第33話 高校生 8
母に脳腫瘍が見つかった。
運良く良性だったが、
運悪く場所が悪かった。
良性だがこれ以上に腫瘍が大きくなると危ないらしいので取り除く手術をする事になった。
母方の祖父、きみしろーも脳卒中でしばらくの
植物状態を経て亡くなっている。
母は子供の頃、何度か急に意識がなくなり倒れて、目が覚めるということがあった。
恐らく生まれつき腫瘍があり今の大きさに至るのではないか、ということだ。
目の前で愛娘が倒れても、微動だにしなかった
きみしろーはやっぱり変人だと思う。
医師が前のめりに執刀したくなるような場所に腫瘍は出来ていた。
「うちで手術しましょう!」目をギラギラさせて言ってきた医師を母は気に食わなかった様で
別の病院を紹介してもらい、東京女子医科大学に入院することになった。
心配性の祖母。
母が大好きすぎる父。
落ち着こうとしながらも明らかに不安にかられているのが見てわかる。
母は【ちょっと変わった人】なのだが
私も大概である。親子揃って
「こんな機会ないから手術してる所見たいよね」
と話しているのである。
もちろん母は手術中寝てしまうので、後から手術の様子をビデオで欲しいとまで言っていた。
丁重にお断りされるに決まっている。
私も採血されているところを凝視したり、
医療ドラマは内臓がリアルに近ければ近いほど
見たくなる。それ押してんのかよっていう心臓マッサージをするドラマは萎える。
警察24時系の番組も見逃さない。
なぜなら【いつどんな時でも対応できる】ように自分の中に覚悟をしているのだ。
ニュースを見ていると、いつ自分の目の前で誰が何が起こるかわからない。そんな時に自分が出来ることを普段からイメージしている。
もし、目の前で人が倒れたら。
もし、目の前で人が車に轢かれたら。
もし、目の前で……
そういえば小学生の時、よく遊んでいた公園の
木が茂る場所で縊死した方を遠目で見てしまったことがある。まだ警察が来る前で野次馬が集まっている所だった。
なんとも言えない気持ちになった。
その人は楽になれたのだろうか。
手術に絶対はない。
リスクが0ではない。
母も私も理解していたからこその会話なのだ。
母が入院してから学校終わりに兄と駅で待ち合わせをして病院へ向かっていた。
手術の前は水分も含め胃を空っぽにする。
飲むことも出来ないのでさぞかし暇だろう。
「手術終わるまで待ってなくていいから。あんたたちは見送ってくれたら学校に行きなさい」
母はそう言った。
ドラマではみんなソワソワしながら手術室のランプが消えるのを待ち遠しく見ているが、兄と私は学校に行くことにした。
手術当日、予め軽く麻酔が入っている母は
ベッドごと手術室へ移動する。
「だあ、いっへううへえー!」
……じゃあ行ってくるねー!と言ったらしい。
病室には入ってこなかったが、父方の祖父母が
少し離れた廊下の角から手を振っていた。
気を遣うだろうから、と遠くで見ていた。
朦朧とした母も祖父母が立っていた事だけは
鮮明に覚えていたらしい。
遅刻で学校に着いた。
こなきに「遅刻なんて珍しいな、どうした」と
聞かれたので
「母の手術を見送って来ました」と話をしたら
「待ってなくていいのかよ!え?大丈夫なのお母さん」と、家族よりもアタフタしている。
「母が学校に行きなさいと言うので」と説明したら、いいのかなぁというような顔をしていた。
手術は無事に終わった。
兄と待ち合わせて病室へ向かう。
そこにいたのは頭のてっぺんから前が坊主で
後ろ髪だけ長く残り、江戸時代の刀でやられた落ち武者みたいな母だった。
頭は固まった血が付き縫い目には医療用だろうホッチキスがされていた。
そして、麻酔が切れて目が覚めてから絶食による強烈な吐き気と戦っていた。
母は毎日お酒を飲んでいたので術後の予後に影響が出るとは聞いていた。
母の横には嘔吐物、といっても胃液しか出ないのだが、それを受ける器を持ち合間に背中をさすることしか出来ない状態の父が立っている。
「気持ち悪い」
2、3日はその言葉しか母から発せられない。
術後も水分を摂ることが禁止されている。
「水か麦茶かりんごジュースならこれくらい飲んでいいですよ」
やっと水分を摂ることが許された。
りんごジュースを飲む母の姿が忘れられない。
私は今もりんごジュースを飲む時はあの時の母を思い出し、有難く感じてしまう。
私が兄より先に1人でお見舞いに向かった時、
誰もいないロビーの隅で牛丼を食べている父がいた。
「パパ、なんで牛丼2個食べてるの?」
「ママが牛丼食べたいって言うから買ったんだけど、まだ胃が受け付けないみたいで食べたい気持ちと量が合わないんだよ。3口だけ食べてもう要らないって言うからさ。1個食べてよ」
そうして2人で牛丼を食べる。
「昨日はお寿司が食べたいって言うから買っていったんだけど、2貫しか食べなくて。俺太っちゃいそうだよ」
「最初から買う量ママの分だけにしなよ」
「でもどれくらい食べるかわからないしさ、量も種類もあった方が今は嬉しいでしょう?」
「そうだね」
父は物事を深く考えるタイプではないので普段は母から文句を言われがちだが、
本当に優しい人なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます