01-05 ありのままでいろ

 自警団の若者たちから「おおーっ!」と歓声があがる。

 ユリアは自撮りレイピアをベストショットの方向に構えたまま微動だにしない。


「あなたのナイフには殺気がなかった。だから避ける必要もなかった」


 そのどっしりとした姿勢は母なる大樹のようで、落ち着いた言葉はそよ風に揺れる梢を思わせる。

 あまりにも動じていなかったので、ペータのほうが逆に動揺する始末だった。


「は……ハッタリだっ! なんならこの首、かっ切ってやってもいいんだぜっ!」


 一触即発の雰囲気に、その場にいるユリア以外の全員が動けなくなる。

 スマホの画面に見切れていた酒場のスイングドアが、漂っていた緊張に風穴を開けるように開き、中から血相を変えた店主が転がり出てきた。


「た……大変だっ! 大変だぁーっ! も、モンスター警報だ! モンスター警報だぁーっ!」


 『モンスター警報』とは、特に危険なモンスターが確認された際に、その付近一帯に発令される警報のこと。

 特区における、災害警報のようなものである。

 すでに羊たちは不穏な空気を悟っていたのか、物陰に隠れて怯えていた。


 村はにわかに慌ただしくなる。

 店主は声高に避難所への退避を呼びかけ、村人たちもそれに従う。

 本来ならそれは自警団の仕事のはずなのだが、若者たちは自暴自棄になり、さらなるチンピラと化していた。


「クソっ! この村はもうオシマイだっ!」


「こうなったら荒らされる前に、好き放題するしかねぇっ!」


「おい、夜叉! 俺たちと一緒に来いよっ! 嫌とは言わせねぇぞ!」


 ペータの声と手元はすっかり震えていた。

 しかしユリアは動かない。激しく揺れる刃が喉に食い込んでも、眉ひとつ動かさずペータを見下ろしている。


「モンスター警報の種類は何なのだ?」


「ど……ドラゴンだよ! このあたりは岩山が多いから、砂浴びをしに来るドラゴンが5年にいちど来るんだ!」


「それはまずい」


「そうだろう!? 命だけは助けてやっから、俺たちといっしょに……!」


「ドラゴンに岩山に行かれてしまうと、探しているスライムが逃げてしまうかもしれないな」


「て、テメェ、なに言ってんだ!? ドラゴンが来てるってのに、スライムなんか……!」


「わたしにとってドラゴンは、スライム以下の存在だ」


「ふっ、ふざけるのもいい加減にしやがれっ!」


「それはこっちの言葉だ。あなたはこの村を愛し、チーズを愛しているのだろう?」


「はあっ!? いきなり、なにわけのわかんねぇこと言ってんだ!? テメェに俺のなにがわかるってんだ!?」


「あなたの使っているナイフは、チーズ職人が使うチーズナイフだ」


 ズバリ言い当てられ、「うっ……!」と言葉に詰まるペータ。


「武器は使い慣れたものがいちばんだと思って、それを使っているのだろう? すべては、この村のためを想って」


「そ……そうだよっ! この村を守りたくて、ガキの頃に自警団を作った! それがどうしたってんだ!?」


「なら、その想いを自ら汚すようなマネはしないほうがいい」


 ユリアの言葉は依然として厳しかったが、強い母親のようなやさしさが含まれていた。


「人の想いはチーズ作りにも等しい。はぐくむ過程によって発酵と腐敗に別れる。腐らせないためにはひとつしかない」


 ペータは思った。もうすぐドラゴンが来るという逼迫した状況なのに、なぜこんな問答をしているのかと。

 しかし不動心を貫くユリアに畏敬のような感情を抱きつつあり、尋ね返さずにはいられなくなっていた。


「想いを腐らせないためには……どうすればいいんだ?」


「ありのままにしておく。ただそれだけだ」


 その言葉は我が子に、人生でいちばん大切なことを言い聞かせるように決然としていた。


「他者の言葉は時に雑菌となり、想いを腐らせる原因となる。でもどんなに挫けた時でも、これだと決めた想いだけは疑わず、ありのままにしておくことだ」


 ふと先ほどの子羊が擦り寄ってきたので、ユリアはよしよしと頭を撫でる。


「この村の羊はすべてありのままだ。この村の人たちはみんなキズだらけだから、相当な苦労があるのだろう」


 多くの牧場では『除角』といって、羊のツノを切除して飼育している。

 理由としては、ツノで人間や他の羊などを傷付けてしまうことがあるからだ。

 羊のツノには神経も血管も通っているので、除角の痛みは計り知れない。


 しかし、フロマの村では羊にストレスを与えないために除角を行なわない。

 生まれた時から一切の手を加えずに育てているのだ。


「あ……アンタ……! そ……そこまで知って……!」


 ペータはユリアを侮っていた。昨日この村に来たばかりの、なにも知らないよそ者だと。

 村人の辛い想いなど、この村が歩んできた悲劇の歴史などなにひとつ知らずに、ただ綺麗ごとを並べ立てているのだと思っていた。

 しかし、ユリアは見抜いていたのだ。


「これだけの羊をありのままに育てられるのなら、たったひとつの想いがありのままで育てられないわけがない」


 「あなたならできる」と慈母のような微笑み。


「ありのままでいろ。その先には必ず良い結果が待っていると、羊たちが教えてくれている」


 向けられたオレンジの瞳はあたたかい輝きを放っており、ペータの心を包み込んでいた。

 ペータの脳裏には挫折の思い出が蘇り、ユリアの顔が滲みだしていく。


「だ……だけど……どうしろってんだよぉぉ……!」


 ペータは泣き顔を隠すように崩れ落ちる。


「ドラゴンは砂浴びのたびに、この村を襲うんだ! 家はみんなブッ壊されて、羊はみんな食われちまう! 作ったチーズもぜんぶダメにされちまうんだ! まるで台風みてぇになにもかもメチャクチャにされて、村は廃墟になっちまう! ガキの頃からずっとそうだ! オヤジやオフクロが泣きながら瓦礫を片付けてるところを見て育ってきたんだ!」


 涙と鼻水にまみれた顔をあげ、ユリアにすがった。


「それを少しでもなんとかしたくて、自警団を作ったんだ! ドラゴンをブッ殺してやりたい一心で、訓練したんだ! でも……でもよぉ……! あんな化け物に、勝てるわけねぇじゃねぇかよぉぉぉぉ……!」


 陽光が雲に遮られたかのように、ユリアとペータが大いなる影に覆われた。

 あたりに空が堕ちてくるような、重苦しい風が吹き荒れる。草木は引き抜かれんばかり逆立ち、髪の毛が頬を叩く。

 ユリアの肩越しに視線を向けていたペータの顔は蒼白になっていた。

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