第16話 苦悩とライバル
ミルヴァナは悩んでいた。呪いを解くといってもそのやり方が分からない。自分の中に魔力も感じないし、取っ掛かりさえないのだ。だからといってアベラルドに罪を告白すれば、それこそ始末されかねない。せっかく友達が出来たのにそれは嫌だった。
「はぁ……」
ミルヴァナは溜め息をつくことが多くなっていた。
「ミーナ、みてみてー!」
ステファニーはベッドの上でぴょんぴょんと飛び跳ねている。ぽよんと揺れるたびに手を大きく広げて、ミルヴァナにアピールしていた。淑女としてあるまじき行為だ。
「奥様!!」
「ミーナもきて!」
「はーい! ミーナ、行きまーす!」
ミルヴァナは乞われるままにベッドへ飛び乗った。いい大人が二人してジャンプを遊んでいる。
「「あははははっ!」」
初めてお友達が出来たミルヴァナの箍は外れていた。今まではステファニーを嗜めることもしばしばあったが、今では全力で遊びに乗っかっている。
「たのしいね、ミーナ!」
「はい! 奥様!」
楽しくて楽しくて仕方がない。しかしステファニーがお昼寝し、一人考える時間になると、決まってミルヴァナは落ち込むのだった。
(このまま呪いが解けてしまえば、奥様は私と遊んでくれなくなるかも……)
ミルヴァナが友達になったのは四歳児のステファニーだ。もし彼女が大人になってしまったら、今と別人のようになるかもしれない。ましてや原因である呪いを生み出したのがミルヴァナだとばれたら嫌われてしまう。四歳児になってしまう呪いを解きたい気持ちと、このまま楽しい時間を望む気持ちがせめぎ合う。ミルヴァナは結局、成す術もなく日常をこなすしか出来なかった。
「はぁ……」
今日何度目かの溜め息をつく。
「なあ、鬱陶しいから止めてくれ」
隣を歩いていたフィリップが嫌そうに言った。
「うん……」
「……何があったかは知らんが、旦那様の前では溜め息つくなよ」
二人はアベラルドに呼び出されていた。ステファニーのお昼寝の間に、前回のファーストキス大作戦の反省会を行うのだ。アベラルドの部屋へ入ると、すでにサミュエルが執務机の隣に立っていた。次なる作戦会議の始まりの前に、アベラルドが前回の作戦を振り返る。
作戦の直後、アベラルドはまともにステファニーと会えなかった。まさか「大人はガチガチに固くて子供は柔らかいぶらぶらのアレ」が、ブラジャーのことだとは思わなかったのだ。真実を知ったアベラルドはまた黒歴史を刻み、三日も寝込んでしまった。記憶に残る素敵なファーストキスのはずが、記憶に刻まれた黒歴史のトラウマとなった。彼は着実にトラウマを増やしている。ミルヴァナが意図した復讐とは違う作用だが、なぜか効果的にアベラルドは弱っていた。
だが、そんな様子は三日で終わり、ステファニーに癒やされることでアベラルドはすぐに復活を果たした。ステファニーが居れば、全ては些末事なのだ。
「俺はまだ諦めていない」
アベラルドは力強く言った。庭園でのキスは逃したが、別のシチュエーションでのキスならまだチャンスはある。アベラルドはステファニーと何処かへ出かけることに決めていた。出来れば、記憶に残る印象的な場所がいい。彼はサミュエルに前もって保養地を調査させ、一つの場所を見出した。森の中にひっそりと在る湖畔の別荘だ。思い出に残る素敵なキス。アベラルドの中で理想形があった。
[以下、アベラルドの妄想]
静かな森の奥深く。そこにひっそりと広がるのは美しい湖。夜空には、満天の星が瞬いている。二人は湖畔のテラスに出て、星空観察を始める。二人を追い抜くように流れ星が駆け抜け、ステファニーの瞳が星のように輝く。可愛く願いごとをするステファニー。
『何を願う?』
『ふふっ、ひみつ』
『では俺の願いを叶えてくれ』
『え?』
アベラルドはステファニーの顎をくいっと掬う。二人の距離が急接近する。
『俺の願いを叶えられる者はステファニー、君だけだ』
『あっ――』
二人を祝福するように、幾重にも流れ星が落ちてくる。光のシャワーの中、二人は唇を寄せて――[妄想おわり]
「くっ、完璧すぎるっ」
アベラルドは興奮した。乙女思考の彼はこれしかないと考えた。今回の作戦で必須なのは流れ星だ。これは特別な魔術師でないと再現出来ない。彼は特別な魔術師――サミュエルに頼むことにした。
