ビューティフルクライマー
03-01 五流ユリアー百合
それから数日が経ち、現実におけるわたしの周辺はもうパンク寸前になっていた。
わたしが勤めている会社のキッチンナイフをユリア様がトックチューブで紹介したとかで、またしても注文が世界じゅうから殺到。
いままでは特区のナイフだけだったのに、包丁においても世界トップシェアになってしまう。
おかげで社内の人口密度はさらにあがって、総務部も15人の大所帯となった。
各部署はどこも狭くて、みんな肩を寄せあうように仕事をしていたんだけど、ついに引っ越すことになる。
ビジネス街の片隅にある小さな雑居ビルから、同じビジネス街の中央よりの中くらいの雑居ビルに移転。
いままでは1階だけだったんだけど、1階から3階まで借りきった。
しかも1階はオフィスと兼用じゃなくて、ちゃんとした受付とショールームになり、しかもプレスルームまで完備。
わたしはてっきり、ショールームやプレスルームはユリア様一色になるんだろうなぁと思っていた。
ついにユリア様の御尊顔が拝めるんだと、ちょっぴり期待してたんだけど……。
広々としたショールームにはユリア様のユの字も無かった。
ある人から教えてもらったんだけど、ユリア様はあれほど我が社の製品を使ってくれているというのに、我が社からのアプローチは完全無視しているらしい。
おかげでイメージキャラクターとして起用するどころか、商品に推薦文すら載せることもできないそうだ。
ユリア様に関する肖像権の扱いはすごく厳しいらしい。
ユリアーと呼ばれる熱烈なファンが日々監視しているらしく、ユリア様を勝手に使って商売など始めようものなら総攻撃にあうそうだ。
それは海外でも例外ではないようで、ある国でユリア様のグッズを勝手に作ったところ、現地のユリアーが暴徒と化して工場ごと跡形もなく潰してしまったという。
「ユリア様はイメージキャラクターなどという世俗の低俗な概念に縛られる存在ではないのですわ。例えるなら『愛』、例えるなら『太陽』……、例えるなら『宇宙の神秘』……」
そしてわたしは今日も、少し広くなった給湯室で正座させられ、その人の話に耳を傾けていた。
「はぁ……」
なぜか、金剛院さんの話を聞かされるのが週明けの習慣となっていた。
その話のほとんどはユリア様のことなんだけど、世間のことにいろいろと疎いわたしにとっては貴重な情報源でもあった。
金剛院さんはユリア様の話となると、恋する乙女のようにウットリする。
今日の彼女の制服はショッキングピンクで、頬を染めるその姿はサケの切り身のようだった。
「ユリア様はほんとうに神秘ですわよね……。首相ですら呼びつけられるこのわたくしですら、映像ごしでしかお会いできないんですもの……。もし現実でお会いしてしまったら、きっと即死してしまいますわぁ……」
『ユリア様のためなら即死できる』それがユリアーたちの合い言葉らしい。
しかし、わたしは少し意外に思った。
金剛院さんは超一流企業のお嬢様で、ユリア様の動向を探るための情報機関も持っている。
そのうえ首相さんも呼びつけられるほどの立場にあるのなら、彼女がその気になればユリア様の正体なんて簡単に調べられそうなものなのに……。
「ユリア様は、わたくしの辞書に初めて『不可能』という文字を刻んだお方なのですわ。わたくしも一時は小国の国家予算ほどの費用を投じて、ユリア様の正体を突き止めようとしたことがありましたの。でも、『エルフ法』に阻まれてしまったんですわ」
『エルフ法』……小学校の頃、社会科の授業で習ったことがある。
現実と異世界が繋がった時、いくつかの国が異世界に侵略戦争を仕掛け、一時は全面戦争になりかけた事があった。
しかし北極に住んでいたエルフたちが仲裁としてふたつの世界の間に入り、戦争を回避したという歴史がある。
エルフたちはそれまでおとぎ話の中の存在だったのに、その時にはじめて実在が確認された。
本来ならツチノコが発見されたのと同じくらいの大事件だけど、異世界というもっと不思議な世界があったので、当時はそれほど騒ぎにはならなかったという。
現実と異世界の両方を深く知るエルフは橋渡し役となり、その存在感を高めていった。
北極以外の住まいを欲した彼らは見返りに、『特区ステーション』を固有の領土として認めるよう要求。
各国の首脳は最初のうちは拒んだものの、特区との繋がりは自国の発展には欠かせないと判断。
やがては特区ステーションの設立を、そしてエルフの世界進出を積極的に手助けするようになった。
ようするに、現実から特区へは直接行き来しているわけではなく、いったんエルフの領土を挟んでいることになる。
彼らはハブ空港のような役割を担うことで、ふたつの世界で勢力を伸ばしているという。
まさに世界の中心といっていい彼らが制定した法律こそが、通称『エルフ法』。
