第21話 湖畔の散策、前編
ファーストキス大作戦。星の瞬きが水面に映る湖畔でロマンチックなキスをする。
その前にアベラルドを魔術陣に誘導し、呪いを解くことになった。決行は夜、空に星々が現れたあとだ。ミルヴァナはそれまで湖を楽しむことにした。
「奥様! 泳ぎましょう!」
「んあい! およぐ!」
ミルヴァナは湖畔の別荘に着くなり荷解きを始め、最初に水着を取り出した。
「これが王都で流行っている水着でございます!」
「ほわああぁぁ! かわいぃ!」
「オフショルダーワンピースです!」
「わーい! ピンク!」
貴族女性の間でプライベートプールを楽しむサロンが最近誕生した。殿方を排除して肌を露出し、自由に振る舞うことが受けて大流行していた。本来なら男性の居る前で水着を着ることは想定されていない。しかし、そんなことは四歳児と元サキュバスには些細なことだった。
「ミーナはみずいろ!」
「はい! ビキニという水着でございます」
「「くふふふっ」」
「いっぱい遊びましょうね!」
「あいっ!」
ミルヴァナもステファニーも我慢が出来なかった。荷解きもほどほどにすぐに水着に着替え始める。すると、部屋の外からフィリップの声が聞こえてきた。
「奥様、旦那様が湖畔を散策しようと仰せです。いかがいたしますか?」
ステファニーとミルヴァナは急いで水着を着用すると、フィリップに入室許可を出した。
「はいっていいよー」
「では失礼しまっ――……、は?」
フィリップは二人の水着姿を見て固まってしまった。破廉恥極まる光景に頭痛がする。当の本人たちは、さあ可愛いと言え、さあ讃えろと言わんばかりの顔をしていた。非常にうざい。フィリップは強く眉間を抑えて怒りをコントロールした。イライラする気持ちを脳天から必死に追い出す。フィリップの不穏な様子をものともせず、ミルヴァナが照れながら促した。
「どうかしら? 水色にしてみたの」
「問題はそこじゃないっ!」
「ステフはね、ステフはね、ピンクなのー!」
「ああぁぁ〜、どこから突っ込めばいいんだ……」
「可愛いのにね」
「ねー」
フィリップの受けが悪いので、ミルヴァナとステファニーは不服そうに漏らした。そんな二人にフィリップが説教を始める。
「そんな格好を旦那様がご覧になったら――」
「なったら?」
「……」
「フィル?」
「フッ、面白いことになるな」
フィリップが嫌らしく笑った。
「おいたんにみせるー!」
ステファニーが水着のまま廊下に出ようとするのを、フィリップが制止した。
「それは後にいたしましょう。これから旦那様と散策の時間です」
「さくさんってなに?」
「お散歩ですよ」
「わーい! おさんぽ」
ステファニーとミルヴァナは水着の上から洋服を着ることにした。これで何時でも洋服を脱ぎ捨てて、湖で泳ぐことが出来る。ミルヴァナはいつものお仕着せだが、ステファニーにはミルヴァナ一押しのリゾートファッションが用意されていた。昼下がりの湖畔散策には、白のミニワンピと決まっている。ミルヴァナの見立ては今回も大当たりだった。白百合のように清楚で、かつ可愛らしいステファニーが誕生した。
「おーいーたーん! おさんぽしよ!」
ステファニーが駆け寄ってくるのを見て、アベラルドは我が目を疑った。光の妖精が舞い降りたと思ったのだ。白一色のレースが霞むように肌を包み、日の光を鈍く反射する。金の髪が軽やかに揺れると、遅れて白い裾が波打つように跳ねた。跳ねた裾はどこまで上るのか。その先のさらに奥には見たことのない夢が詰まっている――
「ハッ!!」
「おいたん?」
アベラルドは一時の夢を見ていた。ミニスカートの園に魅せられていたのだ。
「な、な、な、なんでもないっ! き、今日も可愛いな、ステファニー。さ、さ、散歩に行こうか!」
「あいっ!」
次の瞬間、アベラルドの脳裏にかつてのステファニーの台詞が蘇った。
――「ステフ、ぱんてぃはかない」
――ぱんてぃはかない
――ぱんてぃはかない
(ノオォォォォォパンティィッ!!)
