03-03 志は高く、目標は低く

 屋台の傍らにある簡易厨房で、ジオンがパンを切りながら教えてくれた。

 ホワイトキャップはかつて雪化粧をした、それはそれは美しい山だったという。

 しかし炎の精霊ボルケインが山に住み着いてしまい、山頂でずっと燃えているせいで気温があがり、雪は溶けて木々は燃え、すっかりハゲ山になってしまったそうだ。


「ほら、あれがボルケインだよ」


 ジオンが指さしたのは、山の頂上で噴き上げている炎だった。

 「やはりあれはモンスターだったのか」と応じるユリア。


「燃えている音が村の麓まで聞こえてくるとは、相当大きな音をたてて燃えているのだな」


「ああ、ゴーゴーってのはボルケインが燃えてる音だけど、あの魔導装置……魔導拡声装置から鳴ってるんだよ」


 ボルケインを指さしていたジオンの太い指が降り、村にある電柱のような柱を示す。

 その柱の上には、スピーカーのようなものが付いていた。

 『魔導装置』というのは魔力で動く機械のようなもので、現実における家電製品に相当する。


「山の頂上には魔導通信装置が設置されてて、昔は頂上と麓で会話ができたんだ。いまは頂上にボルケインしかいないから、炎の音しか聞こえてこないけどね。それにいまはボルケインのせいで、ホワイトキャップに登る観光客がいないんだよ」


「ああ、それで登山家のような格好をした冒険者たちが大勢いるのだな」


「うん。いままで大勢の冒険者や兵士たちがボルケインに挑んだんだけどさ、誰ひとりとして頂上を解放できてないんだよね。それなのにつまらない争いばっかりしてさ、いい加減、協力しあえばいいのにって思うよ」


 このホワイトキャップのまわりには4つの領地があるという。

 北のノースブルー、東のサウスイエロー、西のイーストグリーン、南のウエストレッド。

 4つの領土は以前から仲が悪かったが、ボルケインが現われたときにそれをダシにした領土争いへと発展する。

 ボルケインを倒し、ホワイトキャップの頂上に自領の旗を立てることに成功した領地が、他の領地すべてを統治するという盟約がなされたそうだ。

 ユリアは山小屋での塩対応の理由を理解する。


「山登りが領土争いになってからっていうもの、登山じゃなくて『登山観戦』しに来る観光客が増えたんだよ。自分の領地を応援するためにね。でも観光客はみーんな自分の領地の店しか利用しないから、こっちは商売あがったりなんだ」


「あなたはこのホワイトキャップの生まれなのか?」


「うん。この『雪うさぎのねぐら亭』も、最初はホワイトキャップの頂上で山小屋をやってたんだよ。でもボルケインが出たから避難するしかなくてね。麓に降りてからも山小屋を続けてたんだけど、他の領地のヤツらが押し寄せてきて奪われちゃってね」


 パンにマヨネーズを塗りながら、ジオンはやるせないため息をつく。


「いまじゃこんな道端の隅っこに追いやられて、屋台で食いつなぐのが精一杯さ。代々続いた『雪うさぎのねぐら亭』も、俺の代で終わりだね。はぁ……無理だろうけど、昔みたいにまた頂上で山小屋がやれたらなぁ……」


「こんな屋台になってもホワイトキャップで商売を続けるとは、よほどあの山のことが好きなのだな」


「当たり前だよ。俺はあの山の頂上で生まれて、いろんな登山客と接して育ってきたんだ。その時はみんな純粋に登山を楽しんでて、助け合って山を登ってた。あの頃に戻りたいよ……」


「望む未来があるのなら、それに向かって努力するといい。あなたの先祖も、この小さな屋台から始めてコツコツお金を貯めて、山小屋を構えるようになったのだろう?」


「え、なんでわかるんだい?」


「この屋台はだいぶ年季が入っている。あなた一代ではここまで古くはならないだろう」


「よくわかったね……そうだよ、これは俺のひいじいちゃんが使ってた屋台だよ。ひいじいちゃんは、まだ赤ん坊だったじいちゃんをおんぶして屋台を引いてたんだって。なんか、すごいよね……」


「あなたの曾祖父はたしかに立派だが、その子孫であるあなたなら同じことができるだろう。むしろ、曾祖父もそう願っているはずだ」


 ユリアの口ぶりは、まるで曾祖父のことをよく知っているかのようだった。

 しかしユリアの若々しい見た目からいってそんなことはありえないので、ジオンはキツネにつままれたようになる。


「えっ、なんで? なんでそんなことまでわかるんだい?」


「この屋台はありあわせで作ったものではなく、かなりしっかりとしている。自分の代だけでなく、末代まで使えるほどに」


 ユリアは屋台骨に手を当て、さらに思いを馳せる。


「あなたの曾祖父は一族が凋落することを見越していて、そうなっても商売が続けられるようにと、この屋台をのこしたのだろう。山小屋を失うようなことがあっても、屋台さえあれば何度でもやりなおせる。だから、くじけるな……。この屋台からは、そんな想いを感じるのだ」


「そう、かもしれないね……。でも俺には屋台は引けても、山小屋を建てるなんて無理だなぁ」


「いきなり頂上を目指そうとするからそう感じるのだ。山登りと同じと思うといい」


「山登りと、同じ……?」


 パンにツナを乗せながらオウム返しするジオンに、ユリアは大きく頷き返した。


「『志は高く、目標は低く』」


 さらに力強い言葉とともに諭す。


「高い志を抱いたあとは、小さな目標を立て、それをひとつひとつこなしていくのだ。世界最高峰の山でも、一歩一歩の積み重ねであるということを忘れるな」


 ジオンはまるで曾祖父に叱られているような気分になって、身を固くする。


「でも……そう言われても、なにから始めればいいのか……」


「ならば、屋台にあるサンドイッチをぜんぶ売り切ることから始めるのだ。売ったお金を元手に、もっとお客を呼べる新しいメニューを開発するといい」


「わ……わかった。これからはもっと、一生懸命に売ってみるよ。それが最初の一歩になるんだね」


「そうだ。では、ここにあるサンドイッチをすべてもらおうか」


「え」


 ユリアはポーチから取りだした金貨を屋台に置き、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「これで、最初の一歩が踏み出せたな」


 それは、歳の離れたオヤジのハートすらもたやすく撃ち抜いてしまうほどの、世代を超越したスマイルだった。

 そもそもユリアは黙っていても世界中の男が寄ってくるほどの美貌とスタイルである。

 それなのに、こんな粋なことをされては惚れないわけがない。

 ジオンの心臓もすっかり急襲、収奪されていた。


「は……はひっ! あ……ありがとうございますっ!」


 若かりし頃、卒業式の日に憧れの先輩のリボンを貰った時のように、顔を真っ赤にしてぺこぺこ頭を下げるジオン。

 まるで流れで告白するように、オヤジは勇気を振り絞った。


「あ……あの……お嬢さん! お嬢さんから教えてもらったツナサンドを、新メニューとして売ってもいいですかっ!?」


「もちろん。ほら、これでもう一歩踏み出せた」


 宝塚のトップスターも霞むほどの、さらなる微笑み。

 それは遠巻きに見ていた女性たちですら失神させてしまうほどの破壊力があった。

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