02-07 したいしたいリスト

02-07 したいしたいリスト


「「で……出たあっ!?」」


 プレットと店主は同時に叫喚し、ぬかるみとなった地面に腰を抜かして倒れる。

 引かれ合う磁石のように身を寄せあい、お互いの身体をさらに泥まみれにしていた。


「あ……ああっ! プレット様、なんとかしてくださいっ! どこかに護衛はいないんですか!?」


「ううっ! 今日は領主になるための試練でここに来たから、護衛はひとりも連れてきていないんだ!」


「そ、そんなぁ!? それじゃあもう、どうしようもないじゃないですかぁ!?」


「くっ……! せ……せっかく助けてもらったのに、こんな所で死ぬなんて……!」


 ユリアはずぶ濡れのままうつむき、身体のあちこちから雫を垂らしていた。

 やがてゆっくりと振り向くと、目を鋭く細めながら天を睨み上げる。


「せっかくのお魚が、濡れてしまったではないか」


「ええっ!? いまはそんなこと、どうでも……!」


「そうだ、早く逃げるんだ! お前だけでも……!」


 店主のツッコミもプレットの指示も届かない。

 ユリアは後ろ手で食べかけのアユの串焼きをバーベキューコンロに置くと、腰に提げた柄にその手を置く。


 つねに帯刀している二本の剣のうち、いつもとは異なる一本が鯉口を切った。

 玉散る光とともに、その身を夜の闇に浮かび上がらせたのは、氷の刃のような日本刀。

 天に刃向かうような構えを取ると、星明りを浴びた刀身が月のように輝く。


「あなたは多くの命を無駄にした。あなたよりもずっと重い命を、いくつもな」


 ユリアと、その背後には水浸しになった魚料理がある。プレットと店主がいて、その奥にはさらに洞窟があった。

 それらすべてを一望するは、双頭の大蛇。

 左の蛇は逆巻く激流をまとっている。空に向かって流れる滝のような、人智を超越した見目であった。

 右の蛇は荒れ狂う雷光を従えている。骨が透けるほどに身体が明滅し、湖面が雷雲と化したかのように光っていた。


 災厄をもたらす水神と雷神のような、圧倒的に不吉な存在感。

 店主とプレットは不幸のどん底にあるような震え声で言う。


「あれが、ヌシの『水雷蛇すいらいじゃ』……! まずは水蛇が水のブレスを浴びせて濡らしたあと、雷蛇が電撃のブレスを吐いてくるんです!」


「すでに、この山全体が濡れてる……! もうどこにも逃げ場なんてないっ! あとは感電死するしかないんだ……!」


 「「うわぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!」」と泣きながら抱きあうふたり。


 大蛇は身体をくねらせ湖から這い上がり、山道を登ってくる。

 地響きをともなうその様は、まるで斜塔が動いているかのようだった。

 プレットと店主の心はもうペチャンコになっていたが、ユリアは違う。

 彼女はまるで、生態系を乱す外来魚を釣ってしまった釣り人さながらだった。


「迷惑千万! ならばせめて、美味であれ……! 骨まで食らおうっ! アレーテ・デ・ポアソン!」


 釣り竿を遠投するような、大上段からの振り下ろし。

 三日月型の剣圧がソニックブームとなって大地を引き裂き、雷光をまとう蛇の全身を音速の衝撃で打ち据えた。

 透けて見えていた骨が粉々に砕け、雷蛇の身体はぐにゃぐにゃに歪んだ。

 しかし崩れ落ちる直背に最後の力を振り絞り、稲妻のブレスを放つ。


 降り注いだ豪雷を、ユリアはまともに浴びてしまう。

 プレットと店主は黒コゲになった姿を想像し、「ああっ!?」と目を閉じていた。

 おそるおそる目を開けてみると、そこにあったのは……。


 黒炭ではなく、黄金。

 雷光をまとわせた剣を勇猛に掲げる、戦女神ヴァルキリーの姿であった。


「あなたの雷撃は、わたしにとっては静電気だ。わたしを焦がしたければ、焦げよ……! パリパリの皮っ! ポゥ・デ・クルスティアン!」


 紫電一閃。

 水蛇の逆巻くウロコが、迅雷のごとき剣閃で削り取られていく。

 グラインダーじみた火花が散り、水蒸気がたちのぼる。

 剣とウロコがこすれあう摩擦によって熱が生まれ、水蛇がまとう水を蒸発させていった。

 水蛇は最後の力を振り絞り、身体を激しくねらせ抵抗する。

 数秒前まで奔流の化身のような威容を放っていたのに、いまや水の羽衣を剥ぎ取られる天女のように無力な存在になっていた。

 やがて見る影もなくカラカラに乾ききり、ついに炎上。


 ……ギシャァァァァァァァァァーーーーーッ!?!?


