第30話

 ………ムラムラする。



 ボクは大きく息を吐いて、大きなベッドが置かれているだけの寝室の床に、フローリングワイパーをかけ始めた。



 政さんは相変わらず忙しそうで、ずっと行きたかった『ギャラリー暁』に一緒に行ってから一度も会ってない。



 政さんのこのマンションはもう、ボクの好きにしていいという許可をもらった。

 もちろん、そう言われてるからといって政さんの物を勝手に捨てたりはしないしできない

 から、玄関からリビングダイニングは初めて来たときと変わらず物で溢れてる。

 でも、その溢れたものをある程度整理したり、掃除洗濯なんかは一回一回許可を取ることなく自由にやらせてもらってる。



 一回一回連絡をしなくなったから、特に連絡を取る必要もなくなって、電話もメールのやり取りもなくなった。

 ボクがメモ用紙におかえりなさいとお疲れさまですと、ご飯の説明をさらっと書いて、そのメモにごちそうさま、今日もうまかったって毎日同じ文言の返事が、宗くん同様めちゃくちゃ達筆で書かれて置かれてるだけ。



 ………政さんとボクは、それだけ。



『ギャラリー暁』に行った日、政さんがボクの運命の人って思った。



 でも、思ったところで。



 政さんのことが好きかって聞かれたら、ボクはきっとそこまで政さんを知らないって答える。

 政さんに、どきんとすることはあっても、よく小説や映画、ドラマなんかのきゅうううううん♡とか好き♡みたいなのははっきり言ってない。



 なのにそれを運命の人?



 うん。そう。

 好きかどうかに答えることはできないのに、運命の人っていうのは思う。



 一緒に居ると落ち着く。

 ここだって思う。この人だって思う。

 政さんの前でなら、どこまでもどこまでも、自然体で居られる。



 そして冒頭に戻る。



 ………ムラムラする。



 単純な欲求不満ですけど何か⁉︎

 でもひとりでするのは虚しく、『あの場所』に行くのはもうイヤで、じゃあコウさんにって、それもイヤだ。



 どうしよう。

 はっきり言って、



 政さんのにおいが残る大きなベッド。ここであの腕に、あの身体に抱かれたい。………お腹はもう少し引っ込めて欲しいけど。



 とか思っちゃうんだよね。自然に。勝手に。



 フローリングワイパーで床掃除をしていたはずなのに、ボクの視線は大きなベッドに釘付けで、手は止まってる。



 どうしよう、だよ。



 ボクはもう一度大きく息を吐いた。



 政さんはノーマルだ。

 でも多分………きっと………絶対、政さんは



 なんて言うと、自信過剰って思われるだろうから誰にも言わないけど。



 もう胃袋はつかんでる。ボクの家事スキルも政さん的に申し分ないはずだ。そして外見だって。

 ボクは男だけどそんなに男男していない。ならないよう気をつけて来たし、今も気をつけてる。そして顔もスタイルも悪くはない。

 さらに言えば、も、で大いに磨いた。



 なのにどうしよう。

 だからどうしよう。



 ボクにも現れて欲しかった運命の人。

 本当に現れてしまった運命の人。



『たろちゃん⁉︎たろちゃん‼︎たろちゃん‼︎たろちゃん‼︎』



 今も耳に残る、たろちゃんが目覚めることのなかった朝の、冴ちゃんの声。



『………たろちゃん』



 毎日毎日、たろちゃんを思ってこぼす冴ちゃんの涙。



 思い出して、身体がぶるりと震えた。



 ボクもいつか、たろちゃんと冴ちゃんのような運命の人と出会いたい。

 たろちゃんと冴ちゃんのようになりたい。

 そして、たろちゃんと冴ちゃんのように。



 ………なりたくない。



 なりたくないよ。心がひしゃげて潰れて壊れるような、あんな風には。



 ボクが必要以上に政さんに壁を作ってるのは、あの日の冴ちゃんのように、あの頃の冴ちゃんのようになるのがこわいからだ。イヤだからだ。



 ボクは政さんの枕を手に取って、その枕にそっと顔を埋めた。



 ………ああもう、ムラムラする。



 どうしていいのか分からなくて、ボクはしばらく、そのままでいた。

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