第13話 光明


 アーシェが帰りの馬車の中で、かけられた魔法は精神操作の魔法ではなかったことを伝えると、王子は難しい顔で考え込んでいた。


「そうか、私の勘違いだったか……」

「はい。害の無いものだから放っておいて良いだろう、と」


 王子は、勇者にクラーケン退治に助太刀してくれるよう頼みに来たらしいが、断られてしまったらしい。

 確かにあの三つ子を世話するだけで手一杯だろうとアーシェは思ったのだが、どうもそれだけではないらしい。


「彼はひどく水を苦手としているからね。今回は海上戦になることは明白だ。できれば助力を得られれば良いぐらいだった」

「水が苦手って、もしかして泳げないのですか?」

「それどころか、ひどく乗り物酔いをしやすいたちのようでね。初めて出会ったときに、馬車に乗るよう勧めても、かたくなに固辞をされてしまったくらいだ」


 そのときのことを思い出したのか、くつくつと笑った王子だったが、それっきり会話がとぎれた。


 それで、アーシェは帰りの道中ずっと自分の思考に没頭することができた。

 トリシャの言葉が、アーシェの胸に渦巻いている。

 悔恨、不安、恐怖、申し訳なさ。それでも、どうしても譲れない部分。


 でも、ただの娘であるアーシェに何ができるというのだろう。

 手がかりはごく少ない。証明できるのはアーシェのこの気持ち一つだけ。

 それでも、何とかしたい、してみせる。

 

 湧き上がる熱は、胸のうちに熾火のように凝っていた。






 いつの間にかたどり着いていた城で、アーシェと王子は街からの続報を聞いた。


「クラーケンの出現海域が特定できました。沖合にある孤島付近のようです」

「なに、島だと?」

「どうやらそれに近づく船を、クラーケンは片端から襲っていたようです」


 役人がそらんじた、島があるという位置を傍らで聞いていたアーシェは、その話に違和感を覚えた。


「変だわ。その海域に島なんて無いはずよ」

「地元の漁師ももうしていましたが、海は広い。かなり荒れる地域のようですから、霧とも相まって気づかなかったのでは」

「でも……」

「人知れずクラーケンが船を沈めていたのなら、発見されていなかったとも考えられる」


 役人と王子に口々に諭されたアーシェだったが、どうしても承伏できないものが残った。

 確かにそうだ、分からないように沈めていれば、気づかないのもありうる。

 けれど、そこは海底都市から微妙に距離がある。クラーケンは海底都市の守護者。離れる理由が思いつかない。

 霧と、その中に見える島。そもそも、島を包む様に海上に霧なんて都合よく出るだろうか。

 なにかが引っ掛かる。

 ならば、考えるべきは、島、島に見えるもの。

 めまぐるしく思考を巡らせ、はっと気づいた。


「悪魔鯨……」

「なに?」

「島のようなものを背負った巨大な鯨。嵐の中に忽然と現れて、立ち往生した船が停泊したとたん、潜行して船ごと人を食べてしまう」


 隅から隅までなめるように読んだ文献を暗唱したアーシェは、驚く王子の若草の瞳を見上げた。


「霧が立ちこめるのも、嵐がないときに船をおびき寄せたいときに悪魔鯨がやる手の一つなの。クラーケンは、船を悪魔鯨から遠ざけるためにやっていたのかもしれない」

「アーシェ、何を言い出すんだ」

「私は、クラーケンを知っている。むやみやたらと船を襲う人じゃない。でも、今までその理由がわからなかった。でも、これなら筋が通る。クラーケンを見た船は、マストは折られたりしていても、自力で帰ってこられているのよ? クラーケンは通りかかった船を悪魔鯨から守っていたとも考えられない?」

