01-06 食べる子は育つ
「き……来やがった……!」
耳をつんざく咆哮が落雷のように降り注ぎ、ペータは雷を怖がる子供のように縮こまった。
「あ……ああぁっ!? も、もう終わりだぁ……! この村どころか、俺もアンタも、なにもかもオシマイだぁぁぁ……!」
ユリアは天を仰ぎ、上空ではばたいている存在を見やる。
暗雲のように巨大なその存在と視線がぶつかったが、一切動じない。
「なんだ、飛竜か。なら、この武器がちょうどいいだろう」
飛竜を目前にしても変わらぬその口調。一縷の望みを感じたペータは、そーっと顔をあげてみる。
見上げた先には、刀身にメーカーロゴが入った小ぶりのナイフを構え、飛竜に突きつけているユリアの姿が。
それはまるで、一枚の宗教画のような光景だった。
女神と見紛うほどのユリアの美しさと、死神のごとき飛竜の恐怖があわさって、ペータはついに昇天する。
全身がビクビクと痙攣し、瞳孔は開きっぱなし、口の端からは乾いた笑いをもらしていた。
「は……はは……『なんだ、飛竜か』……だとよ……。それに、ちっぽけなナイフかよ……。や……やっとわかったぜ……。アンタはとっくの昔に、頭がおかしくなっちまってたんだな……」
狂気を肯定するかのような言葉が、ユリアの口から漏れる。
「飛竜なら、蚊よりも潰してきた」
しかし、それはまぎれもない事実であった。
現実の彼女は住んでいる部屋に蚊が出ても殺虫剤を撒いたりせず、誘導して窓から逃がしていた。
しかし、ユリアはそうではない。
異世界の彼女は……!
「大自然に育まれた、ありのままの角羊! その恵みの偉大さを思い知るがいいっ! ホーンクチーズ・グランドール・ダルパージュっ!!」
次の瞬間、ペータは目撃する。
舞い踊るような動作から投げ放たれたナイフが、天翔る羊となっていくのを。
ツノは鋭利な切っ先となって輝き、ひとすじの曳光となって天を衝いていた。
……ギャオォォォォォォォォォーーーーンッ!?!?
飛竜は何が起こったのかわからないような鳴き声とともに、空中で大きくのけぞった。
滞空を維持できなくなり失速し、きりもみしながら急降下していく。
上空では嵐が巻き起こり、雲が激しく渦を巻きはじめる。
飛竜が墜落した先は岩稜で、天剣のような岩峰にどてっ腹を貫かれていた。
逃げだそうと翼を暴れさせ、虚空を掻きむしっていたが、逆に深く埋没していく。
飛竜はあたり一帯を震撼させるほどに激しくもがいていたが、やがて動かなくなった。
串刺しになったその姿に、ユリアは自撮り棒を向ける。
「飛竜を串刺しにするのは久しぶりだったが、うまくいった」
「ま……まさか、狙ってやったのか……!?」
背後には、避難所から戻ってきた酒場の店主がいた。
「な……長年この村を苦しめてきた飛竜を、蚊みたいに倒しちまうなんて……! ま……まさかアンタ……伝説の竜殺し、『ドラゴン
「そう呼ぶ者もいるようだな」
ユリアは村を破滅の危機から救ったというのに、その自覚もなさそうに歩きだす。
「わたしはスライムを探しにいく。夜はまたおいしいお酒とお料理と、そして干し草のベッドを頼む」
「まっ、まってくれ! どうやったら、そんなに強くなれるんだ!? 俺も……アンタみてぇに強くなりてぇよ!」
呼び止められたその足が、ひと時だけ止まる。
「わたしはただ、自分の想いにありのままでいるだけだ」
「たっ……頼む、教えてくれ! アンタの『想い』って……!」
「食べる子は育つ」
「え」と呆気に取られるペータ。隣で聞いていた店主の目も点になっていた。
ユリアは踵を返すと、胸に手を当てて告げる。
「今のわたしは誰よりも強い。なぜならばわたしの血肉には、この村のチーズが宿っているのだから」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
現実の時間で週明けとなる、月曜日の朝。
百合へと戻ったわたしはまず特区ステーションにあるシャワールームを借りた。
特区ステーションにはクリーニングのサービスもあって、脱衣所には先週預けておいたスーツとブラウスが届けられている。
あとは髪を乾かして、持ち込んでいた下着やストッキングと合わせて着替えて、メイクすれば準備完了。
先週のスーツをクリーニングに出し、特区ステーションをあとにする。
トローリーバッグを引いて、優雅な気持ちで地下鉄の駅へと向かった。
自宅に戻らずにそのまま出社、これがわたしの週末の過ごし方。
家にも帰らずに異国で遊び倒すなんて、昔のわたしには考えられなかったことだ。
普段はストレスまみれで、コンビニ弁当のうえに寝不足の毎日だけど、それらの負債はすべて清算された。
通りすがりの窓に映る、わたしの瞳はバカンスを楽しんだあとのようにランラン。
肌は極上のエステを受けたようにツヤツヤ。
でも駅に近づくにつれ、また辛く厳しい現実を5日間も過ごさないといけないのかと思い憂鬱になる。
ひと足ごとに自然と猫背になっていき、駅に着く頃には、いつもの喪女のわたしとなっていた。
わたしは満員電車を避けるのと、他の社員さんたちと会うのを避けるために、朝7時には会社に着くようにしている。
退社は早くても22時なので、毎日だいたい15時間くらい働いていることになる。
連日の激務を想像してしまい、ますます足が重くなった。
「……はぁ、今日はカフェラテにしようかな」
毎朝の日課として、駅前にあるコンビニで飲み物とお昼ごはんを買って地下鉄に乗る。
甘いカフェラテで一週間のやる気を出そうと思ったんだけど、コンビニの前にあった時計を目にした途端、回れ右して走り出していた。
わたしの走り方は独特らしく、回し車で遊んでるハムスターみたいにちょこまかしていると言われる。
笑われるのが嫌なので人前で走ることはしないんだけど、今はそんなことを言ってられない。
今日は特区ステーションでちょっとノンビリしちゃったせいで、いつもより1時間も遅れていることに気付いたからだ。
地下鉄に飛び乗り、会社のある駅に着いたのは朝の8時。
「ちこくちこく!」とホームに繋がる階段を駆け上がるわたし。
よく考えたらぜんぜん遅刻じゃない気もするんだけど、焦って走るあまり何度かすっ転んでしまい、会社に着いたのは8時半頃。
しかも会社の前にはものすごい人だかりができていた。あまりに多すぎて通りにはみ出しちゃってる。
少し遅れるだけでこんなに混むのかと目が飛び出しそうになったけど、よくよく見てみると、その大半がテレビカメラやマイクを持った人たちだった。
どうやらマスコミの人たちのようで、社員の何人かが呼び止められてインタビューを受けている。
わたしは柱の陰からその様子を伺っていた。
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