ここから先の話は金剛院さんが教えてくれたんだけど、エルフたちは特区に行く人間の個人情報を国家機密として扱っていて、決して外部には漏らさないそうだ。
特にユリア様に関する情報は現実と特区、両方の権力者たちが知りたがっているらしく、エルフたちの間でもトップシークレットになっているらしい。
世界じゅうの権力者たちが探っても正体が掴めないなんて……まるで伝説のスパイみたいだ。
ユリア様の伝説に新たなる1ページが刻まれたところで、金剛院さんは「あ、そうそう」と話題を変えた。
「法律の話で思い出しましたわ。先週、特区の食品衛生法や関税法などが改正されたのが大きなニュースになっていたでしょう? あれは、我が社が特区の加工食品を扱うことになったからですわ」
金剛院さんは秘書課にいるだけあって、我が社の情報もいち早く入ってくるらしい。
特区には現実の動植物を持ち込むのは禁止されているけど、それと同じで特区の動植物を現実に持ち込むのも堅く禁じられている。
そのあたりの規制が緩くなってくれたのかと、わたしはちょっと色めきたつ。
「といっても今回許可されたのは我が社だけで、ようはテストケースのようなものですわね。特区の食品を缶詰にして販売するそうですわ」
なんだ……特区の食べ物が個人で持ち帰れるようになったわけじゃないのか。
「先週、お話したでしょう? ユリア様を追って、お魚のおいしい村に行ったと。そこの領主様が、ユリア様のために一念発起したそうですわ。国王を説き伏せ、エルフの仲介で日本政府と交渉し、缶詰の加工販売にこぎつけたそうですわ。領主様がテレビのインタビューで答えておりましたけど、ユリア様にツナ缶を食べていただきたい一心でがんばったとおっしゃっておりましたわ」
そうなんだ……。でも、なんで我が社なんだろう?
我が社はナイフとか包丁のメーカーで、そもそも缶詰なんて扱ってないのに……。
そんな疑問も口に出す必要すらなく、金剛院さんが教えてくれた。
「その領主様はかつてユリア様に命を救われて、そのうえお料理まで教わったそうですわ。その時にユリア様が使っていたキッチンナイフが我が社のものだったそうですわ。領主様は、ユリア様が愛用されているのなら間違いないだろうと判断したのでしょう。その熱い思いに応えるべく、我が社も新事業に着手したというわけですわ」
金剛院さんはさらっと言ってるけど、その領主様の苦労は相当なものだったに違いない。
たったひとりの女性にツナ缶を届けたいというだけで、日本の法律まで変えさせるなんて……。
「……すごい……ですね……」
「ええ。異世界の領主を動かすだけでなく、現実世界の一企業どころか政府まで動かしてしまうなんて、本当にユリア様の影響力は天井知らずですわね。異世界の食品の販売は初の試みですから、我が社の株価も連日ストップ高間違いないですわね」
金剛院さんの手にはいつの間にか、小さな缶が四つ連なった缶詰が握られていた。
ゴージャスないでたちの彼女が持つと、缶詰のパックすらミスコンのトロフィーに見えてしまう。
「これがごく一部、限られた関係者にのみ配られた試供品ですわ。わたくしは特別ですから、特別に手に入れましたの」
パッケージにはスキップキックジャック、こっちの世界でいうマグロの絵が描いてあって、わたしは思わず前のめりになる。
ツナはわたしの好物のひとつ。
だから実は後悔してたんだ。お魚のおいしい村でマグロを獲ったときにツナにして食べなかったことを。
「これが、特区のツナ缶……!?」
いつも生返事しかしないわたしがいつになく食いついてきたので、金剛院さんは気を良くしているようだった。
「欲しければ差し上げてもよろしくてよ?」
「えっ……い……いいん……ですか……?」
「ただし、ひとつ条件がありますわ。今日は途中で逃げたりせず、最後までわたくしのありがたい話を拝聴すること」
「うっ」
それはなかなかにハードな交換条件だった。
彼女の話は校長先生ばりに長いので、最後まで付き合っていたら今日の仕事が終わらない可能性がある。
しかし、しかし……!
わたしの頭の中に天秤が現われる。
金剛院さんとツナ缶とで揺れていたそれは、考えを巡らせるまでもなくガクンと一気に傾いていた。
「き……聞きます……!」
「取引成立ですわね、この缶詰はあなたのものとなりましたわ」
彼女は足を組み直すと、小馬鹿にしたような片笑みを浮かべる。
「でも、ひとつだけ教えておいてさしあげましょう。ユリア様はフレッシュなものしか召し上がりませんわ。缶詰などという保存食は、目もくれずに通り過ぎることでしょうね」
それは、ユリアという名の女神の神託を受けた巫女が、間抜けな村人に言い聞かせるような口調だった。
「そんな『ユリア様またぎ』なものを喜んで口にしていては……あなたは一生、五流ユリアーのままですわよ?」
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