第13話 サキュバスの卵

 視界が急に開けて、神が人類に与えた至高の膨らみが眼前に降臨する。


 ふるふるぷるん……

 ムチムチムチッン……


 これらが両立する奇跡の存在。そこへ溶け込むように身を投げるだけで、全てが赦されるような心地になる。


『ワホッ♡』

「やぁん!」


(キャスリン最っ高ぉ!)


 箱から飛び出した瞬間、目敏くおっぱいを認めた魔犬はすぐにふかふかの感触を楽しんだ。溺れるように埋もれて至福の時間を得る。


「君たちの部屋でこの犬の面倒をみてやってほしい。餌はネイサンに頼む予定だ。もちろん、俺もたまに様子を見に来るよ」


 フィリップがキャスリンに何やら指示を出している。これから犬としてキャスリン他二名の乳房、計六つのマシュマロおっぱいを堪能する日々が過ごせるのだ。転換前に人類の敵だった割には楽勝な生活だ。


「ねえ、フィル。この子の名前は?」

「まだ無いよ。君ら三人で名付けしてくれ」

「わあ! 何がいいかしら」

『ワオ〜ン!』


 愛玩されることに痺れて魔犬は歓喜の声をあげた。キャスリンの名付けなら何だって受け入れるだろう。ふがふがと鼻を鳴らしながら鼻腔にキャスリンの体臭を満たしている。その間に、フィリップとキャスリンは何やら話しだした。犬の衣装やら縫製の話のようだ。

 ついにフィリップと別れて、三人と一匹の愛の巣へと向かう。終始抱っこされた状態で運ばれ、魔犬はご機嫌だった。使用人が寝泊りする別棟へ入り、キャスリン、ティオナ、マリッサの相部屋に到着した。


「もうすぐ仕事が終わるからここで待っててね」

『クゥ〜ン……』

「ご飯も持ってきてあげるわ。じゃあね」


 キャスリンは魔犬を部屋に残して仕事へと戻った。残された魔犬はしばらくの間、扉をカリカリとかいて愛らしさを演出する。しばらくして。


『へっへっへ。家探ししちゃうぞ〜!』


 魔犬は部屋を物色し始めた。期待するのは下着だ。魔犬は犬なので捜索できる範囲は限られているが、ベッドの下くらいなら入り込める。魔犬がベッド下へと向かうと、案の定、衣類かごがいくつか並んでいた。そのうちの一つを覗いてみると、普段着の衣服の横に可愛らしい下着達が居た。


『ワッホウ!』


 鼻でつついて下着を拡げると、勝負パンツを発見して魔犬は興奮した。


『ふがふが……、あぁ! たまんねぇ……』


 無意識に下着達へと体を埋め、くねらせて匂いを付け始めた。背中や首などを懸命に下着へと擦り付ける。彼は夢中で何度も作業を繰り返した。目は血走って真剣そのものだ。


 ――マーキング。


 動物が尿をかけたり体をこすりつけたりして、自身の匂いを移すことで縄張りを示す行為。魔犬はまるで本当の犬のようにマーキングに没頭した。


『ふがふが、ふんっ、んがっ! ふんっ』

「ふふふっ、わんちゃん。何してるの?」


 いつの間にかキャスリンが戻ってきていた。辺りには下着だけでなく、様々な衣類が散乱している。全てにマーキング作業を施すのに夢中で、人が入ってきたことに気付かなかったのだ。


(は、はずいっ……。俺様としたことが、いったいどうしたんだ!?)


 魔犬は自身の痴態を眺めて動揺した。


「この子が新しいルームメイトぉ?」

「ん、新参」


 キャスリンの後ろには同じお仕着せを着たメイドが二人立っていた。おっとりとして間延びした話し方をするティオナ。口数は少ないが、意志の強い瞳できちんと意見を言うマリッサ。彼女達は魔犬の仕業を眺めて啞然としている。すかさず魔犬は甘えた声を出す。


『キュンキュン、クゥ〜ン』


 衣類の山から抜け出した魔犬が上目使いで三人を見つめた。瞳を潤ませてぷるぷると震えてみると、か弱い愛玩動物の出来上がりだ。そんな魔犬をキャスリン、ティオナ、マリッサはじっと見つめている。


