第3話 彼女の軌跡


 海底には古代都市を守る、クラーケンがいる。

 これは古くから街に住む者ならみんな知っていることだ。

 何百年、もしくは何千年も前に栄華を極め、滅びた古代文明。

 海生石にかけられる魔法も、その古代文明で使われていた魔法だったらしい。

 魔法都市に住む研究者達でさえ再現できない、高度な文明がなぜ滅びたのか、誰も知らない。

 でも今でも海底都市は朽ちずにそこにあり、その眠りをクラーケンが守ってる。

 クラーケンは海底都市に害をなそうとする者を許さず、近づけば船ごと沈める海の災厄。

 恐ろしい化け物だと街の人は口々に言い、海域に近づくことすら忌避するのだ。


 だけどアーシェはあの日に知ったのだ。

 クラーケンの肌に触れれば話せることを。

 優しい優しいヒトだったことを。

 幼いアーシェは大人達がクラーケンのことを恐ろしげに言うのを不思議に思い、そのことを皆に話した。

 だけど父も母も、誰も信じてくれずに、海におぼれて気が変になったのだと噂され、口を閉ざした。

 

 けれど、あの”声”は嘘なんかじゃない。 

 アーシェを助けてくれたクラーケンは悪い化け物なんかじゃない。

 それを確かめたかったアーシェは、もう一度会いに行こうと考えた。

 海でおぼれれば会えるかと思ったけど、クラーケンがよく目撃されるのは海底都市のある沖合だ。望みは薄そうだった。

 それでも幼いアーシェは考えて考えて考えて、気づいた。


 向こうから来ることがなければ、会いに行けばいいんじゃないと。


 それに最適な職業をアーシェは知っていた。

 海生石の潜り手。この街特有の職業。

 海生石の力を借りて、おとぎ話の人魚のように自由に海を泳ぎ、長く深く潜って海生石をとる。

 しかも、海生石がとれる海域はクラーケンの居る海底都市に近いのだ。


 そうしてアーシェは潜り手になる為の特訓を始めた。

 父には大反対されたが、押し切った。

 この街の子であるアーシェには海生石の力をより強く引き出せる才能があったから、毎日毎日泳ぎの特訓をし、深く潜る技術を磨いた。

 海流の読み方、危ない海の生き物のみ分け方も誰よりも率先して覚えた。

 誰よりも深く、誰よりも長く潜れなければ、クラーケンには会いに行けない。

 そう思えば、訓練のつらさなんて全く感じず、楽しくさえあったのだ。


 優秀な潜り手だった祖母の血のおかげか、自在に海を泳ぎ、深く潜れるようになるのにそう時間はかからなかった。

 そうして13歳になる頃には潜り手の船に乗って海に潜り、クラーケンを探すついでに海生石を取った。

 逆ではない。

 青紫色の巨大な姿を探すためだけにアーシェは潜っていたのだ。

 あの、心に響いてくるような声をもう一度聞きたくて。

 その資格を得るためにアーシェはより大きな海生石のかけらを探し求めた。

 大きい石が見つかりやすいのが海底都市の方向で助かったと思いつつ。


 だけどある日、大きな石を探すのに夢中になりすぎて海流に呑まれた。

 海底都市の周辺は海流が複雑に絡んでいているから、呑まれたら最後、生きて帰ることはできないと口を酸っぱくして言われたのを思い出したのは後のこと。

 どんどん暗い底へ押し込んでいくすさまじい激流に、アーシェが海生石の力を維持できなくなりかけたそのとき。

 腹に太いものが巻き付いて、海流から引き抜かれた。

 と、思った瞬間、放り込まれたのが海底都市のひときわ高い塔の上。


 《君は、ずいぶん海でおぼれかけるのが好きらしい》


 巻き付いている青紫の触腕からその呆れた声が響いたとき、喜びのままに抱きついたのは当然だろう。

 今まで温めていた気持ちを吐き出すようにアーシェは話した。


 感謝の気持ち、自分の名前、一番近くの陸の街に住んでること。

 彼に会うために、潜り手になったこと。 

 そして、彼の名前と、彼のことを聞くと、意外な答えが返ってきた。


 《我に、名はないよ》

「クラーケンは名前じゃない?」

 《陸の者が勝手につけた呼び名だ。かつてこの都市に住んでいた者には”守護者”と呼ばれていたが、個体名ではないからな》

