第19話 相談

 ステファニーの呪いを解くと改めて決意したミルヴァナだが、具体的な方法は分からないままだった。やはりミルヴァナ一人では解決できない。そう感じた彼女はある人に相談することにした。ミルヴァナが唯一頼りにしている男――フィリップだ。フィリップの助力を乞うことは、ミルヴァナが元サキュバスであると告白するも同義だが、ミルヴァナに迷いはなかった。ステファニーの未来のため、彼女は何かを失っても呪いを解くと決めたのだ。


「フィル、相談があるの」


 仕事上がりのフィリップを捕まえてミルヴァナは切り出した。


「いえ、間に合ってます」


 フィリップは悪徳商法の勧誘を断る要領でミルヴァナの相談を回避する。


「フィル〜! お願い!」

「……」


 フィリップは訝しげに目を細めた。ミルヴァナが最近、溜め息を漏らしているのをフィリップは知っていた。同僚として心配もしている。だが巻き込まれたくない。ミルヴァナと関わると大抵疲れるのだ。


「アドバイスしてもらうだけで良いから相談にのって!」

「はぁ……、仕方ないな。特別だぞ」

「ありがとう!」


 ミルヴァナは使用人が使う別館にある自分の部屋へフィリップを連れて行った。ミルヴァナは女主人付きのメイドなので狭いながらも個室を与えられている。誰にも聞かれずに相談が出来るので、自室は最適だと思ったのだ。


「あのな、何度も言うが貞淑という言葉を覚えろよ」

「定食?」

「未婚女性が気軽に男を部屋へ招き入れるな。その意味を絶対分かってないだろう」

「意味?」


 フィリップは自分が気にしていることが馬鹿らしく思えてきた。


「はぁ……、さっさと済ませよう」


 彼は椅子に腰掛けて、話を聞く態勢に入った。ミルヴァナは椅子がないのでベッドへ腰掛ける。何から話せばいいのか、ミルヴァナはまったく考えていなかった。突然、呪いの話をしても信じてくれないかもしれない。ミルヴァナは珍しくフィリップの反応を見ながら少しずつ情報を出すことにした。


「サキュバスがね、この屋敷に居るの」

「は?」


 フィリップは驚いた。どうせ下らない相談だと思っていたら、どうやらそうではないらしい。真剣に考えを巡らせて、フィリップは質問した。


「サキュバス。もしかしてキャスリン達のことか?」

「キャスリン? 彼女達に何か関係あるの?」

「だってあいつらサキュバスだろ。未熟だけど」

「ええ!? そうだったの!?」


 ミルヴァナは意外と近くに同族がいたことに驚いた。そしてあることに気がつく。


「ん? フィリップはキャスリンと付き合ってたわよね?」

「いいや」

「あれ? だってキャスリンがフィリップともっと激しいセッ――むぐぅ!!」

「何を聞いたかは知らんが、それ以上は黙っとけ」


 フィリップはミルヴァナの口を塞いで忠告した。


「聞きたいことは分かってる。あんな未熟なサキュバスに俺は惑わないよ」

「ん〜ん〜っ!」


 フィリップはミルヴァナの口を開放した。彼女は尊敬の眼差しでフィリップを見つめる。


「フィルってすごいわね」

「まあ、伝説のサキュバスだったらヤバかっただろうな」


 フィリップはなんだか自慢しているように感じてしまい、照れ隠しに話を逸した。


「伝説のサキュバス?」

「先の戦争で旦那様に敗れたサキュバスだよ。彼女は本当に凄かった。一流のサキュバスだ。旦那様に敗れたのは運が悪かっただけだろうな。あのピュアはちょっと異常だ」

「それ、私のことよ」

「は?」

「そのサキュバスは、私」


 慎重に話を進める予定だったが、ミルヴァナが唐突に真実を明かした。彼女はすぐに仔細を忘れるのだ。


 それを聞いたフィリップは天を仰いでミルヴァナの言葉を反芻した。次に頭を抱えこんで、再度ミルヴァナの言葉を反芻する。一度起立し、また着席してみる。目を閉じて、言葉の意味を咀嚼しようと努力した。大きく息を吸って、音を立てながら長く息を吐く。