「どう思う? やっぱり間違いないわよね?」

「間違いないわねぇ」

「ん」


 急にキャスリンが「気をつけ!」と大声を出した。それに合わせてティオナとマリッサが直立に姿勢を正す。


「我らが魔王様に、敬礼!」


 キャスリンの号令に従って三人同時に魔犬に向かって敬礼した。ティオナは少し遅れがちだ。


『クゥン?』


 魔犬は、あくまでも愛玩動物ポジションを崩さない。しかし、キャスリンは構わず魔犬を魔王と断定して話し始めた。


「魔王様、私はキャスリンです。サキュバスの卵です」

「同じくぅ、ティオナでぇす」

「ん、マリッサ」


 魔犬は目を見開いて驚いた。


『お前ら、隠れ魔族か!?』


 魔王は様々な魔族を使役したが、それに漏れた魔族もたくさんいた。その殆どが戦力にならない力の弱い魔族だった。


「はい、魔王様。我が君」


 キャスリンは恭しく跪いた。それに続いてティオナとマリッサも跪く。


「先の戦争で辛くも敗退致しましたが、魔族は不滅にございます。魔王様なら必ずや復活を果たされると信じております」

「魔王様を尊敬しておりまぁす」

「ん、偉大」


 魔犬は歓喜に震えた。魔族に傅かれるなど慣れているはずだった。だが、その全ては使役していた魔族達だ。なんの制約もなく服従する三人を見て、心の中がホカホカする。


『お、おう! 俺様だからな!』

「さ、魔王様。こちらをお召し上がり下さい」


 キャスリンはネイサンから預かったビーフジャーキーを差し出した。


『ジャーキィーッ!』


 千切れんばかりに尻尾が左右に振られ、だらしなく涎が垂れる。目はギラついていて捕食者のそれだった。


『はよっ! ジャーキー、はよっ!』

「どうぞ」


 魔犬は無心でビーフジャーキーに齧りついた。歯むと濃い肉の味がして、香りがふわっと拡がる。


『うまうまっ!』

「魔王様、おかわりはいかがですか?」

『くれくれっ!』


 魔犬のお腹が満たされる頃には、ティオナとマリッサによって部屋が綺麗に片付けられていた。何処からか用意されたクッションを勧められて、魔犬は仰向けに寝転んだ。でろんと大きなお腹を伸ばして、この上なく怠惰だ。


『食った食った〜』

「良い食べっぷりだったぁ」

「ん、快食」


 ティオナが右から首を撫で、マリッサが左からお腹を撫でた。食後のマッサージがものすごく気持ちいい。


『あ〜、いぃ〜、そこぉ……。最高っ』


 まさかこんな所でサキュバスの卵と会えるなど思っていなかった。これはこれで至福の生活かもしれない。ふと、魔犬はキャスリンに尋ねた。


『で、サキュバスの卵がこんな所での何をしてるんだ?』

「そ、それは……」


 急にキャスリンの顔が暗くなった。何か事情があるようだ。


『どうした?』

「戦争後、三人で力を合わせて人間の男達を誘惑する練習をしていました。そうしたら、家令のサミュエルに報酬を払うからフィリップを落とすように言われて、逆らえなくて仕方なく……」

『ふーん……、まぁいい。俺様の魔核が戻ればサミュエルなど雑魚だ』

「魔核!」


 魔核とは、魔族を転換すると同時に生成される魔力の源で、これに魔術師が定期的に封印を重ねて初めて魔族の復活は阻止される。魔核が損傷したり魔術的に開いたりすると、たちまち魔力が魔犬に戻り、魔王の復活が叶うのだ。


「魔王様の魔核はどちらに!?」

『おそらく、サミュエルとかいう魔術師が持っている』

「意地悪なやつぅ」

「ん、変態」


 キャスリンは瞳に闘志を燃やして力強く宣言した。


「このキャスリン、必ずや魔核を奪い返し、魔王様へ献上いたします」

「盗み出しまぁす」

「ん、頑張る」

『うむ』


 魔犬は満足した。犬となってから初めて、否、存在してから初めて献身的な臣下を得たのだ。ここは報いてやらねばならないと、魔犬は考えた。


『何か望みはあるか?』

「望み、ですか?」


 キャスリン、ティオナ、マリッサはお互い目配せしあい、示し合わせたように同じ答えを返した。


「フィリップです!」

「フィリップでぇす!」

「ん、フィリップ」


(そんなにあの男が良いのか?)


 魔犬は眉間にシワを寄せて、溜息をついた。キャスリンが深刻な表情をして魔犬を見つめている。どう見ても恋している女の目ではない。


『あの男に何かあるのか?』

「申し訳ありません。私達の力及ばず……」

『なんのことだ?』


 キャスリンは意を決して告白した。


「まだフィリップを落とせてないのです!」


 ティオナとマリッサも項垂れて下を向いている。


『まだヤッてないのか? サキュバスなのに?』

「いえ、三交代で毎日ヤッてます」

『なら、落とせただろう?』

「それが……、惑わないのです」


 サキュバスに惑った人間は、その精力の全てを捧げる。それを糧にしてサキュバスはさらに強くなるのだ。


『惑わないというと?』

「ほどほどで切り上げて追い出されます」


 サキュバスとして未熟としか言いようがなかった。彼女達はまだまだ卵なのだ。彼女達の望みは一人前のサキュバスとなってフィリップの精力を吸い尽くすこと。この望みは魔犬にとっても利益のあることだった。是非とも叶えてやりたい。しかし、魔犬は困ってしまった。未熟な魔族を一人前に育てたことなど一度もないのだ。


『しゃあねぇな。やるだけやってみるか』

「魔王様?」


 魔犬は決意した。へっぽこな卵達を育ててみようと。まずはフィリップを三人がかりで落とすことを目標に、訓練を行うことにした。


『う〜ん、訓練といってもなぁ……。あっ!』


 魔犬は閃いた。魔犬自身をフィリップの練習台にすればいいのだ。三人はフィリップにするように魔犬に奉仕し、魔犬はいろいろアドバイスを返せばいい。彼女達のためになるし、何より自分が楽しい。下心満載であった。そうと決まれば早速、魔犬は三人に指示を出した。


『俺様が鍛えてやる。俺様のことはフィリップと呼ぶように!』

「はい。我が君、フィリップ様」

「フィリップさまぁ」

「ん、フィリップ様」

『そして、俺に奉仕しろ!』

「かしこまりました」


 魔犬は当然、人間にするような性的な奉仕を望んでいた。しかし、犬と人間は違う。生物的に無理がある上に、魔犬の言い回しは曖昧だった。キャスリン達は「奉仕」という言葉を「犬のお世話」という意味に受け取ってしまった。

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