第12話 森の勇者
翌日、王子と共に馬車に揺られてやってきたのは、山の麓にある村だった。
日帰りできる位置にあるものの、小さなと言っても過言ではない規模ののどかな村に、乗ってきた王家の紋章付きの馬車は全く似合わない。
道幅が狭く、これ以上進めないと村の広場で馬車を降り、王子と共に歩き始めたところで、アーシェはなぜ侍女達がくるぶしまでのスカートとブーツを勧めてきたのか理解した。
勾配のきつい道を上り、一番奥のもっとも森に近い場所に、その家はあった。
アーシェ達がたどり着いてすぐ家の脇から現れた男は、みるみるまなじりを吊り上げると農具を担いだまま王子に詰め寄ってきた。
「おいてめえ、なにしにきやがった!」
「君が言ったのではないか、用があるのなら自分で尋ねてこいと」
「王紋入りの馬車で乗り付けてくることはねえだろうが!!」
仮にも王子相手に無礼とさえいえる遠慮のない物言いにアーシェがぽかんとしていると、今にもつかみかからんばかりだった男もアーシェに気づいて目を丸くする。
「お前が女連れなんざ珍しい、だれだ」
「手紙を読んでないのか」
「一通目の召還の手紙以降は全部トリシャに任せてた。捨ててたんじゃねえのか」
「一応、国王からの召還命令なんだがな……」
苦笑した王子はアーシェに向き直ると、男を指し示して言った。
「アーシェ、紹介しよう。これが五年前に魔王を討ち果たした勇者殿だ」
「勇者じゃねえってなんども言ってるだろう。俺はライオだ」
苦々しげに返したライオは、仕方ないとばかりに家に招き入れてくれた。
「トリシャ、茶でも用意してやってくれ、アホ王子とその連れさんだ」
「もうできておりますわ」
意外に広い室内に据えられたテーブルへ茶器を並べていた女性に、アーシェは思わず釘付けになった。
農家の家には不釣り合いなほど、美しい人がそこにいた。
浮き上がるような白い肌、繊細でしなやかな体つきは農婦らしい簡素な衣服に包んでいるけれど、隠しようのない輝きがそこにある。
働きやすいように無造作にまとめ上げられても、黒々とした髪の艶やかさは少しも損なわれていない。
切れ長の瞳、すいと通った鼻梁、桜色の唇は、神々しいまでに整っていて、この世のものではないようだった。
その夢の様な女性はアーシェを見ると、にこりと笑った。
「こんにちわ、わたくしはトリシャ。ライオの妻ですわ」
にこりと微笑まれたアーシェは思わず顔が熱くなった。
その銀の瞳に吸い込まれそうな気になっていると、ライオが彼女に無造作に話しかけていた。
「トリシャ、こいつが来るの知っていたのか」
「ええ、お手紙をいただきましたもの。それにこれだけ空気が騒げば気づきますわ」
「受け取っているんなら言ってくれよ……」
「だって言ったら逃げるでしょう?」
「……本音は」
「そちらの方がおもしろそうでしたもの」
ころころとトリシャが笑えば、ライオはげんなりと肩を落とした。
目つきの鋭く、いかめしい顔立ちのライオと、たおやかな美女であるトリシャが並ぶと、悪者にさらわれた姫君のようだったけれど、関係は少し違うらしい。
アーシェが呆気にとられていると、くるりと振り返ったトリシャがアーシェを手招きする。
「アーシェさん、でよろしいですわね。では女同士すこしお話しいたしましょう?」
「え、ええと、でも……」
流れが読めなくて思わず王子に助けを求めれば、行ってきなさいとばかりにうなずかれた。
「彼女が君に会わせたかった人だ。彼女は魔王討伐に関して絶大な貢献をされた魔女でもある。できれば勇者ともども城に招かせていただきたいのだが……」
「断固として拒否する。ここが俺の故郷だからな」
「とまあこのような感じで断られているのでな。こちらから来ることになってるいるのだよ」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめた王子だけれど、本気で気分を害しているようには見えない。
そうしてアーシェは王子達と別れ、トリシャに促されるまま別室に招かれたのだった。
どうやら、個人の部屋らしいそこに、同じように用意されてあったお茶をトリシャに勧められて、アーシェは一口のむ。
暖かな温もりが体にふわりと広がった。
心からほぐされていくような感じに、アーシェは深く息をつく。
「緊張が和らぎまして?」
「は、はい」
「取って食おう、と言う訳じゃありませんから、楽にしてくださいな」
温かく微笑まれたアーシェは気恥ずかしくなりながらもうなずくと、トリシャは銀の瞳を細めた。
「あなたからは、海の匂いがいたしますね」
「わかるんですか」
「ええ、それにとても懐かしい、魔法の気配も」
