第5話
はじめ1万6千個と聞いて、食堂では感極まった。青山さんがまずもうやってらんないよなあというと、周りは静まり返る。この人は仕事をしたくない質だから、必ずやらない方法を探す訳だ。
「こうなったらみんなで一緒にやめようぜ」 というのが彼の答えだった。
佐伯が高笑いをして答えたが、冗談であることはみんな承知であった。
「それはやばいですね」小野が言うと、
「面白い」と佐伯がなんとも言えない笑い方で答えた。
小野は佐野さんがにこやかにしているのを見ながら少し談笑にふけると時間が来た。
「行くか」だとか気合を入れるかのように押忍と叫ぶような輩もいる。
倉庫内の構内職員はほとんどがアルバイトで、手に職のない、知識もない人ばかりだ。ベージュの紙箱をただ仕分ける、ただ運ぶ、それだけの仕事になんの危険もないし、なんの技術もいらない。ましてや難しく考えることもない。決まりきった作業が延々続いていくだけだ。一生がここにあるだろうか? それは小野にとって考えるだけ無駄なことだが、仕事と割り切ってしまえば金を得る手段としてはひどく楽な世界であることは間違いなかった。
朝焼けが東京都心からやってくる。H駅3番線ホーム7時29分発特急あずさ1号に乗るために、息も白く現れる早朝の小野は東京の西にして割とこの大きな駅でプラットホームをゴムグリップのよく効いたトレッキング用の簡易な靴で足音をなにか小さな鳥の鳴き声のような音をキュッキュッと言わせながら歩いている。
C線は幾度となくT行が3番ホームを通過したけれど、あんな関東平野の隅っこまで平日の朝から出向くような人がこんなにいるのだろうかと、思わされるほど人通りが多い。乗る人がいれば降りる人もいる。特に意識して考えたこともないから、それは水の流れのような出来事である。残像が幾度となく通り過ぎて、小野はまた時間の中に取り残された。
プラットホームとは不思議なもので、このとき特急券を買いに早めにH駅まで訪れた彼は、たしかに券を購入してから半時ほど何をするでもなく待つことしていたわけだ。別段隣の人が何者であるだとか、目の前の歩く人たちが知り合いというわけでもない。彼はその駅で何者でもない人間たちを見ていたわけだが、そんな彼もやはり傍から見れば何者でもない人間だった。待つという行為の中に、なにとも関係しない空白の時間がそこにはあった。逆に言えば小野はその時、時を止められていたのである。
券を見ると8号車5番とある。やがてあずさ1号が入線してくると彼はプラットホームの端にある停車位置を探して歩き始めた。
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