第10話 嵐

 真水で潮を落として着替えた後、王子の取っている宿に案内された。

 さすが貴族も旅行で泊まることがある上級の宿だ、調度品の一つ一つまで洗練されている。

 だが、アーシェはその内装を見物する余裕もなく、進められたソファに座り、王子の言葉を身構えて待った。

 王子は共人まで部屋の外へ追い出すと、アーシェの目の前に座った。


「この国には、古代人の残した、古い遺跡が各地にあるのは知っているかい」

「ええ、まあ」

「私がこの地に来ることを決めたのは、ここの海にあるはずの古代都市を探すためでもあった」

「……つまり、私をだしに使ったのかしら」


 元々何か思惑があるのかもしれないと思っていたものの、言葉に少々非難の色が混ざるのは仕方がない。

 アーシェが眉をしかめれば、王子はあわてて首を横に振った。


「いや、その、そちらはついでだった。海生石をぜひとも見てみたかったのは本当で、君に――……」

「私に?」

「いや、後にしよう。だが、ついでだと思っていたのに、潜り手達があっさりとその場所を知っていたのには驚いた」


 それはアーシェ達潜り手には当たり前すぎるほど当たり前の話である。

 海底都市周辺はクラ―ケンがいるばかりだけではなく、海流の難所でもあるから、知っていないと命に関わる事なのだ。


「で、あなたはその海底都市の存在を知った。それで、どうしようというの。利用したいと言っても無理よ。あそこには誰も入れないし近づけない。なぜなら――」

「都市を守る魔法生物が居るから、だね」


 言葉を取った王子は古びた本をもちだすとアーシェに広げて見せた。


「都市には、必ず古代人の英知を集めて作った魔法生物、”守護者”をおいていたと、城の文献には残っていた。砂漠のオアシスにはすべてを石にする毒吐きの蛇、森林の奥地にはサソリの尾を持つ人面の獅子。そして海底都市に居るのは、突起のある触腕を無数持つ巨大な生物。この街の者が言う、クラーケンだ」


 華麗な装飾文字の使われたそれはアーシェが海底都市で読ませてもらったのと同じ古い文字でかかれていた。

 所々虫食いになって読みとれないところもあったが、挿絵として描かれた青紫色のクラゲのような蛸のような姿は間違いなくクラーケンだ。


「確かに、あの海底都市はクラーケンが守っている。住人がいない今もずっと。でもそれだけなのよ。彼は街の人に危害を加えたことがないわ」

「いいやそれは違う。今まで幸運だっただけなんだ」

「どういう、意味?」

「魔法生物は、その身を形作る魔法によって判断能力を持っているが、それは魔法によって定義された基準があるからこそなのだ。だからか、その前提条件がなくなると、かけられた魔法が狂うのだ」


 今まで見たことがないほど厳しい顔で王子が語る言葉が、アーシェはよく飲み込めなかった。


「狂う?」

「文字通りだ。混乱し、ただ周辺を破壊する権化になる。

 私は以前そう言う魔法生物を相手にしたことがある。人面の獅子、マンティコアだった。私たちが遭遇したときはもうすでに、守るべき塔がどこにあるかもわからないようで、近づくものをすべて排除しようと襲いかかってきた。良き仲間と、この魔法の剣があったから何とかなったが、奴の周辺はすべて毒気にやられて木々は枯れ落ち大地は死に絶えひどい有様だった」


 その時のことを思い出したのか、そっと腰の剣に触れた王子の顔は痛まし気にゆがんでいたが、アーシェにとっては冗談じゃない話である。


「言いがかりよ。クラーケンがそうなる保証なんてどこにもないじゃない」

「そうだな、だが、もう一つある」


 アーシェは敵意を込めて目の前の若草の瞳をにらみつけたが、王子は堪えた風はない。

 王子はすべてを受け止めるような態度で、アーシェを見つめて、続けた。


「あのクラーケンと海底都市について、私が覚えている限りの城の歴史書と、この街の記録を照らし合わせてみたのだ。そうしたら、この地から古代人が消えた時期と入れ替わるように、クラーケンが目撃されだしているんだ」