「逆に言えば、そのような船しか帰ってこれなかったと言うだけだろう。君のそれは証明できない」

「私がするわ」


 きっと意志を持って見上げれば、王子は若干たじろいたようだった。


「もしその島が悪魔鯨なら、近くで潜ればすぐにわかるはずよ。悪魔鯨に気づかれないように潜って見て、帰ってこれる」

「危険だっ! 行かせられる訳ないだろう!? もし、それが本当にただの島で、クラーケンが襲ってきたらひとたまりもないんだ!!」


 初めて感情を露わにする王子にアーシェが驚いていると、懇願するように肩をつかまれた。


「アーシェ、君に魔法がかけられていないことはわかった。だが、クラーケンは人ではない。言葉の通じない化け物なんだぞ。その恋情を受け入れてくれる存在ではないのだよ。そのような身を切るような真似は、やめてくれ……」

「言葉なら通じるわ。体の表面にさわると、彼の意志を感じ取れるの」

「ふれっ……!?」


 異様なものを見るような役人の視線も、愕然とする王子の表情も、アーシェはかまわなかった。


「それに、かまわないの。クラーケンに食べられてしまうのならむしろ本望だわ。私はクラーケンを愛してる」


 改めて口にすれば、アーシェの心は甘やかで温かいもので満たされた。


「きっと、言葉が通じなくても恋をしたわ。好きで、好きでたまらない。そんな大事な人の誤解を解きたい。ほんのちょっぴりでも助けになりたい。そういう気持ちに理屈ってあるの?」


 絶句する王子にアーシェはさらに畳みかけた。


「それに、もし悪魔鯨が船の座礁の原因だとして、クラーケンを倒そうとすれば、今まで多少なりとも押さえられていた被害が拡大することになるわ」

「もしかして、君は、はじめからクラーケンが原因ではないと思っていたのか」

「少し違うわ。私はクラーケンが張本人でもかまわなかった。でも、そうじゃなければいいと思ってた。でもクラーケンの無実を証明する方法がわからなかったから。まずは知らなきゃと思ったの」


 少し、申し訳ない気分になる。

 だってそうだ。この人はそういう風にアーシェを好いてくれたのを知っていて、アーシェはこの人の好意を利用した。

 心がじくじく痛む。

 アーシェだって、王子のことは嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。

 子供のように瞳を輝かせるところとか、民のために奔走する為政者としての横顔。

 潜り手の仕事を認めてくれたところも嬉しくて、好ましいと思えた。

 きっと、何も知らなかったらアーシェは王子の告白を受け入れただろう。

 王子の行動に驚きつつあきれつつ、時々修正を入れて。慈しみながら支える。

 王子という立場はきっと様々なことが伴うだろうが、人の普通の幸福だ。


 でも、アーシェは知ってしまった。全部をかけても良いという恋を。

 あの青紫の大きな怪物に出会ってしまったのだ。

 だから、アーシェは王子の思いに答えることはできないのだ。


 長い長い沈黙の後。王子は、ぽつりと言った。


「私は、今すぐ君をこの城に閉じこめてしまいたい」


 感情の荒れ狂う若草色の瞳に見つめられたアーシェは、背筋にぞくりとしたものを感じたが、負けじと見つめ返す。


「その前に逃げますし、恨みますよ」

「私には君一人を自由にするだけの力があるし、それでもかまわない。私の目の届くところに居てくれるのなら」

「……」

「だが、私が愛したのは海にいる君だった。きっとこんな窮屈な場所ではたちまち色をなくしてしまうだろう。それは私が許せない」

「殿下……」


 あのときの返事を口にしようとしたアーシェを王子が制した。


「それは、言わないでくれるか。私は君をあきらめる気はないんだ。君が君でいられる場所に、返すだけだよ」


 いつものように飄々とした口調に戻った王子だったが、その若草色の瞳は、どこか泣いているように見えた。


「私はこの国を民を守る義務がある。だからこそ、すべての可能性を探り、最前の策を取らなければならない。それはたとえ愛しい人を死地に送るような真似でも、だ」

「じゃあ……!」

「だがな、ただ待っているだけなぞ、性に合わん。私が指揮を執ろう」

「殿下!?」


 狼狽えるアーシェに、王子は挑戦的に口角を上げてみせた。


「アーシェ。我が恋敵殿が、本当にあなたのその想いに足る人物か、拝ませていただこうじゃないか」




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