口裂けの村

嶋田覚蔵

第1話 都会の怨恨 それはすべて森の中へ

 むかし、むかし。昭和と呼ばれたころの話じゃ。

 あるところに、口が耳までグァッと裂けた女がいたのじゃ。自分の顔があまりにも醜くいので、女は正気を失い、そのうち手当たり次第に人を襲うようになったのじゃ。住宅街のちょっと寂しい公園とか、路地裏の隅っこに隠れて居て、たまたま通りかかった小学生や女子高生に、口に大きなマスクをして近づき、

「ワタシ、キレイ」と声を掛ける。口裂け女は、腰まで伸びる黒くて長い髪。長身でスタイルもよく、大きくてまるで黒曜石のような、深みがあって、透き通るような瞳をしていたし、まつ毛もぱっちりで、素肌も、もちろん化粧は一切していなかったけれど、くすみのない。なめらかな肌をしていたのじゃ。

 それで口裂け女に声かけられた人が、「キレイです」と答えると女は「ニヤリ」と笑ってマスクを外す。そして耳まで裂けた大きな口でこう言うのじゃ。

「コレデモ…キレイ」

 当然、それを見た人たちは逃げ出そうとする。口裂け女は必死に逃げる人を、ハサミやナイフを逆手に持って追いかけたりしたのじゃ。

 日本全国どこでも口裂け女の目撃情報が警察に寄せられて、警察や自治会とかが協力して下校時間の子供を守ろうと頑張ったのじゃ。

 すると、東京の新宿区で、下校中の小学5年生の女子に声を掛けている長身の女を警察官が目撃したのじゃ。

 警察官が女に近づき、マスク姿の女に職務質問をしようとしたのじゃ。

すると、女は隠し持っていたナイフで、警察官に切りつけた。ひらりと刃をかわす警察官。そして拳銃を抜いて、女に向けて「止まれ、止まらないと撃つぞ」と叫んだのじゃ。

 それでも頭がおかしい口裂け女は止まらなかったんじゃ。ナイフを両手で握りしめると、そのまま警察官に突進したのじゃ。

 仕方なく警察官は女の肩を撃ったのじゃ。右肩を撃ち抜かれた口裂け女は、一瞬うずくまったが、撃った警察官をにらみつけ、

「コノ、ウラミ、ワスレヌ。イツカ、カナラズ、フクシュウ、スル」

 そう言うと、まるでつむじ風のような速さで都会の闇の中に消え去ったのじゃ。

 口裂け女がどこに逃げたのか、結局誰にも分からなかった。

 取り逃がしてしまった警察は、新宿の住民が大混乱を起こすのを怖れて、この事件を完全に極秘事項とすることにした。

 それから40年の月日が流れた。人々はすっかりこの事件を忘れていたのじゃ。


 令和X年 夏

  一台のSUVが、某県某所の山中で迷っていた。カーナビが突然故障し、クルマがまるで空を飛んでいるかのように画面で表示され、まるっきり信用できなくなってしまった。ほかに走っているクルマは一台もなく、案内標識も見つからない。走れば走るほど山の奥に入っていく感じで、人家も見つからない。

 運転している父親は焦っていた。このIT全盛の時代に山中で迷子になることなんかあるのかと。助手席に座っている妻は、ちょっと触れると爆発する風船みたいな顔になっていた。小学3年生の姉と、保育園の年中組の妹はさっきまでふたり揃って文句を言っていたが、今は疲れたのか大人しく寝ている。

 時間は夕方の4時30分。まだ明るい時間だけれど、あと数時間もすれば辺りはすっかり暗くなる。それまでに何とか脱出する手立てを考えなければ。父親はちょっと泣きたくなりながら、そんなことを考えていた。

 するとその時、水色のワンピースを着た若い女性が道路の端に立っているのが見えた。手に持っているカゴには、瑞々しい野菜がたくさん詰まっていた。

 こんな山奥でも、やっぱりコロナが気になるのだろうか。しっかりと大きなマスクをしているのが印象的だった。

「この辺の人ですか。じつは迷子になってしまって、近くの町まで行きたいんですが、道教えてもらえますか」

 父親は、できるだけ明るく爽やかなイメージで、相手に好感を持たれるように言った。

「いいけど、クルマでもずいぶん遠いですよ。1時間はかかるかな。それに、結構分かりにくい道だから、もう一台別な車で先導してあげたほうがいいと思うの」

 たしかにタバコ屋を見つけたら左に曲がってとか、普通なら説明できるのだろうが、周囲は木ばっかりで、目印になりそうなものは何もない。口頭で説明されてもきっと理解はできないだろう。