「なにが、いいたいの」

「これは、クラーケンが海底都市が放棄された事に何らかの関係があると考えられないか。あるいは、直接的にクラーケンが古代人達を滅ぼした、と」


 淡々とした王子の言葉がどろりと襲いかかってくる。

 王子は根拠のない事は口にしない。

 少なくとも推論があってその上での言葉だ。

 だからこの言葉に悪意はない。きっとない。

 それくらいには王子の性質をアーシェは飲み込んでしまっていた。

 だけど、それでも、納得できないことはある。


「あり得ないわ。だってクラーケンは小さい私を助けてくれた! 守り石を拾ってくれた! 優しい人なのよ。そんな事をするなんてかんがえられないっ!!」


 アーシェが必死になって訴えれば、王子の表情がこわばった。

 王子は愕然と見つめられたアーシェのほうがかえって戸惑ったくらいだ。


「きみは、何度もあの魔法生物に会っているのか」

「そ、そうよ。ずっと会っていたのだから、クラーケンがおかしいのなら私が気づかないわけがない」


 アーシェは言ってから、王子が荒れ狂う激情を押さえるように拳を握りしめているのに気づいた。


「ならば、確かめてみるといい」


 アーシェは、意図がわからず、王子を見返した。


「君を城に招待しよう。そこには私が読んだ、魔法生物ついての研究資料も、クラーケンについての記述が乗っている古文書もある。気の済むまで確かめてみるといい」


 破格の申し出に、アーシェは何とか王子の思惑を読みとろうと試みたが、王子の表情はさっきまでとは違い、まったく感情が読みとれない。

 でも答えは決まってる。


「必要ない。クラーケンはクラーケンのままだもの」

「……そうか」


 王子はあまり落胆した様子は見せなかった。

 だが若草色の双眸をひたりとアーシェに定めて、続けた。


「アーシェ、ただこれはわかって欲しい。魔法生物は言葉が通じたとしても、私たちの常識では測れない物なんだ。あれは人ではないのだよ」


 アーシェはその言葉に背を向けることで応えた。





 **********






 王子の投げかけた疑惑を晴らすのは簡単だ、アーシェはクラーケンに会いに行ける。

 クラーケンに直接聞けばいい。

 クラーケンは問いかけたことなら答えてくれるのだから。

 だが、その翌日から海はしけ始め、次の日には嵐が海と街を襲い、漁にでることは愚か、家から出ることもままならなかった。


 嵐は数日収まらなかった。


 じりじりと焦燥に焦がされようやく嵐が過ぎ去った翌日、アーシェは一番船に乗った。

 嵐の後は海流が大きく動くから、海生石が多く流されてくる。

 海生石が大量にとれるチャンスなのだ。

 未だ波の高い中、持ち場についてすぐ、アーシェは起動詩を唱え終えるや否や海に飛び込んだ。

 胸のしこりを早く取り除きたかった。


 海の中はまだ荒れていたが、アーシェははやる気持ちを抑えて水を蹴って加速し、海底都市のほうへいく。


「クラーケン! どこ!?」


 泳ぎながら叫べば、あの断崖にたどり着く前に青紫の触手が眼前に現れた。

 アーシェはひどくほっとしたのだが、まるで行く手を阻むようなそれに違和感を覚えながらも何時もの通りその触手にふれた。

 聞きたいことがたくさんあって、早く安心したかった。


「クラーケンに聞きたいことがっ……」

《アーシェ、今すぐ立ち去りなさい》


 勢い込んで話しかけたそれは、クラーケンのいかめしい思念によって遮られた。


「何で?」

《我の使命遂行に支障を来すからだ》

「私、邪魔なの? 迷惑になることをしたなら謝るからっ」

《速やかにこの領域からの退却を求めると同時に、無期限の立ち入りを禁ずる》


 クラーケンの無機質な思念に、アーシェは呆然と言った。


「それって、もう来るなって事?」

《……アーシェ。今までが不自然だったのだよ。君は陸の子だ。あるべき場所へ帰りなさい》