アベラルドはカッと目を見開いて、ステファニーのミニスカートを凝視した。この奥に、まさに秘密の園が眠っているのだ。アベラルドは興奮した。
それと同時に他の者に見られるのではないかという恐怖が彼を襲った。そんなことは許されない。散歩中、風が吹かないとは限らないのだ。アベラルドは人払いを徹底することにした。散歩を中止にせず、ちゃっかり自分だけミニスカを楽しむつもりなのだ。むっつりとしか言いようがない。
「散歩は俺とステファニーだけで行ってくる」
「お待ちください。旦那様」
止めに入ったのはフィリップだった。彼はステファニーが水着を着ていることを知っている。四歳児の思考は、いつ湖へ入っていくか予想出来ない。ステファニーもミルヴァナも泳げるかどうかさえ怪しいのだ。いくらアベラルドと一緒とはいえ、水着姿のステファニーに気を取られて使いものにならない可能性も十分考えられた。使用人を伴わないのは危険行為だ。
「なんだ?」
「湖畔には危険もございます。必ず供をお連れください」
「大丈夫、ただの散歩だ」
アベラルドは折れない。フィリップはアベラルドの耳元で囁いた。
「作戦決行は夜でございます。昼間に何かあっては遂行出来ません」
「ぐぬぬっ……」
ファーストキス大作戦を引き合いに出されると、彼は妥協するしかなかった。
「ミルヴァナ、共に来い」
「はい、旦那様」
「わーい! ミーナといっしょ!」
「はい! 奥様!」
「「ふふふふっ」」
呑気な女性陣は心から湖を楽しむつもりのようだ。フィリップはなおも不安だった。ミルヴァナが付いて行っても、問題が深刻化する未来しか見えない。
「距離をおいて俺もついていきます。よろしいですね?」
「……仕方ない。許可する」
こうして一行は湖畔の散策に向かった。アベラルドとステファニーの後ろにミルヴァナが続く。間隔を空けてフィリップが監視していた。少し外野は多いがアベラルドは楽しかった。湖面を反射した光達がキラキラとステファニーを照らし、眩しい笑顔をより魅力的に演出していた。ただ歩いているだけなのに、自然と足取りが軽くなる。
「ステファニー、ほらピンクの花が咲いてるぞ」
「ほわああぁぁ!」
「くっ……」
ステファニーが可愛い。とにかく可愛い。散歩を開始してから三分も経っていないが、アベラルドは幸せだった。
「おいたん、おしっこー」
散歩を開始して三分も経たずにステファニーがもよおした。計画的に尿意を解消できない四歳児に良くある失敗だった。
「お、お、お、おしっ――」
アベラルドは赤面した。急に存在感を増したミニスカートの園が、風に揺れて彼に迫ってくるようだった。ふわっと揺れるたびに心臓がドクンと打つ。際まで迫る境界線はアベラルドの全ての知覚を集中させた。全神経が研ぎ澄まされていく――
「大変です! 奥様。私が手伝ってあげますから、急いで戻りましょう」
ミルヴァナはステファニーの手をとって別荘へ引き返そうとした。ステファニーは洋服の下に水着を着ているので、介助が必要なのだ。
「待て」
アベラルドの表情は不穏な色に染まり、鋭い眼が強く光った。怒りの形相でミルヴァナに近づき、目にも止まらぬ速さで彼女の手を止めた。
「手伝うだと……?」
いつもよりスカートは短いし、用を足すのに手伝いはいらないはずだ。アベラルドはステファニーがノーパンだと信じている。そんな状態でいったい何を手伝うというのか?
「何をするつもりだ?」
アベラルドの声が一層低くなる。縮み上がったミルヴァナは震える声で懸命に答えた。
「あの、ワンピースを脱がないと……」
「脱がなくても出来るはずだ。いったい何を考えている?」
「な、何も……」
ミルヴァナは背筋を凍らせた。本当に何も考えてないのだ。信じてもらうにはどうすればいいか。彼女は、何もやましいことがないと証明する妙案を思いついた。
「そんなにお疑いなら、旦那様がお手伝いなさってください」
「俺が……、手伝う?」
「おいたん、おしっこー」
――おいたん、トイレはいろー
――おいたん、いっしょにしよー
――おいたん、スカートめくってー
――おいたん、〇※☆ふ♫てー
アベラルドの中でステファニーの台詞が目まぐるしく変換される。妄想が背筋を駆け抜けて、上り詰めた幻覚達が眼裏でひしめき合った。幻覚達は畳み掛けるようにアベラルドを呼ぶ。おいたん、おいたんっ、おいたぁあんっ――と幻聴まで聞こえてきた。
「もれるー」
もう一刻の猶予もないのに、アベラルドは立ち尽くしたまま微動だにしない。
「ミーナ、いったいどうした?」
後から追いついたフィリップがただならぬ雰囲気を察知してミルヴァナに質問した。
「奥様がおしっこなの」
「はぁ……。化粧直しとかお花摘みに行くとか、言い回しってもんがあるだろ?」
「お花摘んで化粧を直すの? 難しくない?」
「おいたん、もれるー」
「ほら見てよ! そんなことしてる間に漏れちゃうわ」
「ああもう! 話が通じないっ! 奥様、とにかく別荘へ帰りましょう」
ミルヴァナはステファニーを連れて別荘へ戻った。アベラルドは暫くぼうっとしていたが、遠ざかる二人の後ろ姿を眺めて、急に覚醒した。
「ハッ!! 待て! 連れションは俺がする!」
「旦那様、連れションは卒業してくだい」
冷酷とも言える紳士の不文律がアベラルドを苦しめた。妻に乞われての連れションに心底行ってみたかったのだ。
「ゔうぅ……、卒業したくない」
成人男性の悲痛な呟きはフィリップにより黙殺された。
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