「すみません。そうしていただくと助かります」

 父親はこの親切にすがるしかないと思った。

「じゃあ、私たちの村に行きましょう。誰かいるといいけど」

 女性は「ついて来てください」と言うと、ワンピースのすそをなびかせて、タタタタッと駈け出した。父親はゆっくりとクルマを始動させてついて行く。

 数分間走った先に、小さな集落があった。助けてくれるという人の村を悪く言うのは気が引けるが、正直「ほったて小屋」という感じの家が数件、周りの木々に守られながら建っていた。村の人たちが何人か出てきた。驚いたことに、みんなとても若い。年長の人でもせいぜい30代。ほとんどの人が10代~20代。男も女もスラリとした長身で、美しい人ばかりだった。子供もとにかく大勢いた。そしてやはり今般のコロナが怖いのか、ほとんどの人がマスクをしている。こんな山奥なら心配ないだろうに。もしかしたら「よそ者」が来たから警戒しているのかも。そんなことを父親は感じていた。

 一軒の家に案内されて、「ここで休憩していてください。準備を済ませますから」と言われた。はっきり言ってぼろ屋だったけれど、なかは畳敷きで丁寧に掃除されている感じだった。これなら、いちいちうるさい家族たちも文句は言わないだろう。と父親は思う。実際、子供たちはふたりともテンションが上がったのか畳に上がって走り回った。母親は疲れたのか、少し元気がない。

 父親は部屋の片隅に布団が置いてあるのを見つけて、「少し休んだら」と母親に言うと「うん」と返事が返ってきて、母親は床を延べて寝てしまった。

「冒険に行こう」

 妹が目を輝かせて父親に言う。大好きなアニメのロケーションとちょっと似ているから、気に入ったらしい。

「そうだな。家の周りくらいなら、ちょっと探検しても大丈夫かな」

 父親もケータイがつながらないこの山奥でどうして時間を潰そうかと考えていたので、その提案に乗ることにした。姉もついてくると言う。

 家の外に出ると、林の向こうから川のせせらぎが聞こえる。夕方になっても蒸し暑い夏の日だった。水の音に心ひかれて、親子は林をぬけた。

 するとそこは、川と岩と、森の緑が織りなす絶景の世界だった。そしてさらにはふたりの女の子。中学生くらいのおそらく双子だろうか、よく似た顔をした女の子たちがいた。

 ふたりは同じおかっぱ頭で、おそろいの金魚柄の浴衣を着ていた。それで空中を泳ぐみたいに器用に、川の石場を渡っていく。草履履きなのに滑らないのが不思議なくらいだ。

 姉も妹も都会っ子だから、物怖じしない性格なのだけれど、双子があまりにも美人なのと、不思議なオーラを発しているのを感じているのだろう。気圧されている感じだった。

 双子のマスクをしている方の女の子が声を掛けてきた。

「美佐子おばちゃんが連れてきた人たちじゃろ」

 父親はドキリとした。美佐子というのは母親と同じ名前だったからだ。

 しかし、もしかしたら村まで案内してくれたワンピースの女の人が、母親と同じ名前「ミサコ」なのかもしれない。父親はそう尋ねてみると、マスクをしていない双子のひたりが、ケタケタ笑って「違うよ」と言った。

「あの人は、怜ちゃんじゃ。私たちの姉ちゃんじゃ」

「じゃあ、キミたちが言う美佐子おばちゃんというのは、ボクたちと同じクルマで来た…」

「そう、それが美佐子おばちゃんじゃ。おばちゃん。20年くらい前に『都会の人と結婚してくる』って言って村を出て、やっと帰って来なさったんやて」

 マスクをしている双子のひとりが説明してくれた。

「この村はとっても閉鎖的でな。親戚同士で結婚することが多いんじゃ。でも、それはとてもよくないことらしくてな。美佐子おばさんは新しい血を求めて都会へ行ったんじゃ」

 父親は背中を冷汗が伝うのを感じた。母親の出身地とか家族のこととか、あまり彼女が話したがらなかった。それで今まで、ほとんど聞かないでいたからだ。双子たちの言うことは、今までの現状とあまりにも合致していたのだ。

