「ノーストレス・ハンズフリー」

 現代社会において、ストレスはついて回るものだ。


 なぜかと言えば、他人がそこにいるからである。自分の思い通りに動かない人間、なにを考えているのか分からない人間――それが地球上にたくさんいる。


 すれ違うだけでも、相手が自分を見ているのでは? 今、睨んでる? なんて考えてしまう……、被害妄想であれ、火のない所に煙は立たぬのだ――そうして被害妄想をしてしまうきっかけは、やはり相手が与えたものである。


 人同士のいざこざは、実際に会わなければ回避できるのか? ――いいや? インタネットが日常に溶け込んでいるのだ、誹謗中傷、大したことないことでもすぐにクレームが入る……などなど、ストレスの原因だろう。


 実際に会わなくとも、厄介ごとは起きてしまう。

 だから実際に向き合うことは必須ではないのだ。


 口を開けば文句、文句、文句。顔を合わせれば同じく文句ばかり――、理由なく相手を陥れようとする者だっている。

 たとえば、声帯を取り除いたところで意味はないだろう。指さえあればキーボードを打つことができる。文字で意思を表現できれば、他者を攻撃することはできるのだ。


 なら、指なんていらないか。

 いっそのこと腕もいらない? じゃあ足も――四肢は必要ない。


 頭と胴体だけになったボディで――まだ脳はある。だけど浮かんだ文句を出力する術がなければ、人同士のトラブルはなくなるのではないか?


 声も出ず、文字も書くことができなければ、互いに睨み合いが続く……? そんな状態になってまで他者を攻撃するのであれば、もうなにをしてもどうしようもないのかもしれないな――。


 目もいらないか。鼻も、耳も――脳だけあれば生きていると証明できるか?


 心臓と、脳。それをワンセットとして、丁寧に保存しておけば、一応、人間を証明する肉体はないものの、しかし、生命体であることは証明できる。


 ノーストレスの生活。


 極めていけば、ここまでしなければ手に入れられない極楽である。


 まあ、ストレスもなければ喜びもないのかもしれないが。

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