第93話 社会復帰への第1歩

心臓の鼓動が嫌でも伝わる。

春とも初夏ともいえぬこの時期に大汗をかきながら美容院へ向かっているところだ。

びちょびちょの首周りを見て変に思われないだろうかと心配になり、それがまた汗の原因となる。

地図アプリ頼りにお店を見つけた。

ガラス越しに見えるのは店内だけでなく店員さんも全員が派手だった。


……私にとって社会復帰への扉を開ける。


「いらっしゃいませ!」

「○時に予約している○○と申します」

「○○様ですね。こちらをご記入いただきお待ちいただけますでしょうか」

「はい」

……勉強になる自然な笑顔だ。

カウンセリングシートを記入し、受付の方に提出すると席に案内された。

鏡越しに店員さんやお客さんを見渡す。

この時点で襟足の髪の毛は汗でヒタヒタになっており、おでこから汗が垂れてくる。

「お待たせしてすみません!担当させていただきますカズと申します。よろしくお願いします」


……やっぱり大丈夫だ。よかった。

触れられたり目が合った瞬間など時折、その人に【憑いている】ものがうつってしまうことがある。自分以外、このことは知らない。


私が指名したカズさんという女性の美容師さんは真っ先に私が暑そうなことに気付いてくれ、

お手洗いに行くか聞いてくれた。

「大丈夫です、汗っかきで。首周りとかびちょびちょで汚くてすみません、本当に」

「日中は暑くなってきましたからね!良かったらドライヤーの冷風あてましょうか?」

「すみません、お願いします」

カウンセリングよりも先に冷風をあてられる始末に少ししょんぼりしたが、とても気の利く方ですごいなぁと感心した。

「涼しくなりました、ありがとうございます」

「良かったです!」

改めてご挨拶をしてカウンセリングを始める。

約5年もろくにカットをせずセルフカラーをしていたことに目を丸くして言葉を失っていた。

……そりゃドン引きするよな、、、。

と、思っていたらそうではなかった。

「これを...セルフカラーで...。え?」

「はい...」

「美容師になれますよ!!!」

「え?」

「しかも髪が強い!ブリーチする時に頭皮が痛くなったりしませんか!?」

「いえ、全く...。冷たくて気持ちいいなって」

「すごいですね!髪質は私と似てます!お悩みの気持ちもわかります!いやでも本当に私こんなに綺麗なセルフカラー初めて見ましたよ!」

「そうですか?」

「大抵みなさん失敗というかムラになったりして直しに来られるんで!何で美容師にならなかったんですかぁ~」

……なぜか残念がられた。


「パートで働こうと思ってて、髪色を暗くしたいんです。長さは結べるようにこのくらいで」

「えー!暗くしちゃうんですか!職場は暗い色の決まりなんですか?勿体ないー!」

「これから仕事を探すんですけど面接でピンクの髪はさすがにまずいので」と笑って返す。

「そうですよねぇ...。髪色自由な職場になったらまた派手にしましょう!」

「そうですねっ」

カズさんが少し髪が伸びた私の頭頂部を見る。

「地毛が真っ黒じゃないですね?少しグリーンが出やすいのかな?ブルーがかった茶色っぽいので黒染めじゃなくてトーンを下げたカラーで暗くするのはどうですか?アッシュがかって逆に地毛に馴染んで綺麗だと思うんです!」

「お任せします!」

言いたきこと伝えたきことが阿吽の呼吸のようにすっと落とし込まれていく。


カット、カラー、トリートメント。


全てをカズさん1人が対応してくれるわけではなく別のスタッフもヘルプに入るのだが、みんな明るくて素直そうな人達ばかりだった。1人だけ少し気になる女の子がいたが、その子は私のヘルプにつくことはなかった。

カズさんは私と同い歳だということがわかり、私が2児の母親ということに驚いていた。

「私が学生の時にはお母さんをもうされていたなんて、尊敬しかないです、ほんとに」

「今度、子供たちのカットもお願いしてもいいですか?」

「ぜひぜひ!連れてきてください!」

こうして最後の仕上げに入り、鏡で後ろ姿を確認する。

「仕上がり、いかがですか?」

少し不安そうな顔をするカズさん。

私は今にも泣きそうなくらい感動していた。

「全てが最高です...ありがとうございます!」

「よかったー!内心めちゃくちゃ緊張しましたよ!5年ぶりを任されるのは!」と笑う。

「プレッシャーかけてすみません。こんなに素晴らしい美容師さんに出会えてよかったです。これからもよろしくお願いします!」

お会計をして見送りをしてくれる。


ヘルプの人が来る度に汗が出てしまったけれどカズさんなら大丈夫だ。カズさんが美容師である限り、私はついていこうと思った。


家に帰り大変身したママを見た子供たち。

「まま、かーいー」ぎゅぅー。

次男が宇宙語でママ可愛いと言って抱きしめてくれた。ちなみに次男は女好きである。長男はそういうところはシャイなので私と次男のやり取りを見て笑うくらいに済ます。



よしっ。

次は仕事を探すぞ!!



まだ陽の力は働いている。

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