「すまん。もう一回言ってくれ」

「伝説のサキュバスは、わ・た・し」


 ミルヴァナはついでに可愛くポーズをとってみた。ほっぺをツンと指で押している。


「くっそおぉぉぉぉおおぉぉおぉっっ!! 俺の青春返せぇっ!」


 フィリップは椅子から崩れ落ちて、床に突っ伏した。彼が急変した理由がミルヴァナにはわからなかった。


「どうしたの? フィル」

「伝説のサキュバスは俺の憧れだったんだ! それがこんな……、こんな馬鹿だったなんて!」

「失礼しちゃうわ! それはちょっと言いすぎよ」


 ミルヴァナは自分が他人と少しズレていると薄々気が付いていた。だが、馬鹿と言われるほどではないはずだ。サキュバスとしての能力は一流なのだ。確かに今はサキュバスの力を失って、魔族にはとても見えないが……


「あれ? フィルは私がサキュバスだって話を信じてくれるの?」

「まあな、俺だって元人狼だし」

「へ?」

「俺、元人狼」


 人狼とは狼の力を宿す人型をした魔族のことだ。フィリップは先の戦争で捕虜となり、魔王の転換に合わせて彼も人間となった。人間となった魔族は、長く生きれば生きるほど、魔族としての転生が先送りされる。王は魔族が不審な行動をしないよう監視しつつ、魔族が自殺しないように幸せな一生を支援しなければならなかった。そのため、フィリップは彼の魔核を魔術師のサミュエルに奪われることになり、監視の効くこの屋敷で人間として働かされていた。

 興奮していたフィリップは、ようやく落ち着いて椅子に座り直した。


「言われてみたら、ミーナから微かに魔族の匂いがする。人間になってから嗅覚が鈍ったなぁ」

「魔族だったのね。何だか親戚のお兄さんが見つかったみたいな親近感だわ。ふふふっ」


 ミルヴァナは無邪気に笑った。部屋に入る前の深刻な表情は、すでに消えている。もちろん、彼女は目的を忘れているだけだ。仔細どころか大要すら失念する。


「で、相談があるんだろ」

「はっ! そうだったわ!」

「ま、言わなくても何となく分かるけどな」

「え? そうなの?」


 フィリップが遠い目をして語りだした。


「ああ、ミーナも魔王に使役されていたんだろ? それが突然、人間になるなんて驚くよな。自由の身になったのに魔核が奪われるし、戸惑う気持ちはわかる。でも人間として生を全うするのも悪くないかなって最近思うんだ」

「フィル?」

「ミーナがいると苦労するけど、退屈しないしな」


 フィリップが少し優しい目をしてミルヴァナを見つめた。ふっと砕けた笑顔がとても柔らかい。


「なんの話をしてるの?」

「は?」

「私が言いたいのは、奥様の記憶が無くなったのはサキュバスの呪いってことよ」

「はあぁぁっ!?」


 フィリップの優しい笑顔が一瞬にして怒気へと変貌した。ちょっと格好つけた結果がこれだ。フィリップはそれが余計に恥ずかしかった。


「旦那様に負けて、私悔しくて。気がついたらサキュバスの力が呪いに変わっていたの」

「……」


 医師はステファニーがなぜ記憶を失くしたのか原因が分からなかった。原因はステファニーにあるのではなく、アベラルドにかけられた呪いにあるとしたら、確かに分からないのも頷ける。


「私、呪いが解きたい。どうすれば解けるかしら?」

「んー、ちょい待て」


 フィリップは考えた。呪いを解く鍵となるのはおそらく魔核だろう。サキュバスの力の結晶とも言える魔核。それが呪いとなった理屈は分からないが、その在り処は分かる。おそらく呪われた人物――アベラルド・エーデルレイクの体内だ。それをアベラルドから取り除けば良い。魔術師ならば簡単に処理するだろう。しかしそうなると確実に魔核は魔術師に奪われて、ミルヴァナもフィリップと同じ境遇になってしまう。これ以上、同族が虐げられるのはいい気がしない。


「魔核を開くことができれば……」


 そうすればサキュバスの力はミルヴァナに戻り、彼女はサキュバスとして復活を果たすだろう。伝説のサキュバスが再臨すれば、フィリップの状況も打破できるかもしれない。魔核を開くには魔術師が作成した魔術陣の上に魔核を置く必要があった。