「出来ることは出来ますが……」
「何か問題があるのか?」
「いえ、問題というより……。魔犬の魔核を管理するのに手一杯で」
実はサミュエルにとって魔核の管理はあまり大変ではない。アベラルドがファーストキス大作戦に彼を巻き込むことが面倒で仕方ないのだ。なんとか計画を諦めて欲しくて嘘をついた。
「そうか。では別の魔術師を探すか……」
アベラルドは諦めない。彼は宣言した通りに食い下がった。
「いえ、やはりお任せください」
魔犬を探して魔王がやって来たのだ。魔術師団は隙きあらば魔族を英雄に押し付けようとしている。サミュエルはこれ以上魔核を抱えたくなかった。作戦のあらましという名の妄想を延々と聞かされ、サミュエル、フィリップ、ミルヴァナは退室した。
「おーいーたーん、ステフだよ」
「ああ、よく来たな」
いつもの談話室でアベラルドはステファニーと歓談する。何よりも楽しい時間だ。ステファニーの隣には犬耳しっぽ付きのミルヴァナが控えている。犬となったミルヴァナをステファニーが気に入り、常にこのスタイルを要求されたのだ。ミルヴァナはステファニーの気分によって、いつでも犬に成り切ることが可能となった。
ステファニーはそんなミルヴァナからある道具を受け取って、アベラルドへ見せた。
「ふふふっ、ジャジャーン!」
「それは?」
「おえかきセット! きょうはおえかきをしますっ!」
ステファニーは絵筆を取り出し、イーゼルの上にキャンバスを乗せた。
「なにかこうかな〜?」
ステファニーがモチーフに悩んでいると、ミルヴァナがステファニーに提案した。
「旦那様を描いて差し上げるのはいかがですか?」
「あいっ! おいたんかくー!」
ステファニーがパレットを持つと、ミルヴァナが簡易テーブルを設置して絵の具の準備に入った。アベラルドは緊張した。絵師に肖像を書かせたことはあるが、ステファニーに描いてもらうのはこれが初めてだ。絵師が描いたアベラルドは立派な猛将だった。絵師曰く。
「絵は描き手の思いが反映されます」
描き手が被写体をどう捉えているか、絵はそれを端的に表しているという。絵師はアベラルドのことを力強い英雄と捉えていたのだ。
では、ステファニーはアベラルドをどう捉えているのか?
この機会にそれが判明するかもしれない。アベラルドの中で期待と不安が、ない混ぜになって押し寄せる。アベラルドはステファニーに愛されていると、義両親は言ってくれた。だがそれは大人のステファニーだ。四歳児のステファニーがアベラルドのことを男としてどう思っているのか分からない。
ステファニーはダイナミックな動きでキャンバスに絵を描いていく。アベラルドから死角になっていて、どんな絵が形づくられているかは分からないが、彼女はとても楽しそうだ。鼻歌を歌いながら絵筆を走らせていた。
「おめめぇー♪ おはなぁー♫」
「お上手です、奥様」
「んふふふっ。ステフね、おえかきだいすきぃ!」
(なんて幸せな光景なんだ……)
楽しそうなステファニーを見て、アベラルドは癒やされた。どんなふうに描かれようと、どうでも良いじゃないか。ステファニーが笑顔ならそれでアベラルドは十分幸せなのだ。
「うーん、どうしよう」
「どうしたのですか? 奥様」
「ここがうまくかけない」
「そうですね……」
ミルヴァナは少し考え込んでアベラルドを見た。それからステファニーへ助言する。
「もっと筋肉をつけると力強くなると思います」
「きんにく?」
「盛り上がったような感じです」
「こう?」
ステファニーはサラサラと絵筆を走らせた。
――ムキムキムキッ
アベラルドは変に意識してしまって、筋肉が膨張した。すでにシャツは張り詰め悲鳴をあげている。
「そうです! そんな感じ」
「ちょっとおっぱいおっきいかな?」
「いえいえ、とても逞しくて素敵です」
「そっか!」
ステファニーはさらに得意になって、キャンバスに絵を描き込んでいった。後ろから観察するようにミルヴァナが絵を見ている。
「奥様、もう少し凹凸感があるといいですよ」
「おーとくかん?」
「影を描きこむと、立体的で格好いいのです」
「かげ? こんなかんじ?」
「そうそう。雄々しくてうっとりします……」
「すごくかっこいい!」
(ステファニーが俺の胸筋にこだわってくれてる!)
