第9話
小野の期待はすでに失望へと変換されていたのであるから、その時のことを彼は冷静によく覚えていた。
「あの、みかん(彼女のことである)さんの服装も教えていただけますか?」
「黒のワンピースで向かいます。まだ時間かかるのでK屋の前で待っていてくださいね」
その時失望が全くの見当違いな気がするのを感じ、しかしまた失望が訪れた。このような起伏の激しい感情にも慣れてしまえば冷淡に対処できるといったものだろう。「待っていてくださいね」と言いつつ、遠目から小野自身を見て、彼女のタイプでなければ「もう少し時間がかかります」だとか言って、そのまま約束すらもすっぽかして連絡も途絶えてしまうのが落ちである。その場合、このサイトに訴えても何の効力もないことは考える必要もなくわかりきったことだろう。それはこのサイトにいるサクラの仕業なのであるから——。
小野は眠たい体を奮いたたせて、また少し意識を取り持つような恰好をとっていた。目を見張って、目の前の風景を凝視しながら、どうにか眠気を抑えて、次の連絡がくるのを待っていた。
しかし、もうすぐ来る、もうすぐ来ると繰り返し思って、毎度のこと「待っていてください」と言われながら、延々待ちぼうけを受けてきた経験から、そこにいる男に集中力も何もなかったといえる。ぼうと正面の花屋を見て、通りにいる女性にこのみかんという彼女ではないかという不思議な意識が彼を端から見ては変な人間に仕立てていることは言うまでもなかった。
——どのくらいたっただろうか。小野にはもはや時間がたつことなどどうでもよくなっていた。もう来るのか来ないのか。はっきりさせる必要があると思い、意気込んで携帯を覗くと、気づかないうちににメールが受信されていることに気づいた。
「あの、K屋のまえにいますか?」
内容を見るなり小野は顔を上げて周りを少し伺った。駅前の往来だけが小野の目には映っていて、そこには何もない風景がただあるだけだった。小野は失望したその心持がそのまま維持されることになぜか安堵した。彼は待ち続けることに充足感を覚えていた。それは一つの美徳であったかもしれない。けれども次の瞬間その美徳はことごとく壊されていくことになった。
小野は少し横に目をやると、身長の低い少し太めの女性がこちらをチラチラとみていることに気が付いた。明らかにあのサイトの写真の人物とは違っている。しかし黒のワンピースを着て、小野を認めて何か言いたげに近づいてくるが、なんとも声をかけづらそうにしているのが分かった。小野は目をそらした。そして彼女も同じようにしたが、意を決したのか彼女から切り出してきた。
「あの、蛭さんでしょうか?」
「ええ」
小野はなるほどと思っていた——。
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