「魔術陣……。そうだっ! 流れ星!」


 ファーストキスの演出に使う流れ星を発生させるため、サミュエルは魔術陣を描くだろう。そこへアベラルドを誘導できれば、自動的に魔核が開くはずだ。

 一つだけ、フィリップには懸念事項があった。


「なあ、なんで今更呪いを解きたいんだ? 旦那様のこと恨んでいたんだろ?」


 彼女は少し照れながらフィリップから視線を落とすと、小さく囁いた。


「――と――になったの……」

「ん、なんだって?」

「奥様とお友達になったのぉぉっ!」


 急に大声を出されたフィリップは耳がおかしくなるかと思った。


「急に大声出すな! もっと普通に言えんのか!?」

「まあ! ごめんなさい」


 ステファニーとミルヴァナが友達になった。それを聞いてフィリップは納得した。確かに二人はすごく仲が良い。たまにアベラルドが嫉妬でうざくなるくらいだ。


「奥様は何も悪くないわ。だから、呪いを解きたいと思ったの」


 要するにミルヴァナはステファニーに絆されたのだ。フィリップはそのことを不思議と受け入れることが出来た。人間は宿敵だとか、魔族としての矜持だとか、そういった感情が湧いてこない。

 その瞬間、アベラルドの顔がぽっと浮かんだ。なんだかんだとフィリップもピュアな主人のことが憎めないのだ。


「ま、手伝ってやるよ」

「ほんと!? ありがとう、フィル!」

「同族のよしみってやつだ」

「よしみね!」

「旦那様を魔術陣へ誘導するだけだからな。楽勝だ」

「何だか分からないけど、頼りにしてるわ!」


 こうして、ファーストキス大作戦の裏でもう一つの作戦が進行することになった。

 そんなミルヴァナ達を窓から覗く三つの影。二人を見つめる瞳が怪しく細められ、気味の悪い笑みを浮かべていた。その影はすぐに闇夜に紛れ、静かに消えていった。



 魔犬はいつものようにジャーキーを貪っていた。肉の匂いを堪能し、涎まみれになってしゃぶる。部屋の扉が開いて、キャスリン・ティオナ・マリッサが帰ってきた。


「ただいま戻りました」

『うむ』

「フィリップ様、ご報告があります!」

『あん?』

 キャスリン達は魔犬の前で正座して畏まった。

「私達、見たのです。ミーナとフィリップがこそこそと部屋へ入っていくのを!」

「怪しいでぇす」

「ん、逢引」

「共用のベランダから中を覗いたら、新事実が発覚したのです!」

「衝撃の展開ぃ」

「ん、かくかくしかじか」

『なんだと!?』


 キャスリン達の説明を聞いて、魔犬は驚いた。ミルヴァナがサキュバスで、呪いまで発動していたとは予想外だった。


『だがしかし、ふむ……。だからミルヴァナはあんなにどエロいのか。納得した』


 魔犬は再びジャーキーをしゃぶり始めた。うまうまエロうまっと言って、幸せそうに食べている。


「フィリップ様、いかがいたしますか?」

『んあ?』

「魔核ですよぉ」

「ん、復活の好機」

『ハッ!!』


 言われてみればそれもそうだった。すっかりこの生活に毒気を抜かれ、魔犬は自身が魔王であることを失念していた。


『サミュエルから俺様の魔核を取り戻せ! サミュエルの魔術陣で俺様の魔核を開くぞ! 復活のときだ。ふははははっ』

「承知」

「はぁい」

「ん」


 サキュバスの卵達は使命を与えられ、やる気に満ち溢れた。サミュエルは多忙な身だ。どこかに魔核を捜索するチャンスはあるはずだ。キャスリンは隙きをみて魔核を盗み出すつもりでいた。すると、魔犬が思わぬことを口にした。


『サキュバスの力を使ってたらしこめ!』

「魔術師に魔力を使うのですか!?」


 三人は不安そうに目配せをした。それを見て魔犬が助言する。


『ヤツは犬の姿をしたメイドに滅法弱い。そこを突けばイチコロだ!』


 これまでで一番まともな助言をした魔犬は、そのことに満足した。彼は胸をはって得意げだ。


「さすがはフィリップ様!」

「頭いいのぉ〜」

「ん、お利口さん」


 三人は魔犬の頭を交互に撫でた。


『ぐへへへっ』


 その日からサキュバスの卵達はせっせと犬の衣装を作り始めた。

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