アベラルドは再び絵の仕上がりが気になり始めた。雄々しくてうっとりするほどの胸筋――アベラルドには自信があった。そっと指先で自分の胸を触ってみる。すでにガチガチに力が入っていた。ステファニーに見られているだけで、どこまでも力が湧いてくる。溢れる愛は漲る筋肉にのせて、彼女に伝えることができるのだ。アベラルドは思い切ってシャツを脱いだ。
(さあ! 描いてくれ! 俺の胸筋を! 愛を込めて筋肉を盛り上げよう!)
胸筋だけでなく、逞しい上半身が惜しげもなく晒された。
――ぬゔゔぅーーん
威圧感がいつもより増していく。張り詰めた筋肉、張り詰めた緊張感。英雄、アベラルドはまさに強い雄だった。
それを見たフィリップは違和感を覚えた。確かに女性達は胸筋の話をしていたが、そのときはまだ服を着ていた。これ以上、主人が暑苦しくならないために、確認が必要だった。フィリップは意を決して、ステファニーの絵を確認しにいった。ステファニーの絵を見た瞬間、フィリップの眉がぴくりと上がる。隣にいたミルヴァナが得意気にステファニーの絵を自慢した。
「ねえ、フィル。奥様の絵は素晴らしいでしょう?」
「ああ、そうだな。特にこの線の力強さがいいね」
「そう! そうなの! 馬乗りになりたいわよね!」
すると、ステファニーは二人の方を向いて楽しそうに言った。
「ステフものるっ!」
――ステフものるっ!
――ステフものるっ!
――ステフものるっ!
(ステファニーが俺に馬乗り……)
ブワッと妄想世界がアベラルドを包み、ふわふわとした心地になる。そこには扇情的な寝間着のステファニーが降臨し、アベラルドは吸い込まれるようにベッドへ沈む。
ふいにステファニーが覆い被さるように身を捩り、二人は上下逆転する。下から仰ぎ見るステファニーは、淫らに着衣を乱して肌を露出させていた。下からは死角になって、見えそうで見えない。もどかしい境界線が動くたびに身体が反応してしまう。金の髪から覗く瞳がアベラルドを見下ろし、次第に彼女は体を上下に揺らしだし――
『おうまさん、ぱっか、ぱっか! ぱっか、ぱっか!』
『ぐえっ、ゔぐぅ、ぶほっ、んぎぃ』
「いかんいかんいかんいかん。俺が死ぬ」
「どうしたの? おいたん」
「馬乗りは早すぎる」
「ステフのりたい」
「くっ、乗ってほし……いやいや、まだ難しいんだ!」
「じゃあ、こんどおしえて!」
(俺が、ステファニーに教える……大人の馬乗りを……)
アベラルドは徐々に冷静さを欠いていった。彼の息があがり、頬が赤く染まっていく。その両目はステファニーを映し込んで決して離さなかった。アベラルドはゆらりと巨躯を揺らして、ゆっくりとステファニーに近づいた。
「旦那様、お気を確かに」
フィリップの伝家の宝刀「お気を確かに」が使われたが、あまり効果はなかった。アベラルドの目はギラついてこのままだとステファニーが危ない。フィリップは仕方なくステファニーの絵をアベラルドへ見せることにした。
「奥様、絵を旦那様に見せて差し上げてください」
「んあいっ!」
ステファニーは元気よくお返事して、イーゼルを動かした。途中、ミルヴァナもそれを手伝う。そこに描かれていたものは――
「ユニコーンちゃんだよ」
「くそっ、ユニコーンちゃんめっ」
そこには立派な胸筋のユニコーンちゃんが描かれていた。馬の逞しい筋肉が美しく描かれている。
「おいたんはここだよ」
「ゔゔっ……」
キャンバスの端の方にある小さく塗りつぶされた円。それがアベラルドだった。
「おいたんのかげ」
しかも本体ですらない。
アベラルドの脳内に、再び絵師の言葉が蘇る。
――絵は描き手の思いが反映されます
――描き手の思いが反映
――描き手の思い
「ああぁぁ……」
――無慈悲――
その言葉がぴたりと当てはまる作画格差だった。この瞬間、ユニコーンちゃんはアベラルドの恋のライバルとなった。現時点ではユニコーンちゃんの圧勝である。アベラルドは自分が情けなくなった。彼の筋肉の膨張はなりを潜め、今日もアベラルドの枕はびしょ濡れになるのだった。
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