいたが、確かに母はアーシェのためを思っていってくれたことなのだ。
父はその気持ちが分かってしまったからこそ、母の意志を尊重しようとした。それでも、後悔と使命にさいなまれて、アーシェを強く止めなかったのだ。
なんてことだろう。
「私、クラーケンに会いに行くためだけに、潜り手になったの」
「気づいていたよ。お前がいつも世話になっている船長から相談もされていた。結局お前にすべてを背負わせることになった」
疲れたような父の手を握り、アーシェはあふれるような感情のまま続けた。
「私、潜り手の仕事も海も、クラーケンのことも大好きなの。だからね、だから、私は大丈夫よ」
「……もっと前に話せていれば良かったな」
「今話せてるわ。私、クラーケンにごめんなさいって言ってくる。父様の分もみんなの分も。その前に、今クラーケンにかけられている疑いをはらすわ」
「アーシェ……」
「みんな誤解しているのよ。帰ってきたら、教えてあげる。クラーケンがどんなに素敵なヒトか!」
決意を込めていうアーシェを父はまぶしげに見ていた。
「アーシェ、一つ聞かせてくれないか」
「なに?」
「クラーケンとはどうやって話をするんだ」
「簡単よ。体のどこかに触れるの! 私あの触腕に抱きつくのが大好きなのよ」
満面の笑顔で言ったアーシェは絶句する父の手を離し、軽やかに入り口へ歩き出した。
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