 その諭すような思念は、かえってアーシェの心をひっかき回した。

 どうして急にそんな事をいうのか全然わからなかった。 

 いやがおうにも王子の言葉を思い出す。

 魔法生物は危険。人の論理では推し量ることのできない生き物。

 不意に、周囲で揺らめいていた触腕が、アーシェに向かってくる。

 とっさに逃れようとしたが、あっという間に胴に巻き付かれ、拘束された。

 そのままぐんぐんと海上に向けて連れていかれる。

 急激な加速が苦しかった。


「待って、一つだけ教えてっ。昔、言ったよね。クラーケンは海底の都市を守るためにここにいるって」

 《肯定だ。我は都市とそれに付随するものに害をなす勢力の排除を使命としている》

「それは、今も昔も変ってないんだよね! クラーケンはこれからもクラーケンのままだよね!!」


 アーシェが必死に叫ぶと、一番ぐんぐんと海上に上っていく触腕の力が、少し弱まった。

 海の奥底にある銀色の瞳が、驚いたように動いたのが見えた。


《どういう意味だ》

「王子が言ったの。あなたが目撃されはじめた時期と、古代人がいなくなった時期が入れ違いなんだって。でもクラーケンは古代人に作られたっていってた。その人達から都市を守る役目をもらったんでしょ。魔法生物が役目があるから生きているんなら、都市の人にその……」

《王子は、我が都市の住民を滅ぼした、と考えているのか》


 核心的な問いにひるみつつもアーシェはうなずき、すがる様にクラーケンの返答を待った。


《否定はしない。都市は我が任につくのと前後して無人となった》

「それってどういう……きゃっ!!」


 衝撃と共に、アーシェの胴に巻き付いていた触腕がゆるんだ。

 とっさに身をひねって抜け出したアーシェだったが、そのとたん、体をさらわれる。

 先ほどまで支えていたものより格段に細いけれど力強いもの。

 見れば、いるはずのない王子だった。


「アーシェ、無事か!!」

「トヴィ様っどうして!?」

「話は後だっ。今は不意を撃てたが二度はない。早くここを離れるんだ!!」


 一体何のこと?

 アーシェはそこで、視界の隅に、見覚えのある青紫色の触腕がちぎれて漂っているのが見えた。

 そこからあふれ出すのは青い液体。

 王子の片手に下げられているのは淡く燐光をまとう抜き身の剣。

 頭が真っ白になった。


「やっ! 待って、クラーケンっクラーケン!!」


 アーシェはクラーケンの姿を追おうともがいたが、王子の腕はびくともしない。

 見えていた巨大な陰にはまる銀の瞳も、ゆるりと瞬いた後、昏い奥底へと消えていった。







 大型の船の甲板へ引き上げられた瞬間、アーシェは王子の顔に平手を打った。

 海上に音が響く。王子は逃げなかった。


「何で彼の腕を切り落としたりしたの!!」

「君をあの怪物から助けるためだ」

「違うわ、私何もされてない!」

「違わない」


 動揺するアーシェの両肩を王子は両手でつかんだ。


「君たちが出発してすぐ、海で魔物に襲われた連中が帰ってきた」


 そのひどく真剣な若草色の双眸に、アーシェは息を詰めた。


「あの大時化を何とかのりこえてやってきた船団だが、ほんの一日前さらに濃霧に巻かれたそうだ。その中で突然船が蛸のような触手に襲われたという」

「……っ!?」

「船を沈められかねない勢いで揺さぶられたが、何とか大砲で追い払って、命辛々逃げてきたそうだ。

だが、一緒だったほかの船はまだ港にたどり着いてはいない」

「……触手の色は」

「青紫、だったそうだ」


 くらりとめまいがして、倒れ込みそうになるアーシェを、王子の腕が支えた。


「アーシェ。わかってくれ。クラーケンは、危険だ」


 沈痛な王子の声が、頭の上を滑っていった。



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