「じゃあなんて呼べばいい?」

 《妙なことを聞く。我を認識するのは君だけだというのに必要か》

「必要よ! だって私が呼びたいもの」


 アーシェが強く主張すれば、彼は青紫の触腕を同士を絡めて沈黙した。


 《ならば、クラーケンと、呼べばいい》

「化け物、って意味だけど、いいの?」

 《かまわん》


 その日から、彼の名前はクラーケンになった。

 幸せな邂逅はほんの数分だった。


 《海上で君を捜している。途中まで送るから帰りなさい》


 何年も待ち望んだ再会だったから渋ったアーシェだったが、クラーケンに諭されて承諾した。

 ただ触腕に掴まったアーシェは、期待を籠めて訊ねた。


「また会える?」

《……我はこの都市の守護者。離れることはない》


 少しの間の後、そう答えが返ってきてアーシェは喜んだ。


「つまり私からは会いに来ていいのね。ありがとう、クラーケン。またくるわ!」


 捕まった触腕から、面食らったような気配がした気がしたが、拒絶されて居るようには思えなかったからアーシェはかまわなかった。





 以来、アーシェは海底都市を目指すことをためらわなくなった。

 もちろん、最初の数回はたどり着けずに引き返すばかりだ。

 けれど、挑戦していく内に海底都市の姿を見れるようになり、しまいには自力で膜(アーシェは海底都市を覆う魔法のことをそう呼んでいた)に触れられるようになった。


 膜は透明で柔らかいのに、大嵐が来ても大きな魚がぶつかったりしても破れたりはしなくて、通り抜けられるのはクラーケンだけ。

 もちろん人くらいなら乗っても大丈夫だったから、クラーケンが目的だったアーシェはちょっと苦しいものの膜の上で十分だった。

 だけど、アーシェが膜までたどり着くと、クラーケンは仕方なさそうに都市の中へ招き入れてくれた。


 《一体君は、何がしたいのかね》


 と、いつものあきれた言葉がついてきたが、アーシェは決まってこう言いかえした。


「あなたと会って話がしたいの!」

 《……本当に、君は物好きだな》


 何度も繰り返す内に、クラーケンはアーシェが海底都市に近づけば触腕を伸ばして助けてくれるようになった。

 その青紫色の触腕が出迎えてくれるのを見るたびに、どれだけアーシェが嬉しかったか、彼にはわかるまい。







 初めて想いを告げたのは15の時だ。

 そのころ、アーシェと同年代の潜り手の娘達が、恥ずかしそうに嬉しそうに恋の話をひそひそさやさやと囁きはじめていた。


 小間物屋のハンナは漁師のジャックとつきあい始めたらしいわ。

 潜り手のイナはもうすぐ結婚するんだって。

 できるならお城の王子様をひと目でいいから見てみたいわ。文武両道の高潔ですばらしいお人だそうよ。

 つき合うのならやっぱり商会の若旦那がいい。すてきな暮らしができそうだもの。

 あらそうかしら、やっぱり船乗りが良いわ。頼りがいがあるもの。


「ねえ、アーシェはどんな人がすてきだと思う?」

「悔しいけど、アーシェは美人だから、恋文もらったりするんでしょ? 誰かいい人いないの」


 潜り手仲間に無邪気に聞かれたアーシェは、曖昧にほほえんでごまかすことしかできなかった。

 確かに街の青年達から文をもらうこともあったし、直接想いを伝えられることもあったけど、全然興味がもてなかった。

 でも、その気持ちは分かった。


 そのヒトのことを考えるだけで胸が高鳴り、甘くうずき、居ても立ってもいられなくなる。

 一目会えれば幸せな気持ちで居られて、言葉を交わせば時間も忘れる。


 でも、娘達がどんなに素敵だと言っても、人には感じなかった。

 アーシェが、彼女達のいうあこがれの感情を持っているのは、青紫色の怪物なのだ。

 そうか、これが、恋だったのか。


 それに気づいたアーシェは、目が覚めたような気持ちでその次の日にはクラーケンの元に駆けつけた。


「クラーケン、私をあなたのお嫁さんにしてくれない?」

《……アーシェ、まずはその発言に至った経緯を順番に話してみよう》


