第32話

 大丈夫そうなら帰って来るからねって言いつつ、大丈夫そうでもきっと泊まっちゃうんだろうって、思った。

 宗くんだけじゃなくて、辰さんも来てくれるみたいだから、うちの心配はしなくていいし。



 前日の夜まで元気だったたろちゃんが次の日の朝、目を覚まさなかった。二度と目を覚まさなかった。

 それを経験してるから、体調を崩している人をひとりにするなんてこわすぎてできない。



 政さんのマンションに足りないものはってあれもこれも持ったら、あっという間に大荷物。

 まるで家出人のようになりながら、ボクは行ってきますって玄関を出た。




 政さんに行くよって、言ってない。

 もしかしたら宗くんから連絡が行ってるかもしれないけど、ボクからは何も。



 マンションの来客用駐車場に車をとめて、ボクは預かっている鍵でオートロックを開けた。



 いくら最近通っていて、このマンションの人たちに多少ボクの存在が認知されてても、この荷物はどうかと思う。



 誰にも会いませんようにって、ボクはコソコソと政さんの部屋まで急いだ。



 本日二度目の政さんの部屋。



 まだしばらく政さんとは会わないと踏んで、こっそりベッドでをしたのに、まさか今日の今日で会うことになるなんて。



 ………どんな顔で会ったら。



 色々思うことはあったけど、政さんは病人って気持ちを入れ替えて、ボクはそっと鍵を開けて中に入った。



「ぬぅおっ………⁉︎」

「………っ」



 玄関からリビングダイニングまでの廊下を、電気をつけずスマホのライトだけで入って行って、隙間から光が漏れるドアを音を立てないよう開けたら、しっかりそこに政さんが居てお互いにびっくりした。



 半袖Tシャツにスウェットパンツ、洗いざらしの髪。



 初めて見るラフすぎるぐらいラフな格好の政さんに、ボクの心臓が飛び跳ねた。



 ………これでお腹さえ引っ込んでたら最高なのに。



 ほぼ自動的に出てきた思考に、いやいやいやいや何言ってんのボクって自分でつっこんだ。



 お腹さえ引っ込んでたらなのにって。



「むっ………宗から聞いた。すまない、わざわざこんな時間に」

「………い、いえ。辰さんが大丈夫って言ってたのに勝手に心配して来たの、ボクですから」



 バチッと目が合ったのに、お互いに何故かそらしあって、お互いに何故か少ししどろもどろだった。



 イケナイひとり遊びなんか、するんじゃなかった。気まずいったらありゃしない。

 ボクのバカって思ったところで、致してしまったことは仕方ない。



 政さんが大きくドアを開けてくれて、ボクはもうすっかり見慣れたリビングダイニングに入った。



「起きてて大丈夫なんですか?」

「大丈夫と言えば大丈夫だし、寝ていたいと言えば寝ていたい」

「そういうときは寝てた方がいいです」

「いやちょっと何か食べたいような気がして………」

「今日のご飯、食べられました?」

「………それが、その」

「無理だったでしょ?だから何か作ろうと思って、うちから色々持ってきました」



 持ってきた鞄をテーブルに乗せて、中からあれこれ取り出しつつ、何なら食べられそうですか?って聞いた。



 政さんは驚いた顔をしてて、政さんを少し見上げたボクを見た瞬間、その驚いた顔をくしゃって崩した。



 ちょっ………ちょっと政さん。アナタそんな顔もできるんですか⁉︎それちょっと反則じゃないですか⁉︎



 焦り過ぎて、持ってきたりんごを落としそうになった。



 どうしたってある、体調が悪い人特有の疲れたような、怠そうな、不安そうな表情に、ふわって広がった、安堵。



 ………かわいいとか、思っちゃうでしょ。そんなの。



「今日ボク泊まって行きますから、何でも言って下さいね………って、政さん⁉︎」



 それは、急だった。



 急過ぎて踏ん張ることができなくて、ボクは引っ張られるがまま、政さんの腕の中にぽすんとつかまった。



「なっ…何するんですかっ………⁉︎」



 密着した政さんの身体が熱い。思って以上にしっかり熱だ。



「何って、何でもいいんじゃないのか?」

「いいけど‼︎でもこれは何か違うでしょ⁉︎」

「違うのか?それはすまない」

「すまないって言うなら離して下さい‼︎」

「そう言わず、今しばらく頼む。嬉しいんだよ。こんな風に心配されるのは、まだ母上が生きていて、元気だった頃以来だから」

「………っ」



 政さんのその言葉に、ボクは言葉を失った。

 そんなことを聞かされたら。



 ボクは離してってジタバタしてたのをやめて、政さんにハグされるがままじっとした。

 それに気を良くしたのか、ボクは余計にしっかりと抱き込まれた。



 心臓が痛いぐらいドクドクしてる。

 こんなハイスピード、いつまでも持たないって。



「人肌のぬくもりとは、こんなにも気持ちよく、安心するものなんだな」



 小さい子が甘えるみたいな政さんの背中を、ボクは仕方なく、ぽんぽんって叩いてあげた。

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