伍、
初雪の降った翌朝。
重い足取りで祭儀場へ向かった村の男たちは、降り積もった雪の下から少女の長い髪と祭儀場に残る血痕を見つけ、今回も滞りなく祭りが終わったことを知った。
悲しみに暮れるのもそこそこに、安堵の息が漏れるのをとがめだてする者はいない。
厄介者の少女でも役に立つことはあるものだという者も居るくらいだ。
血痕が妙に鮮やかすぎるのと、用意してあった大包丁が無くなっているのに気付く者も居たがすぐに忘れ去られた。
それから間もなくして、村の青年と長者の娘との結婚に村は沸き立った。
長者の娘は気立てもよく、近隣一の器量良しだと噂されている。
そんな娘ならやっかみもありそうなものだが、狂人の少女に長年情け深くかかわっていた青年への評価は高く、むしろそれ以上の幸福があってもいいだろうと、もろ手を挙げて歓迎した。
長者に取り立てられ、子供にも恵まれて村人の羨望と尊敬を一身に集めた青年は、長者の娘を半ば強引に口説き落としたことも、娘に会いに行く為に少女の奇行を大げさに、あるいはでっち上げて話し、それの面倒を見に行くという口実を隠れ蓑にしたこともすべて顔の裏にしまい込み、謙虚な人当たりの良い笑顔で長者の仕事を手伝う日々を送った。
己が欲の犠牲とした少女など、きれいに忘れ去って。
だが、寒い冬が終わりに差し掛けた、雪解けのころ。
村を激震させる事件が起こった。
兎狩りに出た村の猟師が、雪に埋もれていた狒々の死骸を見つけてきたのだ。
見つけた死骸は全部で三体あり、うち二つはなぜか干からびていたが残りの一体は全身を激しく損傷しており、とどめのように腹部には祭りの際に並べられていた大包丁が突き立てられていた。
壮絶な死体のあり様に村人たちは戦慄しつつも、もう生贄を選ばなくていいとお祭り騒ぎとなったが。
だがいったい誰が狒々を殺したのか。
そもそも狒々が死んでいるなら少女はどうしたのか。
ひと時の昂揚感から覚めると不気味な不安感が村全体を覆った。
村人たちは少女が殺し切ったとは露とも思わず、少女が喰われた後、やれ武者修行の侍が倒していっただの、やれ徳の高い坊様が通りかかってくださっただの、推論し合った。
それと同じくして血まみれの花嫁衣装が見つかり、村人たちは後ろめたくはあってもほっとしたが、長者の娘と幸せになったはずの青年と、少女の継父がおかしくなったことで村人の恐れは復活した。
彼らは狒々の死体が発見されたころから、悪夢にうなされるようになった。
髪をザンバラに切られ、血まみれの花嫁衣装を着た少女が狒々の死体の傍らに立ち、こちらを恨みがましげに見つめている。
逃げようとすればたちまち追いつかれ、手に持つ血に濡れた大包丁でバラバラになるまで切り刻まれるのだ。
夢であるはずなのに現(うつつ)のように痛みを感じるそれに毎夜のようにうなされ、継父のほうはげっそりと痩せ床につきながらも泣いて許しを請う毎日となる。
一方、青年のほうはそれだけでは終わらなかった。
青年にとって少女は都合のよい存在だった。
長者の娘を手に入れるために必要な隠れ蓑。好いたことはなかったがそれでも狂い疎外された少女をかまってやったと自負がある。
それなのになぜ呪われなきゃならないと思っていたのだが。
日のある内でもふと暗がりに目をやれば、血まみれの少女の顔が浮かんでいるのを見つけて悲鳴を上げ、何もせずとも聞こえてくる恨みの声に耳をふさいだ。
しかもそれは他人は見ることも聴くこともなく、かつての少女のように恐れおののく青年の支離滅裂な言葉からおぼろげに何か恐ろしいものを見ているとわかりはしても、遠巻きにするしかなかった。
そのころには少女が怨霊となり彼らを逆恨みしているというまことしやかなうわさが流れていて、とばっちりを食らうことを村人たちは恐れていたのだ。
長者の家は、
持て余した長者は、ある日とうとう青年を座敷牢に閉じ込めた。
その晩、夜半まで青年の狂ったような叫び声が母屋にまで響いていたが、ふとやんだ途端、今度は女の悲鳴が響き、眠れずにいた長者や家人らは飛び起きて座敷牢に向かった。
悲鳴の主は長者の娘だった。
子まで宿した男を見捨てられずに様子を見に来たのだという。
座敷牢の中では青年が首をへし折られて死んでいた。
まるで強い力で殴り飛ばされたような異常な死に方に長者は一部始終を見ていただろう娘を問い詰める。
娘はガタガタと震えつつもどこかうっとりとした様子で答えた。
「美しい、恐ろしいほど美しい鬼が居たのです」
娘がて明かりをもってそっと座敷牢まで降りてきたとき、ちょうど鬼が座敷牢の中に現れていたのだという。
鬼はあの少女の兄だと名乗り「妹をもてあそんだ復讐だ」と恐怖に震える青年をこぶしで一発殴り飛ばした。
青年は少女への懺悔を言い切る間もなくあっという間に壁脇まで吹き飛ばされ、こと切れた。
その後、格子の外にへたり込む娘に気付いた鬼はにたりと笑ってこう言った。
『紅絹は狒々を殺して人を捨て、生まれ変わって鬼になった。お前は生きてすべてを伝えろ』
そうやって鬼から語られた少女の孤独な戦を長者たちに話し終えると、娘は三日三晩寝込み、腹の子は流れた。
長者らは震えあがり、即座に近隣の村々にまでその話を広めたばかりか、狒々のために建てていた社に手を入れ、代わりに少女の髪を神体とし、鬼となった少女を祭った。
だがそれ以降その鬼が現れることもなく、少女の行方はようとして知れない。
ただ。
山を通る旅人の間で、一時こんな話が出回った。
その昔、贄が捧げられていたと言い伝えられる今は打ち捨てられたも同然の石造りの祭儀場に、時折目にも鮮やかな緋色の着物を身にまとった美しい娘が現れるらしい。
その頭には角が二つ。
立ち去った後には、花が添えられているのだという。
生贄鬼譚 (了)
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