 初めての告白に興奮していたアーシェは、かまわず人生で一番の大発見を一生懸命説明した。

 全部話し終えてから、海底都市の天井いっぱいに見えるクラーケンの体色が揺らいでいて、困り果てているようなのに気付く。

 それから、クラーケンは男性と女性の身体の違いとその理由、果ては心の動きと生殖本能の結びつきをアーシェにもわかるように丁寧に説明した上で、こう締めくくった。


《アーシェ。我は作られた魔法生物だ。人ではない。我に助けられた強烈な記憶が、感情に誤作動を起こしているのだよ。つまり勘違いなのだ》


 染み渡るような、低く、落ち着いた声で諭されて、アーシェはすっと、胸に氷の針を突き刺されたような気分になった。

 けれど次の瞬間、猛烈な怒りがこみ上げてきたアーシェは叫ぶ。


「この気持ちは勘違いなんかじゃないわ!」

《同族と添うことが自然なのだ。アーシェ、君はまだ幼い。いずれわかるときが来る。生き物とはそういうものなのだ》


 わかってもらえない悲しみと絶望の、身が裂けるような苦しみを知ったのはそのときだった。

 この胸に感じたときめきも、幸福も、嘘じゃないのに。

 なだめるように頭にぽんとおかれた触腕を、離れる前に捕まえた。


「わからないわ、クラーケン。わかりたくもない」

《アーシェ……》

「だから、証明する。この気持ちが本当だって」


 手の中にある触腕に、アーシェはありったけの感情を籠めて唇を寄せた。

「覚悟して」


 返事はなく、見上げたクラーケンの銀の瞳は複雑に色彩に変えるだけだった。

 その日の夜、自分の部屋に戻ったアーシェが激情に駆られていたとはいえ自分のあまりに大胆な行動に一睡もできなかったのは余談である。







 証明する、といったものの、具体的な策があるわけではなかったから、まずは話をする事から始めた。

 会話をすることで、相手の好みを聞き出しどのような手が有効かを探る、というのが娘達の言う手管の一つだったが、いつもと変わらないと思いつつ、これ以上によい手がなかったのだ。


 娘達の青年の気を引く技を片っ端から試そうとしたこともあったが、クラーケンに会えるのは海の底だ。

 ひらひらとしたワンピースなど着て潜れないし、そもそもぐっしょり濡れて目も当てられなくなるだろう。化粧や髪飾りもしかりだ。

 恋文、はあえて書いて渡す意味があるようには思えなかった。

 男がそそられるという悩殺ポーズもやってみたが、逆に身体を心配されてしまって顔から火を噴きそうだった。


「クラーケンクラーケン、好きな食べ物は何かしら?」

《私は、海流によって生み出される動体エネルギーによってまかなわれている。あえて生体を食す必要はない》

「クラーケンはいつも何をして過ごしてるの?」

《時折やってくる敵性生物の排除もするが、大抵はこの海域付近で動体エネルギーを摂取しながら待機している》

「ああそれで、あんまり動かないのね」

《……稼働効率は良くないのでね》


 クラーケンはアーシェが問えば、大抵のことは答えてくれた。

 そばで観察していくうちに、困った時には体表の青紫が揺らめくことや、悩んだときは触腕を絡める癖があることや、意外と面倒くさがりらしいことも知った。


 海底都市のそばでずっと過ごしている、というから暇つぶしにつき合ってくれたのかもしれないとも思いつつ、アーシェは彼のことを一つ知るたびに宝物が一つ増えた気になった。

 そうしてアーシェは都市に滞在できる時間めいっぱいをクラーケンとの語らいで過ごし。

 そして、必ず、自分の想いを重ねた。


「大好きよ。クラーケン」

《……アーシェ。そろそろ時間だ。帰りなさい》


 初めての告白以降は、かわされるばかりだったが、かまわなかった。

 そりゃあ、あんまりにも反応がなくてちょっぴりめげそうになることもあるが、明確に拒絶されなければ、それで良い。

 会えるだけで、伝えられるだけで幸せだ。


 そうして、アーシェがクラーケンをくどき初めて一年。

 アーシェの片思いは、続いている。


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