第16話

 政さんに何も買わさず出たら、そこにコウさんが居た。電話をしてた。

 自動ドアのすぐ前だったから、コウさんはすぐにボクに気づいた。



「りょうすけ先生、悪いけど10分ぐらいしたらかけ直すから、ちょっと待ってて」



 ボクを見て、電話の相手にそう言って切った。

 


先生ってことは、同僚の人。



 すぐにボクの頭に、今日見た若い男の保育士さんが浮かんだ。

 勘でしかなかったけど、『りょうすけ』先生って言ったから、多分そう。



「みの、こちらの方は?」



 電話からボクにコウさんの意識が移動して、さらにボクのすぐ横に居る政さんに移動した。



 コウさん。

 気づいてる?気づいてない?

 電話からボクへと意識が移動した瞬間、顔つきが変わった。

 


 仕事モードからプライベートモードになったと感じれば、特に疑問に思わなかったと思う。

 でも違う。違った。だから気になった。



 今コウさんは、『りょうすけ』先生にすごく柔らかい空気を出してた。

 何度も身体を重ねてるボクにさえ出さない空気を。



 と同じだね。コウさん。



 以前もそうだった。

 付き合うかってコウさんから言ったのに、コウさんの目はいつも、ボクではない誰かを見ていた。

 それが分かったから、ボクはボクでコウさんはボクのじゃないって。



 コウさんの視線が政さんに注がれてて、ボクはコウさんの視線を辿って政さんを見た。



 ………政さんは、ボクが昨日コウさんに死ぬほど抱かれてきたって知ったら、どう思うんだろう。



 急にこの場がこわくて、たまらなくなった。



「こっ…こちらは母の再婚相手の息子さんの政さん。小児科の先生です。政さん、こちらはボクの知り合いですぐそこの保育園で保育士さんをしてる、コウさんです」



 普通に。

 ごくごく普通にふたりにふたりを紹介した。できた………はず。

 その普通に、コウさんが少し顔を歪めた気がした。ボクののところで。



 実際の関係は伏せるにしても、せめて友人とか、いくらでも言い方はあるだろ?って、そんな顔。



 実際の関係は、肉体だけの関係。



 やっぱりこれは、政さんには知られたくない。



「こんばんは」

「どうも」



 ピリッとした何かが、ふたりの間に走った気がしたのは気のせい………じゃ、ないと思う。



「じゃあコウさん。ボクたちは失礼しますね」



 逃げるように言ったボクを、コウさんは逃してくれなかった。



「え?みの、帰るの?」

「………あ、はい。今ボク、政さんのご飯を作ってるから」

「ご飯を?」

「はい。ね?政さん」

「うむ。ほぼ毎日世話になっているな」

「………へぇ。みの、料理できるんだ?」

「何と。アナタは彼の料理を食べたことがないと?」

「………ええ、ないですね。残念ながら」

「それは残念だな。彼の料理はすべて絶品だ。一度食べたら忘れられない。ちなみに今日のメニューは?」

「それは見てのお楽しみなんでしょ?いつも言うなって政さんが言ってるじゃないですか」



 ピリピリ、ピリピリ。



 肌が痛いような空気だった。



 コウさんの顔でピリピリされると普通に怖いし、政さんは出会った頃はともかく、ここ最近はボクとふたりのときにこんな風には絶対にならない。



 ピリピリ、ピリピリ。



 そんな空気を出してるのはボクもだろう。

 コウさんとボクのことがバレないうちに、政さんとコウさんを引き離したい。



 そうだったなって、ほんの少し上からボクを見下ろす政さんの顔は、いつも通りの顔だった。



「行こう。腹が減った」



 ぽんっと、政さんの手がボクの背中を押して促した。そしてその手は、ボクの背中から離れなかった。



 ぬくもりが伝わる。政さんの。



 政さんは気づいているのか。気づいての行動か。

 ボクも、明くんほどではないけれど、こういったピリピリした空気が大の苦手。



 政さんの手のぬくもりに、肩に入っていた力が抜けた。



「まだいつもより早い時間だから、双子に会って行きますか?」

「良いか?もし良ければ顔を出したい」

「双子も喜ぶと思いますよ。政さん、抱っこ上手だから」



 コウさんとは、多分もう会わない方がいい。



 さっきの、『りょうすけ』先生への空気でそう思った。

 だから敢えて、少しコウさんをスルー気味にして、じゃあって頭を下げて行こうとした。



「みの」

「はい」



 また連絡する。



 睨むように、挑むように、コウさんの鋭い眼がボクをじっととらえてた。

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