トリシャが見ているのが、首から下げている海生石だと気づいたアーシェは手のひらに乗せてみせた。
「これは、おばあさまからいただいた守り石で、私の街ではこれを使って海に潜るんです」
「ええ、良く知っているわ」
その言葉にアーシェが目を丸くすれば、トリシャは意味深にほほえむ。
「殿下からの手紙である程度事情は知っているけれど、あなたの口から聞いてみたいわ。その海の怪物さんとあなたの馴れ初め」
「え、でも……」
「いいから。まず、はじまりは?」
面食らったアーシェだったが、まさに興味津々と言った風のトリシャに促されるまま、ぽつり、ぽつりと話せば、たちまち止まらなくなった。
クラーケンの話は、今まで誰にも話したことなどなかった。
父になんてもってのほかだったし、潜り手仲間に言えば、たちまち奇妙な目で見られる事は明白だった。
王子は一応事情は知っているものの、クラーケンを倒すべきものだと思っている王子に話せるようなことは何一つ無かった。
だけどトリシャはアーシェが話しても、自然にうなずいて、先を促してくれた。
こうして好意的に、まるで普通の恋の話のように聞いてくれる人などいなかったのだ。
アーシェの話をすべて聞き終えた後、トリシャは優艶に笑った。
「あなたは、その魔法生物を心から愛しているのね」
その言葉に、アーシェの胸はこみ上げる感情のまま叫んだ。
「でも、私のこの気持ちは、魔法で作られたものかもしれないって!」
「いいえ、あなたにかけられている魔法は違いますわ。海洋型の守護者には精神操作の魔法は装備されませんし」
トリシャは慈しむようにやらわかに、アーシェの胸を指さす。
「あなたにかけられているのは、守りと導きの魔法。海にいる限り何者にも害されぬように、望んだ場所へゆけるように、何十にもかけられている。意外と過保護のようね、その魔法生物は」
おかしげに笑うトリシャに、アーシェは呆然と問いかけた。
「クラーケンが、私を守る魔法をかけているの?」
「ええ、そうとしか見えませんわ。そもそも精神操作がされていれば、こんなに感情豊かであれるはずがありませんもの」
トリシャの何の気負いもないその言葉に、いつの間にか、ぽろり、ぽろりと、温かな滴が頬を伝っているのに気が付いて、気が付いたら止まらなかった。
何のために泣いているのかもわからず、だけれどもアーシェはぼろぼろと涙が頬を伝っていくまま首を横に振った。
「でも、クラーケンは、私のこと邪魔だって言って。しかも船を何隻も沈めたかもしれなくて、街の人がすごく迷惑してて……」
「確かに悪いことや、人に迷惑がかかるようなことをする方はとがめられなければいけませんけど。それと、恋をするのと何が関係ありますの?」
「え?」
意味がよくわからなくて、アーシェが滴をこぼして瞳を瞬かせれば、トリシャは小首を傾げてみせる。
「だってそうでしょう。彼の君を想う心は理屈じゃありませんもの。その人が過ちを犯していようがいまいが、その方を愛しいと思う心は変わりまして?」
この人は本当にわかって言っているのだろうか、とアーシェは思った。
ずっとずうっと悩んでいるのに、そんな簡単に済ませていいのだろうか。
でも、この気楽な言葉に、アーシェの心は震えるのだ。
「じゃ、じゃあ。私、言っていいんですか? 人じゃないものを、クラーケンを好きって」
「それを決めるのは私ではなくあなた。でも、あえて言うなら……」
トリシャは、アーシェの手を取ると、それは茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「恋した心にうそをつくなら、死んでしまったほうがましだと思いません?」
その銀の瞳に見つめられアーシェはすとりと、何かが胸の奥に落ちた気がした。
ぐらぐらだったものが、しっかりと収まった感覚。
「私……」
アーシェが紡ごうとした矢先、甲高い赤ん坊の泣き声がした。
それも一人ではない。複数の赤ん坊の泣き声が家中をつんざいた。
「あら大変。子供達が起きてしまったわ」
慌てて立ち上がったトリシャについて行けば、隣の部屋に並んだベビーベッドで三人の赤ん坊が火がついたように泣いていた。
「三つ子なんですか」
「そうなの。あらあら、泣かないで。母さんはここにいますよ」
なれた手つきで赤ん坊達を交互にあやすトリシャを、アーシェは途方に暮れて眺めていると、すぐにライオが現れる。
「おおう、ガキどもどうしたんだ!?」
「おしめと、おなかが空いたみたいですわ」
「そうか、今用意してくるな!」
嵐のように去っていくライオを呆気にとられて見送ると、遠くでライオの声が聞こえた。