「なっ。だからこれからは、みんなもここで暮らすんじゃ。みんなと暮らして家族をもっと増やして、大ババさまの願いを叶えるんじゃ」

 マスクをしていない双子のひとりがニコニコしながら衝撃的なことを言う。父親は頭の中が、うまく整理できずに言葉をうしなってしまった。

「大ババさまの願いって何よ」

 姉が怒った声で言った。そんなワケの分からないことに巻き込まれたくない。そんな思いを強く発していた

 するとマスクをしている双子が、なだめるように言った。



「大ババさまは、むかし新宿というところで警察官に肩を拳銃で撃たれたんじゃ。大ババさまはその時とても貧乏で、お医者にケガを診てもらうことができなかったんじゃ。それで、そのケガからばい菌が入って、大ババさまは右腕を切り落とさなければならなくなったのじゃ。それでも医者にはかかれない。自分で大ババさまは右腕を切り落としたんじゃ。止血が自分ではうまくできなくて、大ババさまは死にかけたのじゃ。それを大ジジさまが助けてあげたのじゃ。でもな、大ババさまはむかしはとても美人じゃったというのに、かなり醜い姿になり果てた。それでな大ババさまは誓ったんじゃ。『私を撃った警察官を絶対に許さない』とな。それでひとりじゃ何もできないから、大ジジさまと協力して、子供をたくさん産んだのじゃ。その子供たちもたくさん子供を産んで、ウチの村は、今や60人も人がおる。これが100人になったら、警察官にあだ討ちに行くのじゃ」

「バカじゃないの。今どきあだ討ちなんて。それも村の人間全員でなんて。そんなバカなことはあきらめて、普通に社会と交流すればいいじゃない。それと、私たちは家に帰りたい。それに、アナタたちのあだ討ちにも関わりたくない」

 姉はかなり怒った顔をしているけれども、きちんと頭の中を整理していて、言いたいことをきちんと言い返した。父親は姉が大人に成長していることをうれしく感じた。

「へへへへっ」とマスクをした双子のひとりがヘンな声を出して笑った。

「私たちはこんな山奥にしか住むことができない。ほかと交流なんかできるはずがない。だって私たちは大ババさまの血を継いでいるから、ふたりにひとりはこんな顔で生まれてくるんだから」

 そう言うと、マスクをしていた双子のひとりがマスクを外した。

 すると、耳までグァッと裂けた口が現れた。

「キャーっ」

 姉と妹が思わず大声をあげる。父親は足がすくんでしまって動けない。こんな時男っていうのは、あまり役に立たないものだ。

 その時一台のSUVが走ってきた。運転しているのは母親だった。

「早く乗って。やっぱりこんな村ではみんなは暮らせないわ」

 母親に声を掛けられて、我に返った父親と娘ふたりはあわてて車に乗り込んだ。

 猛然と走り出すクルマ。双子はその後ろ姿を見送るしかない。

「逃げられちゃったね」

 普通の口をした双子のひとりが言う。

「逃げられちゃったね」

 口が裂けた双子のひとりが言う。

「でも、あの姉妹のうちどっちかは、大人になるにつれて口が裂けてくるはずなんだ、そしたら、普通に都会で生活するわけにはいかなくなる。だから、きっとそのうち村に帰ってくるはずだよ」

「ククククくっ」

「へへへへへっ」

 金魚の浴衣を来た双子たちはまた楽しそうに岩場を渡りながら笑う。

そしてふたりで歌いだす。

「無駄にあがいて何になる」

「ジタバタしても何になる」

「口裂けの血は消せはせぬ」

「そのうち口は裂けてくる」

 双子の笑い声が沢にけたたましくこだましたのだった。

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口裂けの村 嶋田覚蔵 @pukutarou

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