 全身の皮がパリパリになったあと、麓に向かってどすんと倒れ、滑り落ちていった。


 ユリアはその後を追わない。燃え上がる剣を手にしたまま、頭上に浮かぶ月を見上げていた。


「夜は食べるのと眠るのに夢中で、いつも見忘れてしまうのだが……今日は名月だな」


 プレットと店主が彼女の背中ごしに見上げた夜空。

 そこには赤い月と銀の月、ふたつの三日月が掛かっていた。

 謎の美人観光客の正体を、酒場の店主はついに悟る。

 それだけで店主は、領主どころかヌシを前にしたとき以上に緊張してしまい、すっかり身を硬くしていた。


「あ……あなた様は、伝説の魔法剣士……『紅蓮の三日月バーニング・クレッセント』……!?」


 夜風に長い髪をなびかせる彼女から、短い答えが返ってくる。


「そう呼ぶ者もいるようだな」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 魚尽くしの晩餐とヌシの退治が終わり、村人総出での片付けまで済ませた頃には、空は白みつつあった。


「……どんなにおいしいお魚でも、調理の腕が悪いと死んだ味になってしまう。しかし、ちゃんと調理されたお魚は永遠となるのだ」


 ユリアの表情は、最初にふたりが出会ったときのものに戻っている。

 プレットは祭りの後のような、一抹の寂しさを感じながらも彼女の言葉をしっかり胸に刻み込んでいた。


「素晴らしい調理のおかげで、お魚はわたしのなかで生き続ける。わたしはこの味を、そして今日あったことを一生忘れないだろう」


 最高の思い出を抱くように、自らの腹部に手を当てるユリア。


「……ありがとう、プレット」


 その微笑みは、撃ち抜いた少年のハートをハチの巣にするだけでは飽き足らず、さらに粉々にする。

 プレットはもうユリアを直視できなくなっていて、耳まで真っ赤にして顔を伏せていた。


「それでは、わたしはそろそろ行くとしよう」


 ユリアが背を向けると、ドレスの裾が夜の幻が見せた妖精のように翻る。


「食べきれなかった魚はオリーブオイルなどで煮るといい。特にカツオはツナにすると絶品だぞ」


 妖精がくれた最後の言葉は、余った魚のおいしい食べ方であった。

 まるでいままでの出来事が魚屋での立ち話であったかのような、あまりにもあっけない別れ。

 名残も感じさせず離れていく背中に、プレットは魂の叫びをあげていた。


 ――こ……こんな、魚くさい別れは嫌だっ……!

 せっかく……初めて人を好きになったのに……!


 爪が食い込むほどに拳を握りしめる。オークと戦った時以上の勇気を振り絞って顔をあげた。


「す……好きだっ……!」


 それは生まれて初めての、そして一世一代の告白。


「ああ、ツナはわたしも大好きだ」


 しかし、背中であしらわれてしまった。

 少年はこの時ほど、自分が無力だと思ったことはない。

 できることなら、いますぐ大人になりたいと願った。

 しかしそれはできない。ならば、すべての思いのたけをぶちまけてやる。

 プレットは初めて遠吠えを覚えた仔狼のように、がむしゃらに吠えまくった。


「ゆ……ユリアさんっ! 僕はかならず、強くなってみせる! ユリアさんに認められるほどに! そして今度は僕がユリアさんを、お姫様抱っこしてみせる! そして……僕のために手料理を作らせて……いいや、作ってほしいっ!!」


 ユリアは悠然と山道を下っていたが、とつぜんの不意打ちを食らったように足がグキッとなっていた。

 プレットの視界から逃れるように、そばにあった大木にサッと身を隠す。

 背中を幹に預けたまま、高鳴る胸を押さえ込むように手を当てる。


「言われるまで、気がつかなかった……。わたしは、あんな美少年をお姫様抱っこして……。それどころか、手料理まで……」


 ドキドキが止まらないユリア。

 腰のポーチから白い革の手帳を取り出し、急きたてられるようにページをめくる。


 それは、彼女がとある魔法の村の雑貨屋で購入した『死体になるまでにしたいことリスト』、通称『したいしたいリスト』だった。

 ようは『バケットリスト』と呼ばれるもので、死ぬまでにしたいことをしたためておくのだが、目標が達成されると自動的にチェックを付けてくれるというスグレモノである。

 ユリアのしたいことリストは、『冒険』『食事』『交流』などとジャンルごとに章分けされ、丁寧な字でリストップされていた。

 すでにいくつかのチェックが付いているのだが、最終章にあたる『恋愛』のページは、まっさらなまま。


 『手を繋いでもらう』

 『後ろから目隠して「だーれだ?」と言ってもらう』

 『顎クイをしてもらう』

 『壁ドンをしてもらう』

 『浜辺で追いかけっこをする』

 『耳元で愛をささやいてもらう』


 などなどの少女チックな一覧の中心に、『お姫様抱っこをしてもらう』というのと『手料理を作ってあげる』というのがあった。

 ユリアはそれらの項目に刮目したが、チェックボックスにはシミひとつ付いていない。


「なぜだ……? なぜ、チェックが付かないのだ……?」


 その理由はすぐに思い当たった。


「そうか……。『した』のと、『してもらう』じゃ、ぜんぜん違うのか……。逆カプだと、別ジャンルになるのと同じで……」


 ユリアはクゥと唇を噛むと、涙をこらえるように天を仰いだ。


「タナボタで、ついに喪女から脱出するキッカケができたかと思ったのだが……」


 彼女はまだ気付いていない。とっくの昔に喪女から脱していることを。

 異世界の美少年のハートはすでに粉砕済みで、あとは粉薬のようにサッと飲み干すだけで両想いになれるということを。

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