「俺はガキどもの世話で忙しいから行かねえぞ。とっとと帰りやがれ!!」
アーシェは、紹介された勇者、と言う称号で、王子がクラーケン退治の助力を頼みにきたのだと察していた。
一応、国からの要請のはずだ。
それをあっさり断るなんて、と驚いていると、赤ん坊を抱いたトリシャが嬉しげに頬を染めていた。
「旦那様は、国のためとかそう言うことにはてこでも動かないんですのよ。動くのは、身近な大事な人の為だけ。わたくしのときもそうだった」
唄うように朗らかにいうトリシャの幸せそうな表情に、アーシェはふと既視感を覚える。
こんな美しい人を見たことはない。けれど、どこか似ていると巡らせて、あっと思い出す。
その銀の瞳は、クラーケンと同じ色彩だった。
「トリシャさん、もしかしてあなたは……」
とたん唇に細い指先を当てられて、アーシェは思わず口をつぐんだ。
泣く赤ん坊を悠々と片手に抱きながら、トリシャは懐かしげに銀の瞳を細めた。
「わたくしは、守るべき国を見失い、どんどん自分がわからなくなっていく中、ライオが現れて言いましたの。「俺がお前の居場所になってやる」って。そうしてライオはその通り、わたくしに居場所をくれて、こうして次の生きる意味をくれた」
嬉しげに頬を染めながら、赤ん坊を眺めるトリシャに、アーシェはみとれた。
「幸せ、なんですね」
「ええ。ライオが死ぬときが、わたくしの死ですわ」
軽やかに言い切ったトリシャが、アーシェにはとてもまぶしく思えた。
**********
「……トリシャ、なんだかよ、あのお嬢さんの俺をみる視線が妙にきらきらしてたんだが、なんか心当たりあるか」
「ええ、あなたとの馴れ初めを少々お話しして差し上げてたの」
「馴れ初めっておい……!?」
慌てるライオに詰め寄られたトリシャはくすくす笑った。
「だって、あの子、出会った頃のライオみたいだったのですもの。一目惚れするところなんて本当にそっくりで。それにわたくしみたいに同じ守護者を想ってくれる人が現れてくれるなんて、嬉しいじゃありませんの」
「あーおい、ちょっとまて。だれが、どこの守護者に恋してるって?」
「今回の海洋型の守護者ですわね。うふふ、恋をしたのはまだ四歳の頃ですって。わたくしの頃を思い出しましたわ」
「いやだが王子の話だと、どでかいぬるぬるの蛸だか烏賊だかって言ってたじゃねえか! そんなのにどう恋するって……」
「あら、こういうわたくしを妻にしたいとおっしゃったのは、どこのどなた?」
赤子をあやしつつも動揺さめやらぬ様子のライオに、トリシャがゆるりとほほえみながら近づいたのだが、先ほどまでと違い、ライオよりも背が高い。
本来の姿である繊毛の生えた細い蜘蛛の足で立つトリシャの、その複数の目が笑っていないのを見て、ライオは早々に降参してみせた。
「悪かったよ。あんたにはじめに惚れたのも俺で、そのために魔王なんてもんをでっち上げて全部擦り付けるなんて馬鹿なことをしでかしたのも俺だ」
「わたくしも、この人間は一体何をのたまっているのだろうとあきれたものですわ。この足も、この瞳も見えていないのかしらって」
「うまくいったんだから良いだろう? でもよ、俺はお前のその複眼、宝石みたいで好きだぜ?」
「その口車に乗せられてしまったから、今のわたくしがあるんですわよねえ」
薔薇色に染まった頬に手を当ててため息をつくトリシャは、表情を改めて問いかけた。
「……ねえライオ、どうしてあれほど王子の要請を固辞いたしましたの? ただ、かなずちで船酔いがひどいからと言うだけではありませんでしょう?」
「ぐっ。いやその、」
「旦那様は優しいですもの。わたくしとこの子達を大切にしてくださるとはいえ、友達である王子様の願いを断りまして?」
「あれはただの腐れ縁だ腐れ縁。……まあ、あれについてはな。確かに被害はある。王子の話にも筋は通ってる。だがなんか腑に落ちねえんだ」
「あなたの勘は恐ろしく当たりますもの。何か、あるかもしれませんわ」
「だが、海洋型といったら、あんたみてえに人に擬態できるわけじゃねえだろ。ついでにそいつには、船の転覆疑惑がかかってる。どのみち前途多難だなぁ」
「あら、恋をしたらその方の容姿なんて関係ありませんわ」
「この場合、その範疇を越えてる気がするがな」
「それに、乙女の力は時としてすべてを覆すことだってあるんですのよ? 私があなたの子を産んだように」
「……そうだな」
華麗にほほえんだトリシャにライオは苦笑しつつ、顔を寄せた。
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